2014年11月30日

●和文露訳指南第110回

идтиは歩くで、ехатьは飛行機以外の乗りもので行くという意味だということは初級で習う。ところがидтиは主語に乗りものも取れる。ただ定期運航というニュアンスが出るという違いはある。

(船はアストラハン行きだ)Судно идёт в Астрахань. <плывётも可だが、必ずしも定期運航ということではない。一方向のみの動作ということに注意>
(飛行機はキエフ行きだ)Самолёт идёт в Киев. <летит. も可だが、必ずしも定期運航ということではない。一方向のみの動作ということに注意>
(オートバイがこっちに向かってくる)Мотоцикл едет на нас. <オートバイは定期運航とは無関係だからか>

出題)「髪形は流行にも、その人の気分にも左右された」をロシア語にせよ。

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2014年11月29日

●和文露訳指南第109回

『背信の科学者たち』(ウィリアム・ブロード、ニコラス・ウェイド、牧野賢治訳、ブルーブックス、2006年)を読んだ。ルィセンコなどのデータ改ざんをした科学者列伝である。興味深いのは、その中に千円札にも描かれている野口英世が入っていることである。野口英世はアメリカ医学研究の創始者であるサイモン・フレクスナーに可愛がられ、梅毒、黄熱病、小児マヒ、狂犬病、トラコーマの病原体を培養したと報告し、当時としては驚異的な200もの論文を発表したとされるが、ほとんどの研究がその価値を失ったとある。野口については、非常に押しの強い、あくの強い、借金を踏み倒すのもなんとも思わないような人物だったらしいが、自分の名を挙げると同時に、師フレクスナーからの成果を出せという圧力や期待に応えようと一生懸命だったという一面もあったのかもしれない。

出題)「いくつから働き始めましたか?」をロシア語にせよ。

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2014年11月24日

●和文露訳指南第108回

体の本質を考えると不完了体は動作そのものということなのだが、これでは会話での和文露訳をする上で、どちらの体を使えばいいのかが分かりにくい。動作そのものということは文脈(状況)のニュアンスの色がついているとも言える。完了体は主観的動作であり、主観的な色がついているわけで、これを瞬時に見分けるのは難しく、良い例文を数多く学ぶという鍛練が必要である。

出題)「天津の新聞雑誌はバラエティーにとても富んでいた」をロシア語にせよ。この回答は都合で4、5日遅れます。

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2014年11月23日

●和文露訳指南第107回

会話でよく使われる動詞を覚えるのなら、数ではなく、使う頻度の高い運動の動詞、特にидти/ходитьの用法を徹底的に覚えることである。露和辞典には用法が30ぐらい載っているが、それをすべて覚えるようにする。運動の動詞と言っても覚えるのは、нести(軽いものを手で運ぶという意味で、ピアノみたいなものを運ぶのであればтащить), везти(載りもので運ぶ), вести(連れて行く)ぐらいでよい。参考書としては『ロシア語の運動の動詞』(原求作、水声社、2008年)や『Verbs of motion in Russian』(L. Muravyova, Russkii yazyk, 1975)を勧める。

出題)「してほしくないことを人にしてはいけない」をロシア語にせよ。

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2014年11月22日

●和文露訳指南第106回

Я родился от своей матери.(私は自分の母から生まれた)という文も、一見отが受け身の動作主を示しているとも考えられるが、родилсяは明らかに完了体過去形だから、考えすぎかもしれない。ちなみにродитьсяは完了体と不完了体が同形の動詞である。
しかし次のような例ではどうだろう?

(木の葉が風で揺れていた)Листья колебались от ветра.

