2014年11月14日
●和文露訳指南第98回
否定の用法についてまとめてみると、完了体過去形はアオリスト的用法(派生としての結果の存続)、完了体未来形は不可能という用法の他に、具体的な一つの動作がないことを示す。不完了体過去形は動作の無の確認で、不完了体現在形は、動作が全くないこと(これには一つの動作がないことと、反復がないことの二つが含まれるが、どちらかは文脈による)。第85回にも述べたように、不完了体未来形の否定は、あくまで文脈という枠内の中において、その文脈で当然行われるはずの行為や動作を否定するのであって、完了体のように始めから文脈や場を度外視しているわけではないということである。つまり不完了体未来形は動作が未来において動作の無の確認であると同時に、いかなる状況においても動作がないという、意識的否定を意味する。完了体未来形の否定は具体的な一つの動作が未来において行われないという事を示すが、不完了体未来形の否定は具体的かどうかにかかわらず、一切の動作を否定するという違いがある。
P.S. 第96回の本文を若干訂正したので、ご興味のある方は一読願う。
出題)「私はこれを過去、現在、未来において信じる」をロシア語にせよ。
В это я верил, верю и буду верить.
よろしくお願いします。
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正解です。私の答えは、Я в это верил, верю и буду верить.
過去、現在、未来もという事を動詞の時制で示しているわけだが、過去、現在信じて、その路線上、つまりそういう文脈でということなので、不完了体未来形が来ていると言える。これが未来において信仰を変えるとか捨てるというのであれば、完了体未来形が来るという理屈である。
Я этому верил, верю и
буду верить.
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正解です。ただ与格は信頼する、言うことを信じるという意味の信じるであり、в + 対格は存在、価値、神、実現を信じるという違いがあります。
(お題)
私はこれを過去、現在、未来において信じる
(コーシカ訳)
Я верил(а) этому в прошлом, верю в настоящем и буду верить в будущем.
マヤコフスキィのレーニンの詩みたいにはいきませんが…
信じるのは長期に亘る動作もしくは状態なので
いづれの時制においても不完了体を用いました。
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間違いだとは思いませんが、くどくはありませんか?
Я этому верил, верю и буду верить.
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正解です。веритьの意味の違いに留意ください。
Я верю в это от прошлого в настоящее и к будущему.
過去から現在及び未来に至る継続(不完了体動詞現在形)
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過去から現在までは可能だと思いますが、状態の動詞ですし、その動詞の形態から未来は無理だと思います。
Я этому поверил,верю и поверю.
順に結果の現存でсв、継続でнв、完遂でсвとしました。よろしくお願いします。
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верюと現在の時制(状態の動詞)がある以上、結果の存続を使う必要はないのでは。完了体の動詞を使うということは、特に完了体未来形は新規の動作ですから、今まで信じていることとは違う動作をすることになるので、この点からも体の用法は間違っていると言えます。