2012年02月01日

●和文解釈入門 第257回

前回の出題は二重否定と部分否定の組み合わせで、「なくはない」というのは「ある」ではなく、「あるかもしれないし、ないかもしれない」という八方美人的な表現法であり、経営トップや政治家の通訳をするときに、覚えておかなければならない必須の表現法である。このほかに「前向きに対処します」があるが、これをМы отнесёмся к этому положительно (позитивно).と訳すと、ロシア人は文字通り、何かしてくれると取る。昔は日本人の庶民もそう理解したが、今ではこれはМы принимаем это к сведению.(承っておく、話だけ聞いておく、フンフン)という意味であることは分かっているので、そのように訳さないと誤解を招く。ただまれにビジネスマンで文字通りにこういう腹芸を理解せずに、そのままの意味で使う人もいるので、通訳途中で、「ほんとにやるつもりですか」と聞くわけにもいかず(私はどちらかよく分からなかったことがあり、何度か尋ねたことがある)、通訳泣かせというか、人を見る目が問われる表現でもある。

 色はцветだが、自然界で「色が変わる」はменять окраскуとокраскаを使う。色合い、色の組み合わせという意味で、毛皮、羽根、花など自然界の色は単色という事はあり得ず、こういう微妙な色をокраскаと表現するのである。詩はстихиだが、стихотворениеは歌謡曲の歌詞のように短いものを言い、поэмаは叙事詩である。
裁判での告訴や告発はобвинениеだが、比ゆ的な意味で用いるときはобличение царизма(帝政の告発)などとする。
妖精はфеяだが、神話によってもいろいろある。гном地の精、дриады森の精、наяды泉や川の精、саламандра火の精、сильф空気の精、ундины水の精、нереиды海の精などである。

設問)「サウナは風邪にも筋肉痛にも関節痛にも効く」をロシア語にせよ。

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2012年02月02日

●和文解釈入門 第258回

胃石безоар желудкаは胃から出ることが出来ない部分的に消化された物質、ないしは未消化の物質が密集したもの(胃石症)、またはアザラシ、アシカ、ワニ、草食性の鳥類が歯の代わりに胃で食べ物をすりつぶすために用いられる結石またはそのために飲み込む自然の石である。結石のほうで昔から価値があるとされるのには、漢方では牛黄、熊の胆があるが、ヨーロッパでは馬糞石безоар, безуйが有名である。これは馬の腸内結石(炭酸カルシウム、リン酸マグネシウム)で解毒、解熱剤であり、別名ペトラ・べゾアール、ヘーサラ・バサラ、鮓答(さくとう)という。ロシア史の専門家ザベーリン(1820~1908)の「ロシア皇后の家庭習俗Домашний быт русских цариц в 16 – 17 столетиях, Иван Забелин, Языки русской культуры, 2001の本文の注にこの馬糞石について書いてあるので、それを参考にこの石とロシアのかかわりについて書いて見る。

 中世にはこの石は全ての毒や病気に薬効があると考えられ、東方由来とされた。ロシアで翻訳された医学書によれば、この石は東インドよりもたらされ、色は灰色で、黒いのもあり、小さい。この石は海岸で見つかり、シカの心臓で生まれるが、蛇の胆汁中という説もあるが、いずれにせよ、この石は悪人の呪いに打ち勝つ最も強い薬である。賢者セラピオンは大麦12粒ぐらいの重さのを挽いたものを温めたラインワイン(白ワインであろう)とフランスの白ワインと共に服用し、ベッドでくるまり、汗をかけば効果絶大であると述べている。疫病のときも服用するか、持ち歩くと効能がある。指輪の中に入れて持ち歩けば、呪いを感じることが出来るし、感じたらすぐ服用すれば呪い除けとなる。

 1616年3月21日ツァーリ(ミハイル・フョードロヴィッチ)の最初の妃候補としてマリヤ・フローポヴァが選ばれた時に、国庫でヤロスラヴーリの人ナザーリー・チストーフから215ルーブルで3個の馬糞石を買い上げたと記述がある。これは多分解毒剤としてであろう。彼女は間もなく病死したが、症状から見て大貴族サルトィコーフに毒殺されたという噂がある。石の効き目はなかったようだが、他に代わるものがないのだからしかたがない。王妃候補の毒殺というのは珍しいことではないし、王妃になってからも毒殺の危険はあった。イワン雷帝の最初の妻も大貴族に毒殺されたと少なくとも雷帝は信じていた節がある。ロシア正教内の改革により旧教徒との対立の原因を作ったニーコン総主教も流刑された時には、毒殺を恐れ、神の恩寵により馬糞石のおかげで生きながらえているという手紙を残している。

 1625年に今のカザフ領にいたアッバース・シャーが金、エメラルド、ルビーに包まれた馬糞石30グラムを法会用に時のツァーリに贈ったとあるし、1626年にはカザンの人イストミーンから75グラムを国が購入とあり、1676年3月7日にも馬糞石の入った杯を用意せよという記述がある。
 クルーキンとブルィチェフの共著「イワン雷帝のオプリーチニキの日常生活」に、雷帝が二番目の妃が非常に疑わしい死を遂げた後、再婚するために1570年に花嫁選びの全国美人コンテストを行い、全国から選りすぐりの美人2000人を当時彼の宮廷があったアレクサンドローフスカヤ・スロボダーに集めた。まず着飾った姿を2、3名の腹心と共に雷帝が見て、話をし、気に入らなかった女性は彼のなぐさみものになり、輩下に払い下げられ結婚させられた。あるいは無慈悲に宮廷から追い立てられたりもした。結局24名が残り、それが12名となり、1571年6月26日自分の妃と息子のイワンの妃として選ぶために、医師の立ち会いの下、彼女らを素っ裸にして調べた。結局雷帝はワシーリー・ソバーキン(コロムナの地主)の娘マールファを妃として選んだ。これは雷帝の寵臣マリュータ・スクラートフの進言によるものとされている。ところがマールファは突如病みつき、2週間後他界してしまった。マールファは毒殺されたという風評が当時もあり、ロマノフ家かチェルカースキー家の手によるものだという。雷帝は少しがっかりしたが、すぐ大貴族の娘エウドーキア・サブーロヴァと10月28日に挙式した。このように解毒剤の需要は切なるものがあったのである。

設問)「大きさではミラノのスカラ座に次ぐ大きい新しい建物が1824年建設された。それゆえ、劇場はボリショイと呼ばれるようになった」をロシア語にせよ。

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2012年02月03日

●和文解釈入門 第259回

設問が難しいと考えて投稿を控える人もいるようだ。いわゆるやさしいと称する問題を作るのもそれほど簡単なことではない。例えば、「赤い花が咲いている」を出題したとする。答えはКрасные цветы цветут.だから、投稿する人数も増えるかもしれない。しかし、この日本語を見れば分かるが、日常会話でこのような文を使うだろうか?ロシア人と話していて、こう言いたければ、目の前の赤い花を指でさせばよい。目の前にこういう花がなくて、いきなりこのような文を言えば気違いと思われるだろう。初心者向けのロシア語作文には基本的な語彙を使う事、不完了体現在形を使うことなどの制約もありそうだが、そうなると出題しようとする日本語の文はまずます現実とかけ離れて行き、人工的な文とならざるを得ない。しかもほとんど実用にならないものである。このような初心者向けの文で少しでも実用性のありそうなものは露文解釈の教科書や参考書にすでにある。

 これまではロシア語作文というと、ある程度文法(それを中級文法と言いたければそれでもよいが)を終えた後は基本的に丸暗記する以外に道はなかったように思う。二十歳を越えたいい大人に対して、丸暗記しか残されていないというのはおかしい話で、自分で丸暗記のみの道を選ぶというなら別だが、普通は他にやりかたがあるのではないかと思うはずだ。ロシア語で会話したいなら、会話用に全てを丸暗記するのではなく、文法の助けを借りてその暗記の負担を少しでも減らすべきだというのが私のロシア語学習法の基本的な考え方である。だから設問は実戦で使え、かつ応用力があるものをできるだけ出題するようにして、難問とかひっかけるような問題を意識的に出すつもりはない。第257回の設問も時制的には不完了体現在形であり、反復という用法で分かりやすいものだが、ガイドをしていれば絶対に覚えておかなければならない語結合である。ロシア人と温泉に同行した時、薬、食べ物など広く使えるだろうと思い、出題している。