出題)「節水にご協力願います」をロシア語にせよ。

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2014年11月21日

●和文露訳指南第105回

和文露訳を出題する上で学習者の実力を知るために一番いいのは、一段落ぐらいを訳させることである。そうすれば前後の文脈がより明確になる。学習者が何人もだとチェックする側が大変だということの他に、何か所も間違った場合、間違いのどれに集中していいか学習者の注意が散漫になるということもある。このコーナーのように短文であれば、実際上のチェックする上での便宜、つまり出題の狙いに対して回答者が正しく答えるかどうかを見るだけだから、基本的に出題者は楽であるし、回答者も間違えても、その間違いが何であるかに意識を集中させることができやすい。もっとも凡ミスは除き、短文で3か所も4か所も間違える人がいるが、こう人は考え過ぎなのであり、いろいろ考えているからかえってロシア語の上達も早い。また出題する側にとっても、出題の狙いとは違うわけだから、勉強になる場合が多々あるということも言える。いつも書いていることだが、何もボランティアという気持ちというよりは、自分の勉強のためにやっているわけだから、それはそれで有難い。

出題)「昨日は船の揺れが激しくてなかなか眠れませんでした」をロシア語にせよ。

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2014年11月20日

●和文露訳指南第104回

遂行動詞について日本語、ロシア語、英語にあることは確かだが、語義的に同じものが同じく遂行動詞として使えるとは必ずしも言えない。日本語の「分かりました」は確述(確言、確定)表現であり、「分かります」は遂行動詞である。遂行動詞は話し手の意思を伝達していることが分かる。完了体過去形はアオリスト的用法と結果の存続をどちらかを意味し、その違いは文脈に依存する。また不完了体現在形は現在の時制を示しているだけで、それが具体的な事柄か、任意の一つの動作や反復な動作かは文脈による。つまり完了体過去形の結果の存続と、不完了体現在形で具体的な事柄を扱うような用法(遂行動詞)は意味的に接近する。

I understand. = I see. = I got it. <最初の二つは遂行動詞で、I got it.は口語的表現>
Я понял (поняла). <結果の存続>
Ага, понимаю! У вас были романы.(なるほど、〔そのときは〕恋愛中だったのですね) <前の文脈に沿って、遂行動詞>
По глазам вижу, что ты говоришь неправду.(お前が嘘をついていることは目で分かる) <遂行動詞>

出題)「彼は何代目の社長ですか?)をロシア語にせよ。

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2014年11月19日

●和文露訳指南第103回

ロシア語における否定の体の用法で分かりやすいのは次のような例である。

Это он Макса убил, пока мы в лесу были. Я не убивал.(俺たちが森にいる間に、奴がマックスを殺したのだ。俺は殺っていない) <不完了体過去形を使っているので、過去における動作の全否定となるため、「人を殺したことがない」という経験の用法とも考えられるが、「俺はやっていない」という動作の無の確認であり、結果存続の無効であろう>

Я не убил ни одного человека.(俺は一人も殺していない) <完了体は具体的な1回の行為を示すので、普通は具体的な状況を示すが、この場合は否定の強調となる>

出題)「太陽は東から上がります」をロシア語にせよ。

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2014年11月18日

●和文露訳指南第102回

時の状況語と不完了体は相性が悪いと述べたが、不完了体と時の状況語が結びつく場合もある。これを詳しく説明すると、時の状況語を時間軸の特定かつ不動の一点を数学的に大きさのないもの(無限小)と捉えれば、完了体的アプローチである。理論上はともかく、現実には大きさのない点は存在しないわけで、その点に大きさがあると感じられれば、「期間内に」ということになり、不完了体的アプローチということになる。不完了体的アプローチでは、この時間的枠内であれば、動作は1回でもよく、またそれ以上でもよい。またある程度継続してもよいし、その時間内のいつということを明示しないということになる。明日завтраという時の状況語を動作が起こるという点だけに注目して、大きさのない点ととらえれば、完了体的アプローチであり、明日中(のいつかとか、何回とは意識しない)という期間内にと捉えれば、不完了体的アプローチとなる。体の用法は伝えようとする事柄への話し手の意識に関わってくるというのはそういう意味である。

