2008年06月16日

●新帯研 第25回

詩が現代の歌謡曲にとって代われないのは、歌謡曲には歌詞のほかにメロディーがついており、歌詞の内容が具体的にイメージしやすい(感情的な面で)ということもあるだろう。これは文学が映画やアニメ(漫画)に取って代われたのと軌を同じくする。分かりやすいものへと移行するのは水が低きにつくのと同じである。万葉の歌垣や万葉の歌は庶民のものだが、それとて即興のメロディーがついていたと思う。エセーニンの詩は好きだが、その中でも好きなのは歌になっているКлёнやПисьмо материなどである。メロディーがつくとイメージが固定するというような危惧もあるが、よいメロディーならそれはそれでよいのではないかという気がする。文学や詩を味わうには、想像力が必要ということで、歌にもいい歌、悪い歌というよりは、自分の好みの歌というのがあるのだから、詩はメロディーがないだけ、自由に自分のイメージを膨らませる事ができるはずだ。もっとも常人にはそういう鍛錬が必要だとは思うが。
Из мемуаров старого большевика, изданных в 1970-е годы.
- Помню, идут Ленин с товарищами по Петрограду в октябре 1917 года и обсуждают, когда поднять восстание. Вдруг сзади появляется бровастый мальчуган:
- Двадцать пятого, дяденьки, только двадцать пятого.
- Погоди, - спрашивает Ленин, - а как тебя зовут-то?
- Лёнькой.
設問)オチが分かるように訳せ。

Posted by SATOH at 2008年06月16日 13:57
コメント

お久しぶりです。ご無沙汰しているあいだに同級生が増えたようで嬉しいです。ところでtakahashiさんも健在でしょうか?サボっている間に頭がさびついてとんでもない回答(怪盗)になったかもしれません。

(回答です)
1970年出版の古参ボリシェヴィーキの回想録から。
「覚えてますよ。1917年の10月に、レーニンと同志達がペトログラードの街を歩きながら武装蜂起はいつがいいか相談していたんです。すると突然背後から眉毛の濃い少年が現れたんです」
「25日だよ。おじさん達、25日をおいてないよ」
「待ちたまえ、君の名前は?」とレーニンが質問すると、
「鼠小僧次郎吉」

この世界のことはまったくの無知でした。今回の出題を機に少しЛёнька Пантелеевについて調べてみました。いい勉強になりましたし、とてもおもしろかったです。かなり数奇な運命の人のようです。上記のアネクドート時の少年の年齢は15歳ということになるのでしょうか。オチの名前は「怪盗ルパン」にするか「石川五右衛門」にするか「鼠小僧次郎吉」にするか悩みましたが、日本人向けのアネクドートであること、義賊ということから鼠小僧次郎吉をとりました。いずれにせよ、どこまでが事実でどこまでがうわさの類かは定かでありませんが…

Лёнька Пантелеев、本名 Леонид Иванович Пантёлкин。1902年生まれ。1919年、赤軍に志願兵として入隊。21年に除隊。同年7月ВЧК(チェカー)に入る。1922年に人員削減で解雇。その後(?)盗賊の道へ。「ペトログラードの義賊」として名をはせる。襲撃の際にはまず参上の合図に空砲を撃ち、名を名乗ったとか、ネップマンの夜会の席上にモーニング姿で現れ、名乗りを上げ、ネップマン達から金目の物を没収して消えていったとか。一度Кресты刑務所に収監されるが脱走。1923年2月、逮捕の際殺害。
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パンチェレーエフの名が出てきたのには正直いってびっくりしました。残念ですが違います。ヒントは「眉毛の濃い」と「リョーニカ」です。つまりブレジネフのことをいっているわけで、ブレジネフ時代の一種のブレジネフ崇拝をからかっているわけです。第二次世界大戦の作戦でもスターリンが眉毛の濃い青年将校にドイツへの反攻の時期について指示をもらうという小話の類です。御承知のように10月革命でレーニンに貴重なアドバイスを与えたというブレジネフ神話をからかったものです。リョーニカはブレジネフの名レオニードの愛称Лёняの卑称です。私の訳は、
1970年代に出版された古参ボリシェビキの回想録から、
「忘れもしない、レーニンが同志たちとともに1917年10月にペトログラードを歩きながら、いつ決起すべきか論じ合っていたんだ。突如後ろから、眉の濃いガキが現れたんだ」
「25日だよ、おじさんたち、25日しか駄目だよ」
「待て」とレーニンは少年に「名前は何と言うんだ?」
「リョーニカ」

パンチェレーエフは実際は義賊ではなく、ЧКの息のかかった強盗で、警察との撃ちあいで射殺されました。当時のペトログラードを恐怖に陥れた強盗で、市民に本当に死んだといくことを納得させるため死体は何日かさらされ、その写真もあります。ネップマンを狙ったのは事実ですが、それはネップマンが金を持っていたからです。「ネップマンの夜会で云々」というのは検事上がりの作家シェイニンの捏造です。彼はキーロフ暗殺事件の担当検事で、その関係から二度収容所に送られましたが、無事出所しました。30年代の犯罪者の更生とか(実際は取り締まりが厳しくなったため収容所に避難したというのが正しい)、ありもしないことを書いたりしていました。当時は社会主義に犯罪はないという建前なので、彼の本ですら極秘扱いでしたから、本当のことは書けなかったというのが真相でしょう。ЧКから人員整理で解雇されたのではなく、強盗をしたのがばれたからです。脱走もЧКとのなれ合いのようで、この部分は映画化されています。

Posted by メイ at 2008年06月19日 18:38

先ほどのコメントで一番基本的なレスが抜けておりました。ちなみに1917年10月25日はあのロシア革命(臨時政府打倒)勝利の日です。(ユリウス暦)。失礼しました。

Posted by メイ at 2008年06月19日 19:03

いや~恥ずかしい。思いっきり笑えますね。
ここまではずした怪盗(回答)だともう開き直るしかありませんね。  ┐(’~`;)┌
そういえばブレジネフもЛеонидでした。眉も濃いですし。こんなにヒントがあるのに見事まちがえたのは、一面でさとうさんが犯罪関係に興味をもたれているのがわかっていたので、「間違いない!」と確信したせいと思われます。このジャンルのアネクドートがあるんですね。知りませんでした。勉強不足で失礼しました。
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メイさんのロシア語は実用で十分使えるレベルです。つまり自分の知りたいデータを調べ、まとめ上げるにはという意味でです。ここまでロシア語を使える人はそんなにいません。日本語もきれいです。今回は残念でしたが、これに懲りずに自分の気になるテーマ(できればロシアの大衆文化)を掘り下げて、サイトやブログで公開していただければ後進の人のみならずためになると思います。今回のパンチェレーエフ(本名Пантелкин)についてもしサイトだけで、調べ上げたのであれば、これはこれで大したものですが、サイトは(私のサイトやブログも含めて)独りよがりであり、一面的なものが多いです。それで義賊なども今後虚実よく本などで調べることが必要です。大衆文化で重要なのは、例えばネズミ小僧の一般的な活躍を歌舞伎や映画でまとめるというのも重要ですが、実在のネズミ小僧はどうだったのだろうとか、書いてあることは(サイトでも本でも)本当なのだろうかとという疑問をもつことが、さらなる進歩の糧となります。これは自戒の念もこめて申し上げます。

Posted by メイ at 2008年06月20日 23:52
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