 全ての出題が個々の投稿者にとって必要なものだとは思わないし、特定の個人に対してではないので、的を絞った出題が出来ないのは事実ではある。これによって自分のロシア語の具体的な弱点を見つけ、今後の勉強の方向性を見定め、それに資するものがあればよいと思う。出題については、成功しているかどうかは別にして、出題の意図というのはある。これがなくして、ただ興味本位に出題するとするなら、あるいはそういうものがなくなったのなら出題を続ける意味はない。

設問)「狼に出くわせば人命にかかわる」をロシア語にせよ。

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2012年02月04日

●和文解釈入門 第260回

会話で日本語からロシア語にするときに、訳がまごつくものの一つとして「可能性(~できる、~できない)」がある。例えば、「ロシア語が話せますか?」をロシア語にすれば、Вы можете говорить по-русски?というよりはВы говорите по-русски?とする方が自然である。これはговритьにобладать способностью речи(会話する能力がある)という意味があるためである。

 さて、Печень не пальпируются.(肝臓が触診できない〔触診で分からない〕)、Кишечные шумы выслушиваются?(腸雑音〔腹部音〕は聴診できますか〔聴診器を当てて聞こえますか〕?)やКишечные шумы не выслушиваются.(腹部音は聴診器で聞こえない)は不完了体動詞現在形なのに不可能の意味が出ている。どうしてだろう?日本語のとロシア語の違いなのだろうか?そこで露露辞典で語義を辿って見ることにした。
 пальпироватьはисследовать больного посредством пальпацииであり、動作の中核はисследовать(調べる)である。この動詞は внимательно осматривать(よく見まわす)ということで、осматривать(見回す)はсмотреть(見る)という動詞から派生している。смотретьは「視線を向ける」направлять взгляд куда-либо; иметь глаза направленными на кого-либо, что-либоであり、視線взглядはнаправленность, устремлённоть глаз в сторону кого-либо, чего-лиго(何かに目を向けること)ということで、その核になる言葉は目という視覚器官である。またвыслушивать(聴診する)の方はもっと簡単に、元になった動詞слушать(聴く)からслух(聴覚)となる。感覚の意味を内在する動詞は当然その感覚の能力があるのが前提という事が分かるはずだ。ゆえに、訳語に可能性が出てくるのも当然となる。

 同様に、Я не понимаю.(分かりません)〔Я не пойму.というのは完了体動詞未来形の否定であるから用法的には文脈によるが不可能か、否定の強調である〕は「理解できない」ということである。「知らない」と言いたければ、Я не знаю.と言えばよい。понять/понимать(理解する)を上記同様露露辞典で辿ってみれば、уяснить себе, уразуметь смысл, сущность(意味や本質を自分に分からせる)ということであり、уяснить(分からせる)はсделать ясным, понятным для себя(自分にとってはっきりと理解するようにする)であり、ясный(はっきりしている、明確である)はхорошо видимый, слышимы, осязаемый, воспринимаемый; отчётливый(よく見える、聞こえる、触れる、感知できる、明確な)と感覚のオンパレードであり、感覚的に分かるいう意味である。つまり「分かる・分からない」というのも、後天的か先天的かは別にして知力ум = познавательная и мыслительная способность человека(人の認識能力や思考能力)という一種の能力であり、これが内在する語彙は訳語に可能性が出てくるのだと思う。
「分かる・分からない」を端的に示したものとして、病院で使われる文例にАртериальное давление не определяется.というのがある。これは一般的にこうだというのではなく、ある患者の血圧に関する所見である。これを「動脈圧は測らない」と訳せば誤訳となる。不完了体現在形に意志の意味はない。だから(動脈圧は測れない〔診断がつかない、分からない〕)と訳さざるを得ない。これの英訳はNo measurable blood pressure.(血圧は測定不可能である)となっていて、英語でも不可能で訳している。определять(~と診断する)はвыяснять посредством измерений, подсчётов, вычислять(測定や計算によって明らかにする、算出する)であり、выяснятьはделать ясным, понятным(明らかに、理解できるようにする)であり、だから過程の意味で使えば、Количество - выясняется.(数量調査中〔明らかにしつつある〕)ということになる。また受け身のвыяснятьсяはстановиться ясным, понятным(明らかになる、理解できるようになる)となる。つまり、この文を無理に言い換えればАртериальное давление не становится (делается) ясным.(動脈圧は明らかにならない)という事になる。ясныйが感覚全てを包含している形容詞であることはすでに述べた。だから、Пульс на сонных и бедренных артериях не определяется.(頚動脈や股動脈で脈が分からない、はっきりしない)とかИнфильтрат в молочной железе определяется чётко.(乳腺の浸潤〔物〕がはっきりと分かる、診断できる)となるわけである。

 結論として言えるのは、露訳をする上で、「~できる、~できない」を何でもかんでもмочьやнельзяをつければよいという事にはならないということである。感覚的な能力や理解力を語義に含む動詞は不完了体現在形だけで可能性や不可能を示すことができるし、その形で使うのがロシア語として自然であるということになる。

設問)医者から患者への問い「便秘(下痢)していますか?」をロシア語にせよ。

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2012年02月05日

●和文解釈入門 第261回

「会う」はвстретиться/встречаться с + 造格だが、встретить/встречать + 対格とどう違うのだろう?前者は「予定して会う」の他に、「出くわす」という意味もあるが、後者には「(偶然・突然)見かける」という意味の他に、「出迎える」という意味がある。

 「保つ、もつ」という意味では、Одежда из льна хорошо носится.(亜麻の衣服はよくもつ)とか、Сметана не стоит долго.(サワークリームは長く保たない)などと、носиться(衣服), стоять(食べ物)が使える。

 弁やバルブのうちклапанはポンプ、コンプレッサー、内燃機関や配管、パイプラインで使われるもので、流量を調節する(開閉も含めて)という意味がある。вентильは配管の開閉のみ(ストップバルブ、止め弁)で、ボンベбаллонなどのバルブはзапорный вентильという。кранはвентильと同義語で、配管の開閉(流路の方向調節という場合もあるが)であり、水道の蛇口водопроводный кранやサマワールの蛇口 кран самовараとしておなじみである。日本語でも蛇口をカランという人がいるが、これはオランダ語から入ったものと聞く。もっとも蛇口のカランというのは風呂でシャワーに切り替えるときに使うものである。золотникは蒸気機関、タービン、空圧機器、油圧自動機器などの作動流体の制御に使われる滑り弁slide valveである。ちなみに人体の弁もклапанといい、обратный ток крови через митральный клапан(僧帽弁からの血液の逆流)などという。клапанにはポケットなどのフラップ(ふた)という意味もあり、конверт с открытым клапаном(ふたの空いてある封筒)と使う。

 鉱山に対応する言葉はいくつかあるが、шахтаは立抗・傾斜抗、地下の有用鉱物採鉱システムの総称で、現在では地下鉄など地下作業の現場も指す。копиはрудникの古名、ないしは露天掘りの鉱山、рудникは鉱山会社、地下の有用鉱物採鉱システムの総称である。приискは貴金属の採掘場所で、золотые прииски(金山)、алмазные прииски(ダイヤモンド鉱山)、платиновые прииски(プラチナ鉱山)、медные прииски(銅山)などと言う。разработкаは有用鉱物の採掘場所を指し、карьерは露天掘り鉱山である。

設問)「寿司を食べるのは初めてですか?」をロシア語にせよ。

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2012年02月06日

●和文解釈入門 第262回

ロシア人の酒好きは有名だが、ピョートル大帝も引けを取らない。スウェーデンとの海戦などに勝利してから毎年勝利の日を祝うのだが、それ以外にも名の日とか、軍艦の進水式とか祝うようになった。名の日というのはロシア人の名はキリスト教の聖人にちなんでつけることが多く、ミハイル(大天使から)、ソフィヤ(知恵)、ヴェーラ(信仰)、ナジェージュダ(希望)、ピョートル(ペトロから)もそうである。革命前は自分の誕生日より盛大に祝ったものである。