出題)「寒さと暑さではどちらが楽ですか?」をロシア語にせよ。

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2014年11月17日

●和文露訳指南第101回

上級文法を知り、かなりの語彙を知っていても、それで自動的に会話ができるということにはならない。言葉の使い方、つまり語用論を会得していないと、いつまでたっても挨拶どまりか、ホテルのチェックイン程度である。もしホテルの部屋がダブルブッキングなんてことになれば、まったく使えないロシア語である。会話には会話用の勉強があり、それを理解することで、露文解釈の方の力もつく。

設問)「いじめられたり、人に悪意を感じたりする時はいつも、全ての人は神の子供であるという事を思い起こすようにしなさい」をロシア語にせよ。

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2014年11月16日

●和文露訳指南第100回

昔会社勤めをしていたころ、ある同僚が1円とか、10円とか、100円とか道に落ちていてもぜったいに拾わない。なぜならそれで自分の運を使い果たすような気がするからだと言っていた。20年以上前NHKにアネクドートを100話訳したものを送ったら(他にも10社ぐらいコピーを送付した)、担当者から話をしたいという事で呼ばれたことがある。NHKの近くを歩いていたら、財布が落ちていて、千円札が何枚か顔を出していた。普通なら拾うのだろうが、そのときはここで運を使い果たしてはいけないような気がして、拾わなかった。だからなのだろうか、アネクドートは採用されなかったが、NHKのラジオのロシア語講座テキストの後ろの穴埋めに半年ほど私のエッセーが採用されたことがある。あれで運は使い果たしてしまったのだろうか?!

出題)「水曜遅く台風は上海に上陸予定」をロシア語にせよ。

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2014年11月15日

●和文露訳指南第99回

遂行動詞も既知の状況を踏まえての、みなし反復の用法であり、それゆえ不完了体が用いられるのだと言える。次の文も着陸の許可を求めてきて、それに対する応答であるということがみなし反復となるのである。

(着陸を許可します)Разрешаю посадку.

出題)裁判官が裁判所での裁決で言う「異議の申し立てを却下する」をロシア語にせよ。

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2014年11月14日

●和文露訳指南第98回

否定の用法についてまとめてみると、完了体過去形はアオリスト的用法(派生としての結果の存続)、完了体未来形は不可能という用法の他に、具体的な一つの動作がないことを示す。不完了体過去形は動作の無の確認で、不完了体現在形は、動作が全くないこと(これには一つの動作がないことと、反復がないことの二つが含まれるが、どちらかは文脈による)。第85回にも述べたように、不完了体未来形の否定は、あくまで文脈という枠内の中において、その文脈で当然行われるはずの行為や動作を否定するのであって、完了体のように始めから文脈や場を度外視しているわけではないということである。つまり不完了体未来形は動作が未来において動作の無の確認であると同時に、いかなる状況においても動作がないという、意識的否定を意味する。完了体未来形の否定は具体的な一つの動作が未来において行われないという事を示すが、不完了体未来形の否定は具体的かどうかにかかわらず、一切の動作を否定するという違いがある。
P.S. 第96回の本文を若干訂正したので、ご興味のある方は一読願う。

出題)「私はこれを過去、現在、未来において信じる」をロシア語にせよ。

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2014年11月13日

●和文露訳指南第97回

『ロシア語動詞 体の用法』(О. П. Рассудова、磯谷孝訳編、吾妻書房、1975年)の124ページにある「Ⅱロシア語動詞の時制体系における完了体未来の特別な位置」には「完了体現在と完了体未来」とを分けて考えているという点で、ロシア語会話という観点から大いに参考になる。また近接未来ближайшее будущееは同書には、「発話時点のすぐ後に続くか、発話時点と融合した未来」とあり、完了体は報告や論文などにおける近接未来の表現で非常によく用いられると指摘されている。さらに、「ロシア語には、完了体未来形を不完了体未来形ではなく、不完了体現在形と対比しなければならない意味領域が存在する。とくに近接未来を表す場合に、不完了体の動詞は用いられないのである」とあり、これは不完了体未来形が近接未来では用いられないということであろう。なぜなのかを考えてみた。

