2008年06月22日

●新帯研 第27回

1996年か97年カザフスタンのアルマトゥイに駐在していたとき、オフィスの近くに住んでいたマンションに休みの日の朝から電話が鳴った。当社の下の住人からわりに穏やかな声で、天井から水漏れするので急いで来てくれとの事だった。現場までは歩いて5分。水漏れというよりは滝のように水が降ってきている。えらいことになった、トイレから水が漏っているのかと思い、2階のオフィスのドアを開くと天井からこれもまた滝のように水が降ってきている。私の机の上にはノートパソコンが置いてあり、その1メートルぐらい離れた上から水が降ってきているのだ。結局3階の朝鮮系の夫婦(カザフにはスターリンの政策で極東に住んでいた朝鮮系の人たちを第二次世界大戦直前にカザフなどに強制移住させ、今でも50万人ぐらい住んでいるとのことだ)が洗濯機に水を入れたまま外出したせいだと分かった。それにしても考えられないことである。モスクワに住んでいたとき(2002年)も、元旦に天井から水が漏ってきたことがある。これは上の階のポンプの故障らしく、元旦からではついてないと思ったが家主に始末書を書かせたが、その始末書をどうしてもこちらには渡さないという。責任問題になるのがいやだからであろう。もっとも80年代にモスクワのある日本の駐在員の家ではトイレから水が吹き出し、家中水浸しということがあったというから筆者などはましなほうであろう。
Вопрос армянскому радио:
- Хорошо ли в Армении с мясом?
- С мясом хорошо, а вот без мяса совсем плохо.
設問)オチが分かるように和訳せよ。

Posted by SATOH at 14:15 | Comments [2]

2008年06月20日

●新帯研 第26回

20年ほど前モスクワに駐在していたときの事、オフィスにロシア人の若いビジネスマンがやってきた。書類を持ってきてくれたらしく、会社の秘書が対応した。どうもその若い男の態度が生意気だったらしく、別の女子社員にコソコソ話している。別に立ち聞きしていたわけではないが、最後のところだけ聞こえた。それはОн ещё мальчик!というものだった。Мальчикというのは5歳から12歳頃までの少年だとばっかり思いこんでいたので少々びっくりした。強いて訳せば、「まだボウヤじゃないの」とか、「まだガキのくせいして」となろうか。ちなみにこのお姉さん方は年の頃は30前後だったと思う。
«Армянское радио» справшивают:
- В какой геологической период вступил Советский Союз?
- В юрский, но андропогенез уже начался.
設問)オチが分かるように訳せ。

Posted by SATOH at 13:31 | Comments [2]

2008年06月16日

●新帯研 第25回

詩が現代の歌謡曲にとって代われないのは、歌謡曲には歌詞のほかにメロディーがついており、歌詞の内容が具体的にイメージしやすい(感情的な面で)ということもあるだろう。これは文学が映画やアニメ(漫画)に取って代われたのと軌を同じくする。分かりやすいものへと移行するのは水が低きにつくのと同じである。万葉の歌垣や万葉の歌は庶民のものだが、それとて即興のメロディーがついていたと思う。エセーニンの詩は好きだが、その中でも好きなのは歌になっているКлёнやПисьмо материなどである。メロディーがつくとイメージが固定するというような危惧もあるが、よいメロディーならそれはそれでよいのではないかという気がする。文学や詩を味わうには、想像力が必要ということで、歌にもいい歌、悪い歌というよりは、自分の好みの歌というのがあるのだから、詩はメロディーがないだけ、自由に自分のイメージを膨らませる事ができるはずだ。もっとも常人にはそういう鍛錬が必要だとは思うが。
Из мемуаров старого большевика, изданных в 1970-е годы.
- Помню, идут Ленин с товарищами по Петрограду в октябре 1917 года и обсуждают, когда поднять восстание. Вдруг сзади появляется бровастый мальчуган:
- Двадцать пятого, дяденьки, только двадцать пятого.
- Погоди, - спрашивает Ленин, - а как тебя зовут-то?
- Лёнькой.
設問)オチが分かるように訳せ。

Posted by SATOH at 13:57 | Comments [3]