 ピョートルは皇帝だから祝い方も特別で、その日は外国人も招いて朝の4時ぐらいまで飲み続ける。しかも客が帰ろうとしても帰さず、出口には番兵をつけて帰らせないようにしたとある。ピョートルはハンガリーワイン(トカイのようなものだろうか)やアニスウオッカанисовка(これは今でも売っているがうまいとは思えない)が好きで、フランスワインなど飲んでいるのを見つけると、大きな杯に二本分の瓶のいろいろな瓶の酒を入れ(ある外交官はそのうち1本はウオッカだろうと推測している)、つまりチャンポンで飲ませ、寵臣のメーンシコフでさえ、泥酔して倒れ、かいがいしい奥方の看病で何とか息を吹き返したという。ピョートルは客が泥酔するぐらい飲めば、心から客が楽しんだことになりロシアの軍艦建造の成功を喜んでくれるという考えだった。

 彼は何かあると大鷲杯кубок Большого (Великого) орлаという1リットルも入る罰杯を人に飲ませた。中身はハンガリーワイやウオッカで、多くはそれらのチャンポンだった。その1リットルを一気飲みさせるわけである。ドルゴルーキー公(有名な外交官の父)はロシア人にしては珍しく酒の飲めない人だった。1710年に70歳を過ぎて再婚してから4日目のいつもの酒宴で、飲みたくないので幾分かは酒をこっそりこぼして知らんぷりをしていたが、それをピョートルに見つかり、750 ccの酒を一気に飲まされた。彼はその場で倒れ、その1時間後に亡くなったという。ピョートルは大いに悲しんだが、酒が悪いとは考えなかったし、皇帝というのは文字通り臣下の生殺与奪の権利を持っていると心から信じていた。

 同じような話で、クリュイス提督とゾンメル副提督はお互いいい歳をした年寄りだったが、ピョートルの開いた酒宴で飲み過ぎて、二人で殴り合いの喧嘩となり、殴られて倒れたゾンメルの頭からカツラが取れてカツラが行方不明になったという。カツラもピョートルが西欧から取り入れたもので、彼自身はカツラを好きではなかったが、冬の寒い日など礼拝に出席するときに、よくカツラを忘れたピョートルは手近にいる人から自分の頭の大きさに合うかどうかには関係なく、カツラをむしり取って自分の頭にかぶせ、礼拝が終わると相手に丁寧に返したという。彼にとってカツラは寒い時の帽子代わりだったらしい。

設問)「このブツブツ(発疹)は季節的なものですか?」をロシア語にせよ。

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2012年02月07日

●和文解釈入門 第263回

会話での露文和訳および和文露訳というのには、日本語とロシア語の知識が多いほどよい。どちらかが偏っていると、文字通り偏見のもとになる。これは理屈ではともかく、実際よく分かっていない人が多い。これは二つの言語に同じくらい精通している人が少ないからだろう。しかも言語と文化は切り離すことができないし、文化と言っても本で読んで得られるものと、そうではない大衆文化があるからなおさらである。和文露訳の上達のために、現実的には日常会話ができる程度のロシア人に自分が作ったロシア語を見てもらうという事が多い。そうなるとそのロシア人はほとんどロシア語しか見ない、というか元の日本語が読めたとしても、ロシア語の方に目が行き、そのロシア語だけで判断してしまうということになりがちである。医療や技術関係の表現など万国共通のものはよいが、日本やロシアの文化がからんでくれば、単純な思い込みで、間違いが紛れ込む可能性は大きい。文化だけでなくとも、日本語の時制や単数・複数、それにロシア語の体の用法を完全に理解していないと文のニュアンスが分からないことになる。

設問)「この前血圧を計ってもらったのはいつですか?」をロシア語にせよ。

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2012年02月08日

●和文解釈入門 第264回

ロシア語でヴォールворというのは泥棒のことだが、ヴォール・ザコーニェвор в законеは今やロシアアカデミーの最新版露露辞典にも載るくらいロシアでは一般的になった。ヴォール・ザコーニェは口語ではヴォールと略されて使うのが普通で、泥棒と紛らわしいが、ヴォール・ザコーニェはケチな泥棒などはしない。自分でする必要がないからである。その歴史については、「ロシア小話アネクドート」と「ロシアのジョーク集」にゴロツキ(五露助)成金として分けて書いた。ヴォール・ザコーニェ(以下ロシア語の口語通りにヴォールとする)は日本語に訳せば日本の顔役、任侠、侠客、極道、渡世人、無頼という感じだが、犯罪エリートの階層であり、だれでもなれるわけではなく、なるには実績が要るし、二人の推薦人も要る。

 日本人でもソ連時代の収容所を経験した人の中には、ヴォールについて描いている人もいる。「ロシア無頼」(内村剛介、高木書房、1980年)にЧеловек есть?とヴォールが房に来て尋ねる場面がある。直訳すれば「人間はいるか?」だが、человекは隠語でヴォールвор (вор в законе) のことで、урка, уркаган, блатнойともいう。つまりヴォールは自分たち以外を人間と見なしていないから、「仲間はいるか?」と尋ねたわけである。つまりトーシローфраерはヴォールにとってカモでしかないということになる。

 ヴォールは当時40歳を超えて生きるのは稀だとされた。抗争事件で殺されるか、ヤク中になるかどちらかだったのである。ヴォールの残虐さについては「GULAG」, Anne Applebaum, Doubleday, 2003やシャラーモフШаламовの「コルィマー物語Корымске рассказы」でよく語られているが、ソルジェーニーツィンの「収容所列島」にも草創間もないころのヴォールについて描かれている。ちなみにヴォールは1930年代の初めの収容所(場所は特定できないがソローフキСоловкиなど特別収容所の可能性が高い)の中で差し入れなどの関係から、犯罪エリートが自分たちを守るためにできたと考えられている。

 1947年冬クラスノヤールスク収容所に40人の日本人将校が戦犯として移されてきた。この収容所では囚人は森林伐採の作業をさせられていたが、厳寒の候でもあり、ロシア人でもその寒さに耐えるのは大変だったとソルジェニーツィンも書いている。そこには作業拒否者отрицаловкаという筋金入りのヴォールが何人かいた。ヴォールには18条の掟があり、その中に犯罪以外のしのぎ(稼業)はしてはならないという一カ条がある。それを厳格に守れば当局と揉めるわけで、当然相当の覚悟がいる。後になって1980年代から経済マフィアが実権を握るようになると、この掟は無視されるようになった。ヤクザも霞を食っては生きていけないのである。

 このヴォールは入ってきた日本人捕虜を何人か丸裸にして、パンを取り上げた。それに怒った近藤という大佐は二人の将校とともにその夜収容所所長のもとを訪れ、流暢なロシアで、もしこの無法を放置しておくならば、明日日本人二人が切腹をする。それでも無法が止まなければ、切腹を続けると話したところ、所長のエゴーロフは事態の深刻さを即座に理解した。日本人の命を憐れんだのではなく、これが上に知られれば、自分もただでは済まないことに気づいたのである。かといってヴォールを処罰して彼らとももめごとを起こしたくもない。当時イヌ(スーカ、直訳は牝犬)сукаという同じ犯罪者でも、当局と慣れ合い密告者としての役割も果たしていた集団があり、これは明らかにヴォールの掟の中の、当局とはいかなる協力もしない、軍務にも服さないという掟と抵触する。そのためヴォールとスーカの間に当時すでに激しい抗争が始まっていた。ヴォールともめ事を起こせば所長といえども殺される可能性があるわけである。そこで次の二日間日本人を作業に出さず、十分食事を与え、別の収容所に移送した。これはヴォールに勝利した珍しい例としてソルジェーニツィンはほめて書いている。正に日本人の誇りである。

設問)「昨日彼女はなぜかいつもより早目に会社から帰った」をロシア語にせよ。

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2012年02月09日

●和文解釈入門 第265回

私が世の中で一番幸せな人だと思うのは、コンビニに入って好きな食べ物をなんでも気にせず買える人である。若いころは安いものでもお腹いっぱい食べることが出来た。今だって身体に特に悪いところはないのだから、コンビニにあるくらいのものなら、お金を気にせずに何でも買って食べようと思えば食べられるが、余計な教養が邪魔をする。その教養と言うのは長年の健康オタクとしての知識である。毎日特に痛いところもなく、不眠症も便秘も下痢もない、それには親に感謝しなければならないが、自分なりの努力もある。そのためには我慢が必要な事を身にしみて感じている。血圧とか中性脂肪、コレステロールとか考えると、コンビニで買えるのは、おにぎり1個か、野菜サラダ、ヨーグルト、野菜ジュースぐらいだろう。そういうことを考えずにコンビニで買い物ができる人がうらやましい。ただ世の中楽ばかりはない。つけは必ず回ってくる。