 過去というものはすでに動作が終了しているので、終了したという確認は不要であり、そのため不完了体過去形は直近の過去でも使えるが、未来においては、動作が終了するという確証はその動作の結果が出るかどうかである。不完了体未来形は、動作の有無の確認だけで結果には言及せず、そのため未来における動作の不確実性が感じられる。近接未来というのは極端に言えば、一瞬後に動作が始まって終わり、一瞬後ゆえすぐその結果が出て、それが分かるというニュアンスであるが、不完了体では動作が終了するかどうかは文脈次第であり、いずれにせよ結果については示せないから、近接未来には用いられないということになる。近接未来については文脈依存性があれば、不完了体現在形の予定の用法が用いられる。

出題)「誰から聞いたとは言わないから、教えて」をロシア語にせよ。

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2014年11月12日

●和文露訳指南第96回

『和文露訳指南』4-2-1項の出だしに下記追記願う。

 完了体過去形にはアオリスト的用法があり、その派生として結果の存続という用法がある。完了体過去形という一つの形式に過去完了の完了と現在完了の完了という二つの用法があって、それを文脈により使い分けているということになる。同様に完了体未来形の完遂的用法にも、近接未来ближайшее будущее(発話時点のすぐ後に続くか、発話時点と融合した未来)で用いられる近接未来完了と、発話の時点と隔たっている未来で用いられる未来完了の二つの用法がある。近接未来完了には動作結果表出の想定というニュアンスがあり、発話のすぐ後に動作が起こるため、今というような副詞を除き、具体的な時の状況語と共には使われないことが多い。動作結果表出の想定というのは、動作が始まって終わるという動作の全一性の後で、何らかの結果のニュアンス(そこにそのままいるとか、結果の良否などの主観的ニュアンス)が発話の時点で想定されるという意味であり、完了体過去形の結果の存続と対比される。不完了体未来形は未来の時制の動作の有無の確認はするが、動作の完遂には言及しない。

(その仕事を終わらせる)Я кончу работу. <その仕事が遂行されて、やることがなくなるというニュアンス>
(〔終業時間なので〕仕事は終わりにします)Я буду кончать работу. <時間的に終わる区切りを指しているのであって、仕事自体は残る>
(今〔ここで〕お別れをして、もうお会いすることはありません)Сейчас мы с вами порощаемся и больше не увидимся.

 未来完了では具体的な未来の時の状況語をイメージする。未来完了においては未来において動作の結果が現れるが、それは発話の時点とは結びつかない。未来の時制における被動形動詞過去短語尾は、この未来完了の用法で用いられる完了体他動詞由来であり、近接未来完了では用いられない。

(彼は今日明日中に死ぬ)Он сегодня-завтра умрёт.
(彼は1年後モスクワに行く)Он уедет в Москву через год.
(日本は必ず復興する)Япония обязательно возродится!  <漠然とした遠い未来であっても、動作が完遂すると話し手が考えている以上、完遂に時点というものが必然的に成り立つと想定されるので完了体未来形が用いられる>
(欠席ないし遅刻に対しては罰が下されることになる)За небытие или опоздание будет взыскан.
(差額は発注者によりそれに応じて払い戻しされることになる)Разница будет возмещена соответственно заказчиком.

出題)「その場所は低地だったので、洪水のときはよく冠水した」をロシア語にせよ。

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2014年11月11日

●和文露訳指南第95回

『和文露訳指南』2-1-8項に下記追記乞う。

歴史的現在というのは、過去の出来事を本来アオリスト的用法で表現するはずの動作を、あたかも今眼前で起こっているかのような臨場感で示すために、刻々と動く今この一瞬が含まれているかのように表現するため、不完了体現在形が使われるということになる。

