2012年12月29日

●和文解釈入門 第589回

暮れも押し詰まって残り後わずかである。このコーナーも同様で、短文のネタ切れのためこのまま行くと600回を越えるか越えないかで終了となりそうである。しかし、常連投稿者の投稿を見る限り、正答も増えてきており、これ以上続ける意味もあまりないような気もする。ともあれ、ない袖は振れぬということで、決して出し惜しみするわけではない。7月末に『和文露訳入門』を電子書籍で出した時には、残りの短文は11月中旬で終わるぐらいの分量だったのだが、いくつか面白そうな短文も見つけて、それが12月半ばになり、12月末になり、年を越える気配である。そうはいっても、あと10もない。これまで出題候補としてエントリーした中で、30ぐらいの短文は、同じようなものがあるとか、応用性がないとか、特異すぎるというような理由で没にした。最近も5つ没にして、3つ追加したりしている。短文出題の趣旨は、含まれる文法要素や語彙が応用性があるか、その語句のままでも会話で広く使えるかどうかであって、難問を出して粋がるような、出題者の独りよがりは厳に慎みたいと考えているからである。単数・複数、アオリスト的用法、不完了体未来形などは最初の頃の出題に対する正答率があまりに低かったので、折を見て何度か似たような短文を出題しているが、これは復習として意識的に行ったものである。

 どう出題していいか分からなくて没にしたものもあるので、ご参考のために紹介する。私自身は頭痛持ちではないが、仮に頭痛で、鎮痛薬を飲んだら、すぐに効き目が現れたとする。そのときに、「(この薬)効くね」はロシア語で何と言うかというものである。普通に考えれば、完了体子形の結果の現存の用法を使って、Лекарство подействовало немедленно.(薬はすぐ効いた)とする。無論、これはこれで正しいのだが、Действует.と言う。現在完了が含まれているので、相転移動詞(誤伝の動詞改め)の用法だと思う。栄養ドリンクの宣伝だと思うが、「効くぅー(この日本語は遂行動詞であろう)」というコマーシャルは、「効いた」と同じかというと、よく考えると、同じようなものだが少し違うように思う。結果の現存(現在完了)であるということがДействует.の方に強く感じられる。подействовалは完了体過去形だから、基本的な意味はアオリスト的なものであり、結果の現存というものは文脈に依存する。しかも、「薬がすぐ効いた」という例文は結果の評価とも考えられるので、ある意味で時制に関していえば、現在と関係があるのかどうかが分かりにくい。一方、Действует.の方は不完了体現在形で現在そのものであり、現在の時制と結びついていることを強くアピールできるから、ロシア語でも、日本語でもこちらの方が会話でよく使われるのではないかと思う。

 こういうのは、どうやって見つけるかと言うと、三流の児童用SFやファンタジーの会話の文にこういう例がふんだんに出てくる。魔法の呪文を覚え、その呪文をかけて、呪文通りの効果が出て来たときにとか、光線銃を発射して、対象の物体が消えたときなどに、こう言うのである。三流で、しかも子供向けだから、荒唐無稽であっても文脈ははっきりしている。こういう会話文はドストエーフスキーやチェーホフでは、まずお目にかかれないだろう、和文露訳用の文例を収集するには、歴史や哲学の硬いもの、一流の文学ないしは自分の好きな分野の本(釣りが好きならアクサーコフの釣魚記など面白いと思う)、そして会話の文例収集用に、一流でも、二流でも、三流でもいいから児童向けの会話の多い本がよい。このように硬軟取り混ぜて、広い分野の本を読み、かつファイルするようにすれば、いつか自分だけの宝物ができることになる。人間は忘れるものだから、文例はエクセルに和露で、訳をつけてファイルしておけば、いつか役に立つだろう。私の方は和露形式で項目をつけ、今現在で9万2千項目になった。目指せ10万項目である。cover-to-coverで読んだ本はリストアップしていて、それも740冊になった。これも目標は千冊である。ロシア語の本は辞書も入れて1700冊ぐらいもっているから、半分以上は読んだことになるので、稼ぎの心配さえなければ余生を読書に費やすという手もあるのだが、世の中そう甘くない。

設問)「(本で)読むのと、そのような状況に自分自身が置かれるというのは別だ」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2012年12月29日 07:22
コメント

(1) Ситуации, полученные через книги отличаются от
того, чтобы сам
попал в такие же
ситуации.

(2) Узнать через книги
и на самом деле
попасть в такое
положение, это две
разных вещи.
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(1)は本を通して得た状況とありますが、印象ならともかく、これは違うでしょう。(2)は構文的には正しいものの、本を通してではなく、読書と発想転換し、читатьで始めたほうがすっきりします。私の答えは、Одно дело - читать, а другое - самому оказаться в такой ситуации.  
これはよく耳にしたり、目にしたりする表現なので覚えておくとよい。別の表現では、Понимать умом и видеть собственным глазами - большая разница.(頭で理解するというのと自分の目で見るというのは大きな違いだ)、Книга и жизнь - две совершенно разные вещи.(本と現実は全く違うものである)、Вольность и возмущение - две вещи разные.(自由奔放と憤激はまったく別の事柄だ)などがある。

Posted by ブーチャン at 2012年12月29日 09:57

Читать и сам переживать такую обстановку --- разные.
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意味は分かると思いますが、決まり文句を利用した方がよいと思います。それとпереживатьはつらい思いをする、嫌な経験をするというので、動詞を変えたほうがより広い状況に使えます。самではなく、самомуとしなければ意味上の主語にはなりません。不定法では英語のfor同様、意味上の主語は与格になります。

Posted by ゴ at 2012年12月29日 23:55

Читать о чем-нибудь и попадать в ту же ситуацию - разные вещи.
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惜しい。две разные вещиとすると決まり文句になります。我々は小説を書いているわけではないので、聞いている方の理解がしやすい、慣用句や決まり文句を利用した方が、自分独自の表現を作るより、聞いている方は理解しやすいと思います。この構文自体は、いつもいつも定期的にその状況におかれるという反復ではなく、もし~したらということで例示的用法ですから、完了体の方が自然です。私の答えでчитатьと不完了体が来ているのは、厳密な意味で対応する体がないからだと思います。прочитатьだと完読、通読するということで、必ずしも対応しないと思います。それとпопастьというのは、普通は好ましくない状況におかれるという意味なので、оказатьсяのほうがよいと思います。

Posted by メイ at 2012年12月30日 01:01
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