 健康でいたいのも、毎日痛みのない生活をしたいという理由からである。ロシア語の辞書は重い。目の前にあるもので毎日使うものだけでも、40冊くらいある。ストレッチや早歩きなどの運動を毎日しないと、毎日8時間から10時間は座って読書をすることが多いので、体が持たない。その楽しみのために健康第一なのである。しかもその運動はアスレチックに通うとか有料のは、生まれつきのケチのため駄目で、タダのしか興味がないから選択も楽だ。目的があるからこういうのも苦にならない。今の願いはできるだけ長くボケないで生きて、ポックリ逝くことである。体も歳を取って悪くなるのだろうが、徐々にではなく、いっぺんにガタがくるという方向で頑張ってみたい。

設問)「臭いをかぎわけるのは得意ですか?」をロシア語にせよ。

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2012年02月10日

●和文解釈入門 第266回

ロシア語の勉強という事を考えると小さな商社に入ってよかったと思う。というのは自分の意思に関わらずいろいろな部署に配属されたことである。初めは重工船舶部で新造船を、後に修繕船(修理船の専門用語)もやり、といっても商社に入ったが営業はせず、技術通訳専門だった。ソ連向け船舶がだめになると、鉄鋼部の技術通訳を経て、機械部の営業に行く。そこでは工具、スノーモービル、漁労機械、在庫になった化粧品、遺伝子交換用の酵素などもろもろを担当した。

 日本でもロシア駐在でも大商社や中商社の担当には秘書がつくが、小さな商社では何でも自分でしなければならない。大商社の人が駐在しても電話は秘書がかけて、相手が出てきてから話をすることになるし、ビジネスレターも秘書が書いてくれるから話すのはともかく書くロシア語は上達しないのである。小さな商社で秘書と言っても所長の秘書だけだから、時間の空いているときにロシア語の質問をし、自分で作ったロシア語のレターを見てもらったものである。また当時あるソ連の公団は電話がつながりにくく、自動で電話かける器械が導入されたことがあったが、3ヶ月で壊れるありさまだった。電話がつながっても、相手のロシア人は席を外しているのがほとんどで、いつ戻ってくるのか分からないから1時間後に掛け直すというありさまである。これが駐在員の仕事だろうかと不思議に思ったことも何度かある。こういうことは大手の商社の人には分からないだろうと思う。

 別の会社に移ってからは、それまでは日本からの輸出ばかりの担当だったが(駐在のときにスクラップを少しやったことがあるが)、合金鉄の輸入、中古プラントの輸出などをやった。大手の商社であれば、一つの部から動くことはなく、鉄鋼部に配属されて、それから化学プラントに移ることなどはあり得ないから、語彙も狭く深くなる。私のは広く浅くの典型である。その証拠に今でも、昔の化粧品の通訳のとき出た「肌のきめ」はстроение кожиというのは覚えている。

 そういう意味で医療関係のロシア語ではイスクラという商社の社員の方がベストだと思うが、私もほんの少しだが医療器械を輸出したことがあり、いくつかソ連やロシア、カザフスタンの病院を回ったことがある。また家族で駐在していたころは娘が幼いので通訳も兼ねて病院へはよくついていった。病名や医療器械というのは英語(ドイツ語)から来ているから、調べるのはそれほど難しくない。露和の医学辞典や露英医学辞典も何冊か持っているからなおさらである。ロシア語の語尾で-титとなるのは英語の-itisの可能性が高く、そうなると「~炎」と訳せる。例えばнасморкは鼻風邪で、専門用語では鼻炎ринитだが、英語はrhinitisである。ロシア語として難しいのはこういう病名や医療機械ではなく、体の用法や複数・単数の使い分けである。モスクワやアルマトゥイ駐在当時に病院の会話(医者と患者のやり取り)で使う文例をかなり集めて、ロシア人の医師や看護婦、多くはロシア人の秘書になぜこの体を使うのかとか、なぜ複数が出てくるのかと聞いても、「こうしか言わない」の一点張りであり、これ以上聞いても無理であり、結局丸暗記しかないとあきらめた。

当時も今もロシア人や日本人のロシア語専門家への伝手もないし、それに関係する論文を知る手だてもない。故新田實東京外大名誉教授には晩年メールをいくつかやり取りして、文法について教えを乞うたこともあったが、やがて亡くなられてしまった。この何年か真剣に自分で体の用法や単数・複数の勉強をやりだして、いろいろな参考書も手に入り、かなり理解が進んだと思うので、昔書き記したその医療関係の文例も含めて、いろいろな会話の文例を今整理して、エクセルに入れているところであり、そのいくつかを皆様に紹介しているわけである。会話における体の用法や単数・複数の使い分けというのはアカデミーの世界では常識なのかもしれないが、一般向けの参考書ではそれについて書かれてあるのは数えるほどしかないし、例文もドストエフスキーやトルストイのがあったりして、19世紀の、しかも露文解釈用の文法書としか思えない。あくまで書かれてあるロシア語の分析用だからである。例えば、「明日商談にお伺いします」という文を日本語にするには、時制は未来だというのは分かるが、その後どうすればいいのだろう。「伺う」は「行く」の謙譲語だという事は分かる。「商談に」はどの前置詞を使えばいいのだろうとこの短文に対しても、普通の文法書は答えてくれていないように見える。答えはあるのだが、それを探すのはかなり文法をやった人でも難しいし、これでよいのかという確信もその文法書は与えてくれない。会話での和文露訳用の文法書が存在しないならということで、文法書は無理でも、和文露訳する際に一番難しい体の用法を中心に、その手引きぐらいはこれまでの経験から自分の勉強のために書けるのではないかと考えたのがこのコーナーである。

設問)「誕生日を祝ってもらう人の年の数だけ火のついたロウソクを立てたケーキを置く。その人はそれをいっぺんに吹き消さないといけない」をロシア語にせよ。

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2012年02月11日

●和文解釈入門 第267回

前回の続きだが、「明日商談にお伺いします」を和露辞典を頼りに露訳するとしよう。特に何もなければ主語は1人称と取るのが普通である。ゆえにяかмыとなる。「商談」は手元にあるラヴレンチエフの和露辞典に載っていないが、まあ細かいことは言わずに載っていたとして、(коммерческие) переговорыとなる。交渉という意味ではпереговорыは複数となる。「商談に」の「に」は方向を示すからвかнаだが(人へならкという可能性もある)、商談というのは場所と概念が一緒になったものだから(動詞由来名詞で、動作以外に場所という意味にも使われるものと考えてもよい)、そういうものにはвыставка(展示会)のようにнаが来るのが普通である。次に「お伺いします」だが、これは「御社(貴社)へ行く」の謙譲語である。「御社へ」はв вашу фирмуとするよりはк вамが普通である。相手の会社という一方向に行くのだから定動詞を使う。ちなみに「行く」と「来る」は、広義の運動の動詞(定動詞不定動詞に接頭辞をつけたものпри-とот-やу-)では区別するが、定動詞では区別しない。

 歩いて行くならидтиで、車や船ならехать、飛行機ならлететьとなるが、今時よその会社に歩いて行けるというのは例外であろう、普通は地下鉄か車か電車だろうからехатьを使うことにする。「明日」とあるから時制は未来である。この内容が初級文法の範囲内かどうかは別にして、これを瞬時に判断しないと実戦的なロシア語(お金をもらえるロシア語)の文は最低限とはいえ作れないことになる。

 この知識を基に、文を作ってみよう。×Завтра я буду ехать к вам на переговоры.となる。この文をロシア人に見せると間違いなく直される。なぜだろう?буду ехатьというのは運動の動詞の不完了体の合成未来形(бытьの未来形 + 不完了体動詞不定形)だから、本来不完了体は新規の事柄には使えず、使えるとしたらその場の雰囲気に合わせるというような自然体的な用法においてである。буду ехатьがなぜ使えないか自分なりに考えてみたが、下記のように他に三つすでにехатьを使って未来の用法を作れるわけである。そうであれば特に無理して使う必要もないというのが実際のところであろう。運動の動詞以外なら合成未来形は意向(~するつもりである)という意味で使える可能性が出てくるが、完了体と違い不完了体はある程度の時間の長さがあるというニュアンスが語義に含まれているの普通である。そのため意向というのは今すぐというよりは、ある程度のタイムラグがあるという感じである。