出題)「何か分かったらすぐ電話してくれ」をロシア語にせよ。

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2014年11月10日

●和文露訳指南第94回

『和文露訳指南』第5章の命令法の出だしに下記追加した。

不完了体は回りの状況に依存するので、願い事、説得、主張、反抗的態度、脅しなどの感情的な色彩をもつことがある。完了体は回りの状況に左右されないので、感情にも左右されないということになり、超然的なニュアンスがある。不完了体の命令法は、Продолжайте.(〔そのまま〕続けなさい)やОставайтесь.(〔そのまま〕残っていなさい)というように、現在の状態のまま動作をつけるということを示す事が可能だが、これもそのままにせよという指示は一瞬後であり、命令法では不完了体も完了体も時制的に言えば、早くて一瞬後とはいえ、これからの動作だから、未来の時制との関わりが強いと言えるため、未来の時制の体の用法が大いに参考になる。5-2-4項などその典型だろう。

出題)「大陸からの気団が寒冷前線となって太平洋上に張り出しています」をロシア語にせよ。

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2014年11月09日

●和文露訳指南第93回

『和文露訳指南』5-1-6項の出だしの部分を下記のように改めた。

 命令法においては現在の時制の反復といっても、動作はこれからになるので、厳密に言えば時制的には未来であり、ただそれが現在にほぼ接している時点以降を扱うか、現在とは距離を置いた未来の反復を扱うかという違いだけであり、扱う時系列的な範囲は重なる。この違いを示すのは、従属節におけるбытьの未来形の有無のみである。これは不完了体未来形が近接未来を表現できないことに起因する。下記の文でもбудетеがついていれば、現在とは離れた未来の時制の反復を意味するが、そうでなければ、現在とほぼ接した時点以降の未来の反復というニュアンスになるが、反復という動作に変わりはなく、会話においてはбудетеをつけようとつけまいと、このようなニュアンスを除いて意味に変わりはない。4-1-1-9項も参照。

(彼がつけ上がるようなら、たしなめなさい)Если он будет заноситься – одёргивайте. <Если以下の従属節が未来の時制の反復を示している>

(帰る時はいつも明かりを消して下さい)Всегда. когда (будете) уходить, гасите свет.

 上の文を「今日は」というような具体的な1回の動作にすると、下記のように、主文に完了体命令形が来る。

(お帰りになる時は明かりを消して下さい)Когда будете уходить, погасите свет.

 上記の文ではбудетеはこれからの動作である未来の時制を示すという点で必須であり、不完了体未来形は近接未来を示せない代わりに、未来の動作にある程度の時間の余裕を与えるという機能もある。また4-1-1-9項にあるように、文の焦点が主文の動詞погаситеにあるため、когда以下の従属節では未来の時制における動作の有無の確認であり、文の焦点がこないために不完了体未来形が用いられているとも言える。когда以下の従属節に完了体未来形が来ると順次的動作となって、帰る動作と明かりを消す動作が、継時的にあまり間をおかず行われることになり、この文では不自然である。

出題)「どんな魚の缶詰の人気が高いですか?」をロシア語にせよ。

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2014年11月08日

●露文露訳指南第92回

作家・宗教家フョードル・ストラーホフФёдор Страховによれば、ソクラテスは賢者を助産婦に例えた。助産婦は女性に赤ん坊を作らせはしないが、自力で出産する手助けをすると述べたと友人のトルストイは『読書の範囲』に書いている。このように教師の役割というのは生徒の学習における弱点を見つけ、それを指摘し、改善点を見出す手助けをするということにある。しかし大学や語学校で大勢の学生とともに画一的な授業を受ける場合や、自学自習ではなおさらそのような機会は得難い。和文露訳の短文課題は、ありがたいことに他の投稿者の回答があるので、間違いや改善点のちょっとしたヒントが与えられることにより、文が短いゆえに学習者自身が自分の弱点に気づきやすく、自学自習を助ける上で最善の方法の一つだと考える。

出題)今回だけ講演会の会場を借りた人にかける言葉「お帰りになる時に明かりを消して下さい」をロシア語にせよ。

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2014年11月07日

●和文露訳指南第91回

『和文露訳指南』3-1-10項の出だしに下記を追記した。

真理というのは過去から現在への反復や継続であるとも言える。「地球が太陽の周りを回る」といっても、遠い未来には太陽も地球も、この宇宙も消滅すると言われているから、未来のことは分からないが、少なくとも今現在は真理と見なす事ができるということと、真理は永遠性と慣用、無条件性を強調した概念というよりは、真理やものの本質の時制には、現在のこの一瞬も含まれるから、過去、現在、未来の時制でも不完了体動詞現在形が用いられる。

