2016年09月22日

●和文露訳要覧第103回

私の父は徴兵され、北千島で整備兵だったときに、部隊全員がソ連の収容所送りとなり、バイカル湖の護岸工事に駆り出されたりしたが、運よく生きて帰国できた。そのためロシアやソ連に対しては複雑な思いがある。ロシア人と長く付き合っていると、酒の席などで領土問題などに触れざるを得ない場合もあり、日ソ中立条約破棄、収容所問題などもそうである。ソ連軍の背信行為などの話をすると、たいていのロシア人(モスクワやペテルブルグ出身者)はドイツ軍の残虐行為を語り、戦争はあってはならないという結論になるのだが、これがウラジオとかサハリン、極東出身者となると、シベリア出兵で何万のロシア人が巻き添えとなって虐殺されたかと逆襲される。1921年の尼港事件(ニコラエフスク・ナ・アムーレ)で700人の日本人(半数は駐留部隊で半数は民間人)が赤軍のパルチザンに虐殺されたことを持ち出しても、尼港事件では数千人のロシア人民間人も殺されたという事を祖父母から聞かされているなどという話を聞く羽目になる。尼港事件は赤色テロルの一環であり、その犠牲者にはロシア人のみならず、日本人もいたのである。

 戦争直後日本人引き揚げ者がソ連の一方的被害者だったという我々の認識も、ロシア側にはロシア側の言い分があるということを、我々日ロ関係に従事する者は、双方の歴史的資料をよく読んでお互いの言い分をよく理解することが大切である。その一助になるのが、『ピコラエヴィッチ紙幣』(熊谷啓太郎、ダイヤモンド出版、2009年)である。尼港事件を背景にしたフィクションだが、一読の価値はあると思う。

出題)「エカチェリンブルグからバトンを受け取ったのはモスクワだった」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2016年09月22日 00:29
コメント

Которая получила эстафет из Екатеринбурга, эта была Москва.
宜しく御願い致します。
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котораяと女性になる理由が分かりません。どのという意味なら名詞なしでの使用はおかしいと思います。эстафетуのはずです。またэта была Москва.というのは文法的に誤りです。это была Москва.とすべきです。私の答えは、Эстафету от Екатеринбурга приняла Москва.

Posted by さきちゃん at 2016年09月22日 06:37

(1) Эстафета была
вручена Москве от
Екатеринбурга.

(2) Екатеринбург
вручил Москве свою
эстафету.
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вручитьというのは、本来手渡しする、授与するという意味ですが、都市であることと、距離が離れていることからどうでしょう?

Posted by ブーチャン at 2016年09月22日 08:45

Москва приняла
эстафету от
Екатеринбурга.
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正解ですが、出題のようにモスクワを強調するなら文末に持ってきた方が自然です。

Posted by ブーチャン at 2016年09月22日 12:12

Получила эстафету от Екатеринбурга, Москва.
具体的一回でсвとしました。よろしくお願いします。
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カンマの使い方がおかしい。От Екатерибургаを文頭に持ってくればベターだと思います。получитьだとリレーで実際にバトンを受け取ったという感じになりますが、出題は比喩的なものです。

Posted by やま at 2016年09月22日 13:00

От Екатеринбурга эстафету получила Москва.
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正解ですが、比喩的な意味なので(リオの後は東京がバトンを受けたと言うように)、принятьの方がよいと思います。

Posted by Го at 2016年09月22日 17:33
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