 それではどうすべきか?三つの可能性がある。一つは、ехатьを取ってしまって、前置詞を方向を示すものから位置を示すものに変えて、Завтра я буду у вас на переговорах.とするのである。これは歩くとか車とか船とか飛行機などの乗り物を考えて動詞を選ばなくてもよいので便利だが、1回だけの露訳ならともかく、通訳やガイドはその日1日中ロシア語で話していなければならないわけで、こればかりを使うわけにもゆくまい。

 二つ目は完了体未来形を使う方法で、Завтра я поеду к вам на перегоровы.こうすれば未来に起こる動作を確信していることになる。最後の一つは、ビジネスロシア語やガイドの通訳でよく使われるように、ехатьの現在形едуを使って、Завтра я еду к вам на переговоры.とするやり方である。英語でも現在進行形を使って予定を示す用法があるが、それと似ている。つまり現在の過程の延長線上に動作があると考える予定の用法である。この方が完了体未来形よりも確度が高い。それはスケジュールに入っているという感じだからである。非常に便利な用法だが、使える動詞は動作の開始を語義に程度の多寡はあれ含まれているもので、その数が限られているのが難点である。

 こんな短い文でも和露辞典と初歩の文法だけでは文は作れないことがお分かりだろう。それは文の骨格である動詞の用法を理解していないからである。だから初級文法を終えたら(ロシア語を始めて半年ぐらいしたらと言い換えてもよい)、定動詞・不定動詞も含めて体の用法の学習をするのがロシア語会話上達の早道であることがお分かりだろう。丸暗記に未練があるなら、体の用法に関連した文例を暗記した方がはるかに効率がいいはずだ。

設問)「慣れない場所では眠れない」をロシア語にせよ。

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2012年02月12日

●和文解釈入門 第268回

学生の頃「ロシア語作文」という講座で高崎経済大学学長の故岡本正巳先生からルーブル美術館とドーバー海峡についての作文が出たが、ルーブルЛувр, луврский музейとドーバー海峡のスペルが分からず、その部分だけ回答できなかったことがある。おかげでこの二つの単語は未だに覚えている。ロシア語にはЛ とРの違いがあり、それがない日本語を母国語とする日本人には難しいものだが、こういう著名な名称なら英語のスペルが分かれば、露和で調べられないことともないが、それ以上の外国の地名については英露・露英地理名称辞典Англо-русский русско-английский словарь географических названий, Русский язык, 1994ぐらいで調べるしかなかった。これは約6000語を収録しており、便利といえば便利ではある。ただこの辞書がなくとも今やインターネットに接続できる環境なら、外国の固有名詞は英語とロシア語ではスペルがあまり変わらないので、調べ物には楽な時代になった。調べものが楽になった分それ以上のことが求められる時代でもある。ちなみに、ドーバー海峡はイギリス海峡 пролив Ла-Маншの一番狭いところであり、пролив Па-де-Калеといい、英語を直訳したДуврский проливというのも聞かれないことはない。これをみてもロシア語の外来語はこれからはともかくフランス語由来というのがよく分かり、英語一辺倒の日本とは違うということをどこか心の片隅に置いてほしい。
 
 昔話のついでに、恩師の故飯田規和先生から本の重みで二階の根太が折れてえらい目に遭ったという話を昔うかがったことがある。何千冊もあったのだろう。また先生からくれぐれもロシア語の本には書き込みをしないように、別にノートを作るように言われたが、それは守っていない。先生は蔵書を寄付するという前提でのお話だったのだろうと思うが、私は自分の金で買った本だから、書き込みでも何でもして、とにかく語彙を覚えたほうが得だと考えているからである。私にとって本も、辞書も、参考書もロシア語を覚える手段だからだ。だから私の本は見開きからなにから赤字で書き込みや下線がいっぱい引いてあって汚いから、他の人は見る気にも、ましてや使う気にはとてもなれないと思う。

設問)「その銅像は皆さんの善意で建てられたものです」をロシア語にせよ。

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2012年02月13日

●和文解釈入門 第269回

ロシア語の勉強をはじめたのは、ロシア語でロシア人と会話したかったからで、まず会話の和文露訳習得をめざした。英文解釈よりははるかに英作文のほうが難しいのは受験で体感していたので、まず露文解釈をやり、短文を暗記していった。まず初級文法も終え、仲間と1年ほど週1回ロシア人の先生に会話を習った。これでロシア語の聞き取りと度胸はついたが、自分の言いたいことを曲がりなりにもロシア語言えるようになったのは、ロシア語をやりだして4年ぐらい経ったころである。就職してから自分でロシア語の文法をやるにつれて、ロシア語に関するいろいろな疑問は減っていくとは言うものの、どうしても分からないものも出てくる。有難いことにそのころから今に至るまで親切なロシア人は回りにたくさんいたので、質問するのには困らなかったが、納得のいく文法的な説明はしてくれないし、奇妙な自説を展開する人も多い。結局あきらめて分からないものは丸暗記というふうになっていった。

 そうこうするうちに、正しいロシア語もかなり話せるようになったが、どうして複数をとるのかとか、どうして不完了体(あるいは完了体)を使うのかなどと皆目分からないものも増えていって、かなりのストレスとなった。体の用法や単数・複数、類語についてほぼ何とか説明がつくと思えるのようになったのはこの1年ほどである。40年やってようやくと思うか、ロシア語を始めた以上、初めてロシア人に聞かなくてもロシア語が使えるようになったのを喜ぶべきか分からないけれど、一区切りついたようでこれはこれで嬉しい。ただ体の用法が説明できるようになってもガイドや通訳の料金がアップするわけでもない、単なる自己満足である。ただもっと早めに体の用法を教えてくれる人がいたら、もっとストレスなしに楽にロシア語の会話が出来たのにという気がしないでもない。

 正しいロシア語を話すというのはそれほど難しいものではない。ロシア人の使う正しい例文をたくさん暗記すればよい。その数がいろいろな状況に合わせて多ければ多いほど、ロシア人のロシア語らしく聞こえる。多くの通訳はこのような和風ロシア人を目指しているのかもしれない。理屈抜きにロシア人のロシア語が無意識に口をついて出てくるようなロシア語である。幼児が母国語を覚えるのをものすごい時間をかけて覚えるわけである。丸暗記を続けるというのは、少なくとも私にはかなり前からしんどかったし、今でもしんどいことには変わりはない。こういうのはまともな大人がやることではないと常々思っていたし、今も思っている。物事には本質的な系統的な何かが必ずあるはずで、それを探そうとして、ついに自分なりに納得できる答えを見つけたという事である。

 しかし、体の用法も含めてその系統的な何かを、会話での和文露訳で活かすために、また自分が会話で使えると実感し、納得するためには適切な例文が数多く必要である。理論で納得しても実際が伴わなければ意味がないからである。それについてはこれまで自分用に収集した、例文を含む8万5千項目の語彙が大いに役に立っている。その一部は第233回の表で紹介した。さらに完了体と不完了体を整理したり、誤解を招くような記述を削除したり、入れ替えたりしてこの表もかなり改良されつつあるので、いずれ改訂版を紹介することもあろう。今さら昔に戻れるわけではないが、ロシア語を始めたころにこの表を使って、ロシア語を教えてもらっていたら、40年かかったロシア語を10年くらいでマスターできたのにと少し悔しい思いがする。

 この世の中は広いから、全部が全部とは言わなくとも私と同じ考えの人もほんの少しはいるかもしれない。そういう人たちにこのコーナーは、ロシア語をマスターする上での、一つ別なアプローチподходを提示しているという事になる。

設問)「みなさんがたと20分行き違いとなりました」をロシア語にせよ。

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2012年02月14日

●和文解釈入門 第270回

ロシア語の文例の丸暗記については否定的だが、語彙や語結合については丸暗記せざるをないことが多いのは認める。いったん覚えれば絶対忘れないという人は世に少ないわけで、そのためにも語彙集のようなものを通訳やガイドに人は作っていると思う。私も、例えば鉄鋼関係の通訳の仕事が入ったとすれば、圧延、機械試験などの語彙の復習は毎度する。毎度するのは完全に覚えていないのと、度忘れがあるからだ。技術用語は日本語でも日常用語とはかけ離れており、和露にも露和にもないのが普通だ。もし載っているとしたら、それは用語とは呼ばない。単なる一般語彙に過ぎない。そのためエクセルに入れてある語彙集からノートに必要な(忘れかけている)語彙を100ぐらい抜き書きすることになる。このノートは通訳現場には持っていくが、通訳している時は見る時間はない。おまじないみたいなものだ。