出題)「時間があれば僕が行ったのに」をロシア語にせよ。

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2014年11月06日

●和文露訳指南第90回

時の状況語と不完了体は相性が悪いと述べたが、不完了体と時の状況語が結びつく場合もある。これを詳しく説明すると、時の状況語を時間軸の特定かつ不動の一点を数学的に大きさのないもの(無限小)と捉えれば、完了体的アプローチであり、その点に大きさがあると感じられれば、「期間内に」ということになり、不完了体的アプローチということになる。不完了体的アプローチでは、この時間的枠内であれば、動作は1回でもよいし、またそれ以上でもよい。またある程度継続してもよく、その時間内のいつということを明示しないということになる。明日завтраという時の状況語を大きさのない点ととらえれば、完了体的アプローチであり、明日中(のいつかとか、何回とは意識しない)という期間内にと捉えれば、不完了体的アプローチとなる。体の用法は伝えようとする事柄への話し手の意識に関わってくるというのはそういう意味である。

出題)「現在本船の速度は何ノットですか?」をロシア語にせよ。

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2014年11月05日

●和文露訳指南第89回

『日本人と地獄』(石田瑞麿、講談社学術文庫、2013年)によると、地獄思想が日本で広く受け入れられたのは、10世紀末の往生要集が具体的に地獄を描いてからであり、地獄としての最初の発想は八寒地獄であったのが、八大(八熱)地獄の方が有名になっていったらしい。思うに、寒さがひどくなると眠くなって凍死するわけだが、熱さの方は暑くなる一方だし、日本には火山や温泉がたくさんあるから、具体的にイメージしやすかったからかもしれない。八大地獄というのは殺生などすると、等活地獄(罪障が尽きるのが1兆6200億年後)から、黒縄地獄(罪障が尽きるのが等活地獄の8倍後で、苛烈さは10倍)、以下罪障の尽きる長さと苛烈さは10倍で、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄と続き、最後の阿鼻地獄(これは罪障の尽きる期間が1千倍で、苛烈さは2倍)となり、各地獄には16の小地獄があると書かれている。人は生きている以上、肉食、魚食、野菜や果実を食べたりして生き物の殺生せざるを得ないわけで、そうなるとだれでも堕獄する(地獄に堕ちる)と考えるのが普通だ。そこで、地獄から救い出してもらうため、また後生を願うため、あるいは代受苦として(地蔵)観音さまなどに代わりに地獄での苦患(責苦)を少しの間だけでも代わってもらうため、僧侶に有難いお経を読んでもらって、回忌ごとに盛大に追善供養をしてもらうという発想なのだろう。

 話が長くなったが、これが日本人の伝統的な死生観だったはずで、聖者でもない限り、普通の人は中有(次の生を得るまでの中間的存在)にいて、次の生まれ変わりを待つということだと思っていた。死んだら天国に行くという発想はキリスト教との天国と西方浄土の極楽の混淆としか思えない。だから悪いということはないが、日本人の死後の宗教観が変化したということかもしれない。外国人に日本の宗教観を説明せざるを得ない身である以上、いろいろ書いてしまった。私個人は不可知論者であり、至高の存在というものはあるのかもしれないが、あったとしてもそういう存在がわざわざ人間に関わりをもつというのが理解できないし、ましてやお賽銭やお参りをすると神仏が喜ぶとか、そうしなければ機嫌を損ねるとか、祟るというのはまったく理解できない。お賽銭を上げる人も神仏の存在を信じているというよりは、もし神仏が存在していて、機嫌でも損ねたら困るし、ひょっとしてお賽銭で幾分かは幸運を分けてもらえるかも知れず、ダメ元といったところなのだろう。

