2016年09月02日
2016年09月03日
2016年09月04日
2016年09月09日
2016年09月10日
2016年09月11日
2016年09月16日
2016年09月17日
2016年09月18日
2016年09月19日
●和文露訳要覧第102回
ロシア史については9世紀から現代までСоловьевやКлючевскийの著作を自分なりに読破し、それなりの知識はあるつもりだが、20世紀初めが弱いように感じていた。これはソ連時代の歴史家の著作(ポクローフスキーなども含めて)がソ連の御用学説ばかりで信用できないためである。革命前後についてはトロツキーの『ロシア革命史』(岩波書店、5巻)などを読んだが、内戦、特に赤色テロル関係のものが知識不足のように感じて、そういうものを最近読んでいる。古典とも言える『ソヴェト=ロシアにおける赤色テロル(1918~23)』メリグーノフ(発音はメリグノーフが正しいと思う)、梶川伸一訳、社会評論社、2010年で、これはロシア革命直後の赤色テロルに関する同時代人の証言による古典である。ただ虐殺の事実の羅列のみであり、レーニンの責任についてなど、赤色テロルを俯瞰的に述べられていない憾みがあるが、同時代という事考えるとやむを得ない。ただそれを補う解説が巻末についている。ミーシュカ・ヤポンチクМишка ЯпоничикやコトーフスキーКотовскийがヤクザや盗賊上がりのボリシェヴィキーであるとの記述もある。また『共産主義黒書<ソ連編>』、ステファヌ・クルトワ+ニコラ・ヴェルト、外川継男、ちくま学芸文庫、2016年は、赤色テロルにおけるレーニンの主導的役割を明確に示した好著。社会革命直後の農民反乱や緑軍について詳しく解説しているのがありがたい。ロシア語では『ロシアにおける赤色テロルと白色テロル(1918~1922)』Красный и белый террор в России、リトヴィーンАлексей Литвин, ЭКСМО, 2004があり、これは赤色テロルと白色テロルについて書かれている好著である。
出題)「うまくゆく見込みはあるのか?」をロシア語にせよ。
2016年09月22日
●和文露訳要覧第103回
私の父は徴兵され、北千島で整備兵だったときに、部隊全員がソ連の収容所送りとなり、バイカル湖の護岸工事に駆り出されたりしたが、運よく生きて帰国できた。そのためロシアやソ連に対しては複雑な思いがある。ロシア人と長く付き合っていると、酒の席などで領土問題などに触れざるを得ない場合もあり、日ソ中立条約破棄、収容所問題などもそうである。ソ連軍の背信行為などの話をすると、たいていのロシア人(モスクワやペテルブルグ出身者)はドイツ軍の残虐行為を語り、戦争はあってはならないという結論になるのだが、これがウラジオとかサハリン、極東出身者となると、シベリア出兵で何万のロシア人が巻き添えとなって虐殺されたかと逆襲される。1921年の尼港事件(ニコラエフスク・ナ・アムーレ)で700人の日本人(半数は駐留部隊で半数は民間人)が赤軍のパルチザンに虐殺されたことを持ち出しても、尼港事件では数千人のロシア人民間人も殺されたという事を祖父母から聞かされているなどという話を聞く羽目になる。尼港事件は赤色テロルの一環であり、その犠牲者にはロシア人のみならず、日本人もいたのである。
戦争直後日本人引き揚げ者がソ連の一方的被害者だったという我々の認識も、ロシア側にはロシア側の言い分があるということを、我々日ロ関係に従事する者は、双方の歴史的資料をよく読んでお互いの言い分をよく理解することが大切である。その一助になるのが、『ピコラエヴィッチ紙幣』(熊谷啓太郎、ダイヤモンド出版、2009年)である。尼港事件を背景にしたフィクションだが、一読の価値はあると思う。
出題)「エカチェリンブルグからバトンを受け取ったのはモスクワだった」をロシア語にせよ。