 辞書で口語用法と書いてあると、標準用法とは違うのだという感じを持たれるかもしれないが、会話に関して言えば、スピーチや交渉の通訳を除けば、会話はほとんど口語なので、通訳やガイドを目指すなら口語の用法というのも積極的に覚えた方がよい。

 ガスはгазだが何種類かのガスが頭にあれば複数にするが、それは例外的用法である。ところが体内で発生するガス(おなら)はгазыと複数にする。メタンガスのほかに空気とかいろいろなガスが含まれている混合気だからだろうか?гасという形での初出はアカデミー版露露辞典によれば1803年であり、газなら1834年である。残念ながら複数形については書いていない。この単語がおならという意味で最近複数になったというならともかく、150年くらい前から複数形が使われていたとしたら、混合ガスであることが何となく分かっていたから複数にしたのだろうかと、最近ロシア語の単数・複数にも関心があるので、疑問がガスのように湧いてくる。これは物理的な力はсилаだが、体力をсилыと複数にするのに似ている。ガスが出るはиспускать (выпускать) газыであり、おならをするはиспортить воздухで、医師が患者に手術後尋ねる「ガスがなかなか出ませんか?」はУ вас затруднено отхождение газов?と言う。狩野亨先生の「現代ロシア話しことば辞典」によれば、「すかす(音無しの構え)」はбздетьで、пердетьが音の出るほう(屁をひる、こく)であるとのことだった。ちなみに両方とも卑語なので念のため。

設問)「こういう場合にはよくあることだが、私は席を外した」をロシア語にせよ。

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2012年02月15日

●和文解釈入門 第271回

ラスードヴァРассудова先生の「ロシア語動詞 体の用法」(1975年、吾妻書房)や磯谷孝先生の「演習ロシア語動詞の体」(1977年、吾妻書房)や原求作先生の「ロシア語の体の用法」(1996年、水声社)でも触れられていない体の用法がある。それは不完了体の現在という時制についてである。不完了体の現在は反復、動作の一般化、真理、経過(進行形)と日本語にも同じように対応すると考えて筆を省かれたのかもしれない。書かれているとしても、そのほかにはせいぜい予定の用法ぐらいである。これは露文解釈を専門にしていると気がつかないし、和文露訳でも会話だけをやっていても気がつかない用法である。私がこの用法と出会ったのは、毎日ビジネスレター(当時は主にテレックスだったが)を書かなければならない羽目になったころ、今から35年前ぐらいの時である。

 「2013年1月に展示会エコロジー2013を開催しますのでご案内申し上げます」という文はビジネスレターではよく使うもので、初歩的なものである。「案内する」というのはデパートのアナウンスでもおなじみの「連絡する、伝える」ということで、動詞はいろいろ可能だが、最も一般的なのはсообщить/сообщатьである。これを使って初級者に作文させると、「ご案内申し上げます」はМы сообщимと書いてしまう。一瞬後とはいえ、これから「伝える」のだから完了体未来形を使うと無意識に考えてしまうのだ。これは間違いである。正解は、Мы сообщаем Вам, что выставка «Экология-2013» состоится в январе 2013 г.である。主語がмыなのは、弊社(当社)はмыで示すのがビジネスでは普通であり、Вамと大文字なのは貴社(御社)に敬意を示しているからである。私もなぜこれから伝えるのに不完了体現在形が来るのかが分からなかったが、説明してくれる人もいないので、例の丸暗記で覚えてしまった。実用上はこれで差支えないし、私が手に入れることが出来るようなレベルのロシア語の参考書でこれについて説明したものは日本語では見たことがない。しかし、「伝える」という類の動詞だけが例外であって、それ以外は一見未来で「~する」という意味の時は完了体未来形を使えばいいのか、あるいは使うに当たってなにかコツというか決まりがあるのかは分からなかった。

 これはперформативные глаголы (перформативы)という動詞群で一応正確な和訳名を知らないので、動作遂行型動詞と名付け、第21回本文や第233回の表で説明してある。ただ第21回の本文は未来時制での和文露訳をどうするかが説明の主体であり、この用法のポイントをうまく絞って説明できていないと思われるのでここにあらためて書いておく。
 完了体未来形というのは、「これから~する」ということだが、厳密に言えば動作に今という瞬間は含まない。Я пообедаю.(私は昼食を食べます)は一瞬後か、10分後か、1時間後か知らないが、動作が始まるのは今という瞬間ではなく未来である。Я буду обедать.(昼食を食べるつもりです)だとさらに時間をおく感じがする。またЯ обедаю.は何もなければ「私は昼食を食べている」という過程を示すと考えるのが普通である。1時間後とかそのような未来を示す副詞がつけば予定の意味になる。Я обедаю через час.(1時間後に昼食をとります)。ところが動作遂行型動詞は不完了体現在形(特に1人称では)、今という瞬間から、その瞬間を含んで、動作を完了するという意味合いがあるのである。だからこの動詞群の、例えばсообщимと完了体未来形を使って文を作れば、今この瞬間ではない、未来に「伝える」ということになって、Мы сообщим дополнительно.(追ってご案内申し上げます)という文で分かるように、今現在は「伝えてはいない」ということになる。

 この動詞群はсообщаю(連絡する)の他に、делаю(人を~にする), заклинаю(懇願する), запрещаю(禁止する), каюсь(後悔する), молю(懇願する), назначаю(任命する), обвиняю(非難する), обещаю(約束する), освобождаю(開放する), предлагаю(提案する), предписываю(指示する), признаюсь(白状する), приказываю(命令する), провозглашаю(宣言する), прошу(お願いする), прощаю(許す), радуюсь(喜ぶ), рекомендую(勧める), советую(勧める), ставлю(人を~に据える), умоляю(懇願する)などである。こう見ると、「お願いする」、「命令する」、「禁止する」、「約束する」、「連絡する」、「勧める」という語義で、こういう日本語の動詞は露訳するときに、日本語で現在の時制なら、完了体未来形ではなく、不完了体現在形となると覚えよう。一人称だけでなく、三人称でも使えるのではないかと考えている。それはРекомедуется одновременное применение эстрогенных и андрогенных препаратов.(エストロゲンとアンドロゲン〔男性ホルモン〕の薬剤を同時に服用することを勧める)という文があるからである。

 この他にも最近医療関係の会話の例文を整理していて、Определяется дефицит пульса.(脈拍欠損と診断されている)とか、Отмечается застой в лёгих.(肺に鬱血が認められる)や、Наблюдается падение давления.(血圧低下が認められる)という文も3人称ではあるが、この用法ではないかと考えるようになった。三つとも医者が患者や看護師への具体的な症状の説明を示す会話であって、反復でも、動作の一般化でも、状態を示しているものではない。наблюдатьは「観察する、観察している」という状態を示すこともあるが、上記の文例では、「血圧が下がり続けているのを観察している」ということではなく、「血圧が1回下がったのに気がついた」という意味であるのは明らかである。これは「診断する」、「気づく」という動作が、今その瞬間から始まって動作が終了したという意味で不完了体現在形が来ていると私は考えている。またこの代わりに被動形動詞過去形を現在の時制で使えば、例えばОпределён дефицит пульса.は「脈拍欠損と診断された」で結果の現存であって、しばらく前か、たった今脈拍欠損と診断されたという事実がそのまま引き続き存在しているという事を意味しているにすぎない。つまり動作の開始時期が過去(一瞬前か、だいぶ前かは別にして)なのである。しかし、不完了体現在形では、動作の開始時期は今この瞬間か、少なくとも今と呼べる範囲内の時間である。日本語への訳出上では変わりないように見えるが、このようなニュアンスの差はあると思われる。

 日本語のいわゆる現在時制に合わせて、ロシア語も不完了体現在形を使えばよいと考える人もいるかもしれない。日本語の辞書形(不定形のように辞書の見出しとなる動詞の連体終止の形)を例に取って見よう。「食べる」は反復・動作の一般化に使えるが、「これから食べる」と未来時制でも使う。つまり露訳するときは文脈によって体を選択する必要がある。しかも「食べる」は「食べ終わる」ではない。つまり動作の終了を示しているわけではない。しかし、「命令する」、「伝える」、「許す」などは、このままでロシア語同様、動作の終了を示している。そのような動作完了型の動詞はロシア語でも不完了体現在形を使う。このように見かけの現在時制で、全く系統の違う日本語とロシア語を100%同じように時制を解釈するのには無理がある。和文露訳の場合は時制の違いや動詞の語彙の特性をよく理解して、ロシア語の動詞やその時制を選択しないと、誤訳になる可能性が出てくることになる。