 地獄ならいつかは年期が明けて、生まれ変わるか極楽にいけるという期待があるが、天国や極楽はそれ以上の場所がないし、いくら美人(美男)や美食が満ち溢れていると言っても、それだけでは退屈な場所のようだ。そこに行けたとしても、ずっとお教や聖書やコーランを読んでいなければならないのだろうか。死ねば終わりというのが私の考えであり、せいぜいのところ、死ねば無になるか、全ての根源たる宇宙と一体化するというところであろう。

出題)「私の言う事を最後まで聞いていただけるなら、それを例に示して解説します」をロシア語にせよ。

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2014年11月04日

●和文露訳指南第88回

新聞やテレビの報道などで事故や事件で亡くなった人の遺族や友人が、「故人は今頃天国で我々を見守っていると思います」というような発言をよく聞く。キリスト教徒は1億3千万人いるという日本国民の200万人くらいだから、こういう発言をする人は普通の日本人だろうと思う。亀井勝一郎は『日本人の精神史』第1部『古代知識階級の形成』の中で、飛鳥や奈良時代におけるいわゆる初期の神道では、死は穢れであり、死んだら山の彼方に行くとあるだけだと述べている。死が穢れだから、神社には墓がないし、私見だが、神仏習合というほど仏教と神道が日本人において密接なつながりを持っているのも、仏教が死に関わる葬儀や埋葬を引き受けているからだろう。『日本宗教史』(末木文美士、岩波新書)だったと思うが、江戸時代になって、神道も体系化され、死後人の魂は荒魂(あらぶる魂)となり、生きている人に害をなすので、これを鎮めるために供養をするが、それにより徐々に和魂(にぎたま)となり、33年経って(33回忌とかお釈迦様の生まれ変わる数の33に関係しているかもしれない)先祖の霊と一体化するとある。次回に続く。

出題)「昼食は何になさいますか?」をロシア語にせよ。

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2014年11月03日

●和文露訳指南第87回

『和文露訳指南』2-1-3項の前半分を下記のように変更した。

 不完了体過去形の用法には反復と、過程(при-という接頭辞のついた運動の動詞以外)の用法があるが、本項で取り上げる動作の往復の用法двунаправленное значениеというのは、完了体過去形に見られる結果の存続(3-2-1項)の用法のアンチテーゼとして生じた結果存続無効(3-1-12項)の一つである。動作やその結果が反対方向に向けられた動作や出来事によって容易に取り消されるような動詞の用法を意味する。この用法には、運動の動詞の不定動詞ходить, ездитьの過去形、および接頭辞のついた運動の動詞の不完了体動詞過去形、および対義語のある動詞群の不完了体過去形を用い、動詞の体のペアがある動詞である。例を挙げると、приходил = пришёл и ушёлは、<来たが立ち去ってしまって、今はそこにいない>を意味し、完了体過去形の順次的用法を意味する。同様に、входил = вошёл и вышел(そこに入って出て、もうそこにはいない)、заходил = зашёл и ушёл(立ち寄って、去った)、отходил = отошёл и подошёл(その場を離れて、又戻ってきた)、уводил = увёл и привёл(連れ去って、又連れ戻った)、уходил = выходил и вернулся(その場を出てから戻ってきた)などである。

 この用法では時の状況語と併せて用いられることができる。解釈は二つあり、一つは完了体の順次的用法の代用であるから、とんぼ返りを示す折り返し地点のような時の状況語と併せて用いられても問題ないはずだという考え方であり、もう一つは、このような動作の往復では、とんぼ返りのような動作には実際上ならないので、時間の状況語は無限小の時間軸の不動の一点ではなく、「期間内に」を意味するという考え方である。

 この用法では動作が往と復の二つあり、復の動作は往の動作と同じ内容だが方向のみが逆、つまり同価で符号のみ(+)が(-)に変わっただけの反復動作と考えられるので、2-1-6-1項のみなし反復として不完了体が使われると考えてもよい。