2008年06月12日

●新帯研 第24回

日本人でロシア語が一番できるのはだれかと問われれば、30年前なら躊躇なく上智大の染谷茂教授を挙げただろう。文法から隠語の知識に至るまでかなう人は今でもいないだろうし、誰からも異存は出ないであろう。ところが現在はとなると、そう簡単ではない。ロシア語ができる人というと、それは大学の先生だと考える人がいるかもしれない。確かに大学の先生や語学学校の先生方は教えるのはプロだが、自分で使うロシア語の能力となると、学校の英語の先生の例でも分かるように会話などでは心もとないという人が多いようだ。ロシア語の能力を仮に4つ、露文和訳、露話通訳、和文露訳、和話露訳に分けて考えてみると、露文和訳についてはロシアソ連文学の翻訳者の諸氏が一番であろう。露話通訳ならプロの通訳の諸氏、和文露訳はあまりいないが、例えば2001年ロシア大使館の河東公使が熊野アキラのペンネームでЗа даль земли. Повесть об Ильеという1993~1994年のロシアを舞台にした小説をロシア語でВагриус社より出版されたという。私は残念ながら読んでいないが、この方などは和文露訳では一番であろう。和話露訳となると、現役のロシア語ガイド、通訳ということになる。これで分かるようにお金をもらうプロでないとその道の一番にはなれないと思う。真剣さが違うし、恥をどれだけかいてきたかというのも実力向上には必須だと思うからだ。ロシア語が一番できるというのを、上記の四つの分野のいずれかと考えるか、あるいは筆者のように4つの総合的な力を評価したいと考えるかは好みによる。別に4つではなく、技術関係、ロシア史とか、文法、ロシア哲学とかなどと細分化して考えればなおのことである。ただロシア語を読む、聴く、話す、書くという能力は基本であり、この一つにでもロシア人と普通にコミュニケーションが取れなければ、プロとしては問題だろうと思う。自分の好きな分野で流暢に話したり読んだりということは5年もロシア語を一生懸命勉強すれば不可能ではない。通訳、翻訳者、語学の先生などのプロは自分の好き嫌いにかかわらず仕事をせねばならないわけで、それに対応できるだけの語学力をつけるには10年では不足だろう。
- Какая страна самая целомудренная?
- Советская Россия, так как она ни с кем не имеет никаких сношений.
設問)オチが分かるように訳せ。

Posted by SATOH at 10:12 | Comments [1]

2008年06月09日

●新帯研 第23回

今評判の「カラマゾ-フ兄弟の翻訳をめぐって」(大島一矩、光陽出版社、2008年)を読んだ。基本的にロシア語ができる以上ロシア文学はロシア語読むことにしているので、和訳では読んだことがない。例外はソルジェニーツィンの「収容所列島」で、40年前学生の時に、隠語辞典が手に入らなかったこともあり、これは和訳で読み、後に原語で読んだ。そういう意味で大学者たちの和訳の比較ができる機会を与えてくれた著者には深く感謝したい。5か所ほど自分でもっと調べてみたいなという個所はあるものの、それ以外はなるほどと感心するのみである。これまで大学者たちが「カラマーゾフ兄弟」の和訳をしてきたわけだが、中には同じようなミスをしており、訳を参考にしたのが裏目に出た(124ページ)ように思えるのもある。その中のある翻訳者などは自分の訳に絶対間違いがあるはずがないと豪語していたのだから失笑するばかりである。訳している日本語の文章に引きずられて、語義を正確に露露辞典で確認するのを怠ったのだとしか思えない。完了体の訳がおかしいと著者が指摘したところが2か所(131ページ、337ページ)ある。別にむずかしい用法でもないからどうなっているのだろうと首をかしげざるをえない。著者が誤訳を指摘した箇所は100ほどだが、これは目についたものを挙げただけで、本気で最初から著者がチェックしたらこの何倍も、何十倍も見つかった可能性が高い(もっともそんなチェックに金を出す人はいまいが)。村上春樹氏が新聞に書いていたが、自分の小説はあとで直そうと思ったことはないが、翻訳は何度でも機会があるなら手を入れたい、間違いというのは誰にでもあるからだと書いているのは当然のことだと思うが、立派な見識と思う。ロシア語の大家ですらこうなのだから、自分などはまだまだ精進する必要があるなと心した次第。著者のこつこつとした努力には頭が下がる。大学でなくとも、市井にこういう大ロシア語専門家がいるというだけで心強い限りである。
ドストエーフスキーやチェーホフは日本でもファンが多いが、語学を覚えるのは日常の決まり文句から覚えていくわけで、語学の授業にチェーホフなどの大作家の文章を講読としてやるのはいかがなものか。偉大な作家になればなるほど、独自の表現が多く、ありきたりの語句は使わない。無論語彙がкрылатые слова(名言)になったものは別だが、語彙を多く覚えるためには、露文解釈の教科書には、かえって二流作家の本のテキストを使うほうが分かりやすい。つまり映画化やテレビ化されるような探偵小説などがよいと思う。美しいロシア語が分かるには、あるいは勉強するには、一般的なロシア語が自分の中にできあがってからでよいと思う。今回の課題は、
Двое приятелей разговаривают:
- Моя жена – просто ангел.
- Везёт тебе! Моя ещё жива.
設問)和訳せよ。

Posted by SATOH at 12:37 | Comments [1]