 この他にспрашиватьの〔お前にも分かるように尋ねているんだ、尋ねている意味は分かるだろ、聞いてやるのはこれで最後だぞ〕Я тебя русским языком (по-хорошему, последний раз) спрашиваю.という脅し文句もそうであるし、電話の(佐藤さんをお願いします)Господина Сато, пожалуйста.に対して、(どちら様ですか?)Кто его справшивает?もそうであるといえる。

設問)「川の流れに沿っていくつかの自然保護区が作られた」をロシア語にせよ。

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2012年02月16日

●和文解釈入門 第272回

被動形動詞過去というのはよく使われるが、被動形動詞現在というのはあまり使われないし、書き言葉なので、関係代名詞を使ったほうがよいと文法書にある。その通りだろうと思うが、技術関係ではпроверяемая деталь被測定部品やисследуемая жидкость被験液、исследуемый материал被験材があり、技術関係以外でもстепени внушаемости被暗示度、испытуемый человек(催眠術の)被験者、というように、これから検査される、実験を受けるという意味で日本語の「被」と非常にうまく対応する。もっとも日本語の被は被害者というようにこれからだけではなく、された後というように受け身全てに対応する便利な接頭辞であるから、事後という場合には被動形動詞現在は使えない。

 よく使われるものは形容詞化しているとも言える。その中でне-が接頭辞につくものは不可能を示すといえる。例えば、непроницаемая тайта(うかがい知れない〔うかがい知ることができない〕秘密)である。непроницамыйはнепостижимый (= невозможно понять理解できない)ということだが、他にもнельзя проникнуть(侵入できない)、つまりнельзя + 完了体動詞不定形が不可能を示すことは第233回の表でも述べている。このことから不可能という訳語が出てくるわけである。第56回で紹介した防水カメラводонепроницаемый фотоаппартもそのような意味で理解されたい。

 表現はвыражениеだが、文学、絵画、彫刻、音楽などの芸術的表現となるとизображениеとなる。「言い逃れ」は、酒を勧められてНикакие оговорки не принимались.(どんな言い逃れも効かなかった)などと使う。同じ言い逃れでもувёрткаというのがその場を逃れようとする作り話などで、оправданиеはすでに済んだことに対しての弁明である。頸飾りはожерельеだが、首輪はошейникである。形状はформаを使うが、技術用語ではпрофильも使う。профильというのは側面から見た形状ということで、人間なら横顔ということになる。滑車はблокで、複滑車はполиспаст、チェーンブロックはтальといい、ホイスト(電動式の軽量の品物の吊り上げ装置)はтельферという。
設問)「彼はタバコを1日10本喫う」をロシア語にせよ。

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2012年02月17日

●和文解釈入門 第273回

夏目漱石の「坊っちゃん」は随分前に読んだことがあるが、「吾輩は猫である」というのは有名な出だしの文句は知っているものの、読んだことはなかった。思いついて読んでみたら、文庫で500ページ余りの長編である。丁寧な校柱もあるので楽しく読めた。まあ最後の主人公の運命でピリリと締めたという感じであろうが、時間をつぶすのにはよい。猫の飼い主の名字が珍野(名は苦沙弥)という事を初めて知った。幕末や明治の初めには日本の猫には尻尾がないと来日した外国人は書いているが、この本には(1905年初出である)すでに猫には(少なくとも主人公とそのあこがれの君である美人猫三毛子には)長い尻尾があることが分かる。話はそれたが、この本の中でDo you see the boyを「ずうずうしいぜ、おい」と読ませてあるのには笑ってしまった。

設問)「腎臓結石で手術なさったのですか?」をロシア語にせよ。

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2012年02月18日

●和文解釈入門 第274回

このコーナーの和文解釈は和文が中心であり、それをロシア語でどう解釈するかだから、回答のロシア語自体が正しくとも、設問の和文と意味やニュアンスが異なれば間違いという事になる。また回答のロシア語の文法や語法が違えば当然間違いである。ただ和文が中心なので、日本的な語彙については、ロシア語ですんなり訳せないものもあろう。そうなると説明的とか、ロシア人の目からはくどいような、あるいは舌足らずな文章に見えるときもあるかもしれない。それはそれでしかたがないと思う。完全に訳せない場合は和文露訳なら和文が主体なので、ある程度露文は説明的になっても和文の意を尽くすという趣旨であるからやむを得ないと思う。例えば、「たおやかな峰」とか「まったりした味」というのは、そう簡単にはロシア語にはならないだろう。

 ロシア語で考えて露文を作ろうとするのと、和文露訳は別物である。まず全てロシア語で考えるのは我々外国人には無理かもしれないが、ロシア語風に、ロシア人に分かりやすいように文を作ることは可能である。しかし、そういうふうに、ある意味おもねった書き方をすれば、肝心の和文と離れていくという事も大いにありうるという事を念頭に置く必要がある。

設問)「朝、瞼や顔がむくむのが気になりましたか?」をロシア語にせよ。

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2012年02月19日

●和文解釈入門 第275回

自然公園や鳥獣保護区という意味で、заповедникを使うが、他にзаказник(特定保護区)という用語もある。これは частичные заповедникиという意味で、заповедник のような完全保護区ではなく、原則的に一般人の立ち入りも自由であるものをいう。トラクターはтракторで、農業用や土木工事用だが、最大級の馬力をもつトラクタートラックやロードトラクターはтягачという。шассиは車のシャーシーだが、飛行機の車輪という意味もある。クラッチは車のはсцеплениеだが、機械の中で使う継手の方はсцепная муфтаである。ハンドルはрульで、自転車、トラクター、車、船、飛行機のハンドルであり、特にрулевое колесоは車にも使えるし、船の舵輪でもある。маховичокは工作機械のハンドル。баранкаは俗語で車のハンドルを指す。свечаはロウソクだが、запальная свечаは自動車の点火プラグであり、свечаには座薬という意味もある。

設問)「休み時間はまだ終わっていない」をロシア語にせよ。

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2012年02月20日

●和文解釈入門 第276回

セリフはтекст ролиだが、「台詞を暗記する」はвыучить рольといい、相手が言ったセリフへの応答や返答、つまり「つっこみ」はрепликаという。代名詞は文法用語ではместоимение(厳密に言えばместоимение-существительноеで、местоимениеだけだとтакой, какой, столько, много, сколько, несколькоも含まれる為)だが、Остап Бендер стало именем нарицательным, которым называют авантюриста.(オスタープ・ベンデルはペテン師を呼ぶときの代名詞となった)のように比ゆ的に使えばимя нарицательноеとなり、これは文法用語では普通名詞という意味である。визитная карточка(名刺)も比ゆ的に代名詞という意味で使える。Визитной карточкой не только рыбных блюд, но и всей японской кухни служат суси.(魚料理だけではなく日本料理の代名詞となるのは寿司である)。同じように使えるものにсинонимがある。Фашизм стал синонимом голода и рабства.(ファシズムは飢えと奴隷制の別名である)

設問)「彼の報告のお膳立てをしているのかい?」をロシア語にせよ。

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2012年02月21日

●和文解釈入門 第277回

動作遂行型動詞についてもう少し書いて見よう。日本語で過程を示すには「~している」があるが、繰り返しも示すので、過程であることを強調するためには、「~しつつある」というのを用いる。「認識している」と「認識しつつある」や「禁止している」と「禁止しつつある」では、これらの動詞の「~している」は動作が終わっているが、「~しつつある」では終わっていない。同じ過程を示す「歩いている」と「歩きつつある(歩みつつある)」は同義であり、ともに動作が終わっていないし、終了するという概念もない。動詞の種類が違うことが分かる。

 「禁止している」ではすることが許されていないが、「禁止しつつある」では、禁止されていないということである。つまり動作をONとOFFに分けているわけで、その中間はないことになる。過程の意味ではONを押し続けている(押しっぱなしになっているのは状態という用法)、ないしは意味によってはずっとOFFを押し続けているということになる。また「認識している」は認識が終了している(分かっている)ということで、「認識しつつある」というのは、認識が終了していない(分かっていない)ということである。これが動作遂行型動詞ということになる。

 こういう動詞を「(これから)~する、~します」という時制(現在・未来形)で露訳するときに、動詞は不完了体現在形を使えということである。それ以外の動詞では完了体未来形を使う。和文露訳で必要なのはこの使い分けである。