 ちなみに、この用法は反復、過去進行形(при-のついた運動の動詞群を除く)、動作の有無の確認と解釈される場合も文脈によってはありうるので、何でもこの用法だと決めつけてはならない。また歴史的現在の用法は実質的に順次的用法なので、時間軸の不動の一点と不完了体現在形が結びつくことになるので、これと混同しないよう注意すべきである。

(昨日僕のところに友人たちが来た)Вчера ко мне приходили друзья.
(1992年カザンに議員としてタタール議会にやってきた)В 1992 году приезжал в г. Казань на Татарский Конгресс в качестве делегата. <приезжал = приехал и уехалであり、1992年内に来て帰ったという意味>

出題)「サケマスは産卵に川に上る」をロシア語にせよ。

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2014年11月02日

●和文露訳指南第86回

完了体と不完了体の使い分けをより簡便にするために、『和文露訳指南』第1章の完了体の定義として、「完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージする」と書いたが、もっと簡単に定義できるはずだと、ずっと考えてきた。その思案をここに述べる。

 動詞の完了体の定義については、第67回で『ロシア語百科 Русский язык Энциклопедия』(Советская энциклопедия, 1979)にある、「完了体は動作の不可分の全一性の意義значение неделимой целостности действияを持つ〔マースロフ教授やボンダールコ教授の見解〕を紹介した。これは完了体が明示的な機能を持つという有徴性からのものであり、不完了体については「不完了体は動作の完遂завершённость действияの意味を持たないかもしれないし、持つかもしれない」というあいまいな記述をせざるを得ないことからもそれは理解できる。これは会話で和文露訳をする際にどちらの体を使うかを決めるには、まったく役に立たないことは明らかである。

 会話における和文露訳での体の使い分けを可及的速やかに、実用的に行うには、やはり完了体のもつ有徴性から考えて、完了体のもつ動作の不可分の全一性の意義という定義から出発するのがよさそうである。完了体が動作の不可分の全一性を意味するのであれば、中途の動作である過程を完了体は示せないことになる。しかし、動作の不可分の全一性だけでは、不完了体の遂行動詞、状態の動詞、予定の用法も動作の不可分の全一性を示すわけで、これだけでは不十分である。そこでもう一つの説「完了体は自らの抽象的な、質的な限界(そこに達すると動作が尽きるか、止むはずの臨界点)に達した動作という意味を持つ〔ヴィノグラードフ教授の見解〕」を考慮に入れれば、完了体は中途の動作である過程を示せないのは明らかとなる。

 つまり、「完了体は刻々と動く動作のその瞬間を表現できない」ということになり、これは過去、現在、未来、不定法、命令法、その他の表現においてもそうである。これが体の使い分けを行う上での大本であり、全ての個別の体の使い分けはここから発していると言える。またその瞬間の動作の表現は、他に代わるものがないから、やむをえず、不完了体が担うことになる。

 完了体過去形や被動形動詞過去短語尾の結果の存続の用法、また結果存続兼評価型動詞では、動作は既に終わり、動作の結果だけが示されているに過ぎないので、上の定義と矛盾しない。体の本質は同じであるが、その現れ方に強弱が出る場合もある。体の本質についてのお題目だけ唱えても、会話の和文露訳で体の使い分けができるようになるわけではない。第2章以下の個別の具体的な用法により動詞の体の用法を検証し続ければ、必ず体の本質の奥義を極められる。

出題)「彼がこの前村に来たのは54歳の時だった」をロシア語にせよ。

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2014年11月01日

●和文露訳指南第85回

『和文露訳指南』4-1-1-6項出だしに下記を追記した。

不完了体というのは場依存型であり、これを未来の時制の否定文で用いると、その文脈(慣習)により当然なすべきと考えられる行為や動作を否定するわけだから、慣習に逆らうことになり、そこから主観的ニュアンスが生まれ、意識的な行為や動作を示す事になる。注意すべきは、不完了体未来形の否定は、あくまで文脈という枠内の中において、その文脈で当然行われるはずの行為や動作を否定するのであって、完了体のように始めから文脈や場を度外視しているわけではないということである。

出題)「彼らは警察のお世話になったことがある」をロシア語にせよ。

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