 この動作遂行型動詞は被動形動詞過去の現在時制の用法(結果の現存)に意味的に非常に近いと言える。厳密に言えば動作の開始の時点が前者は現在であり、後者は過去であるとは言うものの、動作が終了したという意味では同じだからである。例えば、(室内のたき火厳禁)Разведение открытого огня в помещении строго запрещается.のзапрещаетсяは、(禁止されているもの以外はすべて許可される)Всё разрешено, за исключением того , что запрещено.のзапрещеноと同義であるからだ。

設問)「不幸は日を選ばない。来る時は来る」をロシア語にせよ。

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2012年02月22日

●和文解釈入門 第278回

今の学生が本を読まないという事に対しては異論がある。昔の学生もマンガが中心で、それほど本を読んではいなかったように思う。私も高校・大学のときはSFや歴史小説ばかりで、まともな文学を読みだしたのは40過ぎからなので、あまり大きなことは言えないが、学生のころは読んだといっても内容が深く理解できていなかったり、目を通しただけという人が多かったように思う。また今の学生はツィッターなどの携帯での情報発信、ゲームなどやることの選択の幅が多すぎて、落ちついて本を読む時間もなく大変だろう。最近エミール・ファゲ(1847~1916)の「読書術」(中公文庫)を読んだが、読書も空手やお花などと同様、究める道で、だれでも有段者や師範になれるわけではないという事がよく分かる。この本の中に「物語しか読めないもの、アレクサンドル・デュマの読者は、あまり活動的な人間ではなく、時にきわめて怠惰でさえある。しかしそれよりも彼は他の人の観察者でもなければ、自己自身の観察者でもなく、そして彼は内的生活も知的な外的生活ももたないのである」とある。

 世の中人間としていいか悪いかは別にして、読書家というのはいつでも少数派である。大学とは、いつか将来学ぼうと知的欲求が起きたときに、どうすればそれに応えられるかを知るヒントを、与えられるのではなく、自ら会得するか、そうでなければ、どうしたらそれを会得できるかを学ぶところなのだ。そのためには、本を読む習慣をつけるだけでいいのである。生涯にわたって知的欲求のあり続ける人はいつの時代でも少数派である。この本とベストセラーの「大学の下流化」を並行して読んだのだが、気力が足りなかったのか、「大学の下流化」のほうは初めの10ページだけまじめに読んで、あとは流し読みだった。いい本と情報だけで中身のない本の差だと思う。「大学の下流化」ではいかに今の大学生が本を読まないという事を嘆き、それではだめだということで読書の重要性を説いているのは皮肉である。

 「脳治療革命の朝」(柳田邦夫、文春文庫、2002年)の中に「それまでマンガしか読めなかった状態から、新聞・雑誌の記事を理解できるまでに、脳の知的活動が回復した」とある。これはマンガを馬鹿にしているわけではなく、思想をビジュアル化して捉えるものである絵画に近いマンガには吹き出しがあるから、小説と絵画の中間のようなものという考え方からであろう。そのようなもののほうが脳に訴える力は強烈であるに違いない。いずれにせよ、マンガ全体がいいとか悪とかではなく、絵画でも、小説でも、マンガでも好みもあろうし、いいものいいし、悪いものは悪いということである。ただ、いいものは少なく、まさに悪貨は良貨を駆逐するの類というのは世の常である。

 私がチェーホフの三人姉妹などの戯曲をロシア語で読んでもつまらないと思うのは、芝居をよく知らないからだろう。そのため戯曲を読むと会話だけで、その場の雰囲気などが想像しにくいからだ。芝居をよく知っている人(特に演出家やそれを目指す人)や興味のある人には、こういう雰囲気が自然と浮かんで劇そのものの理解が進むのだと思う。本を読む読まないというのもこういう一種のテクニックや関心を持ち合わせているかどうかによるのだと思う。

設問)「その都市は東と南から山々と森林地帯に囲まれている」をロシア語にせよ。

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2012年02月23日

●和文解釈入門 第279回

ある若い知り合いと話していたら、その人は英語系の大学院を出た人で、この頃の学部の学生は勉強しない、自分は少なくと会話でもなんでも学部学生には今でも負けないぐらいの英語の勉強はしていると鼻息が荒かった。しかし、思うに勉強をしない学部学生と比べてもあまり意味はないと思う。世間では語学については、その外国語の外国人と自由に意思疎通できて、実際役に立つかという物差しでしか見ない。初級とか中級とか上級というのも言葉自体はあまり意味はない。無論初級というのは実戦で使えるための準備段階と考えることもできるが、要は実戦で使えるかどうかだけなのである。例えばロシア語でドストエフスキーの語彙の修辞的意味の研究というのも、大切な学問であるかもしれないが、世間(会社と置き換えてもよい)的には必要がない。しかしこういう学問の積み重ねの上に文法上での新しい発見があり、それがひいては我々ロシア語を使うものに役に立つはずだが、ロシア語文法の新しい知見をわれわれ一般向けに啓蒙し、そのフィードバックを受けるという意味で双方の交流がほとんどないため、お題目だけである。

 このコーナーの和文解釈の設問はすべて実戦で使えるかどうかの観点からしか出題していない。だからこの設問が簡単に回答できないようでは実戦にはまだ使えないということになる。それは設問の和文を見てみれば分かる。そうはいっても、本当に訳が難しいのは、単純なものなのである。ただそれを克服しないとプロとしてお金はもらえないということになる。ただ当たっているかどうかは別にして、回答すら出ないとなると、それはレベルが実践(実戦)の域に達していないという事は言える。

設問)「車をよこしてください。部長には僕が言ったと言ってください(僕の名前を出していいから)」をロシア語にせよ。

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2012年02月24日

●和文解釈入門 第280回

単数と複数の使い分けは外国人のロシア語学習者には非常に難しい。ヴィノグラードフ教授の「ロシア語Русский язык, Высшая школа, 1972」に沿って、その使い分けについて考えてみたい。葉を葉全体の象徴として、つまり提喩法で考えれば、例えばパンで食物を示すとか、花で桜を示すということだが、単数листを使うとある。つまり集合的に考えればлиства、複数であることを意識すればлистьяとなるのだと思われる。同書によれば、単数で使われる名詞は、

1) 集合名詞で語尾が-ьё (берьё), -ство (большинство), -ота (беднота), 口語で廃語となりつつある-ия (пионерия), 卑語を形成する-щина (деревенщина)、他に-ина (складчина), -ба (листва, братва), -ура (прокуратура), -ат (пролетариат)、このほかにвольница, конницаがある。
2) 小動物
домашняя птица(家禽), рыба(魚), саранча(バッタ), тля(アブラムシ、アリマキ)
 これらは集合名詞で、魚も多くの種類をイメージするときは複数となる。
3) 物質名詞(鉱物、金属、化学元素、化合物)
тесто(パン生地), молоко(牛乳), табак(タバコ), масло(油), мясо(肉), медь(銅), золото(金), серебро(銀), фосфор(燐), фарфор(磁器)など。
 しかし種類や大量を意味するときには、жиры(体脂肪), пески(砂原), снега(積もった雪)と複数が出てくる。ステンレス鋼、炭素鋼など多くの種類(鋼種марка стали)をイメージすればстали、ラッカーでもлакиとなるし、本書にはないが、水も羊水околоплодные водыや生活排水сточные водыは複数となり、粘土もкрасные и белые глины(赤い粘土、白い粘土)となり、ガスもメタンガスやエチレンガスなどいろいろのガスをイメージすればгазыと複数になる。
4) 野菜、穀物、果実
картофель(ジャガイモ), морковь(人参)など。ただовощи(野菜)は複数のみで使い、ягоды(ベリー類)は単複両方使う。畑にできた野菜、収穫、いろいろな品種という意味では複数形のовсы(オート麦), ячмени(大麦), сена(干草)となる。一つのまとまりと考えられるものは単数形 килограмма смородины (вишни, малины, клубники, моркови, репы)が、そうでないものは килограмма яблок (груш, персиков, ябрикосы, огруцов, помидоров)複数が出てくることもある。ある程度大きさも関係があるのかもしれない。
5) 抽象名詞(性質、品質、動作、状態、感情、感覚、気分、物理的現象、自然現象、思想的方向性、潮流、抽象概念)
 詩語では感情を強める意味で複数が出てくるときがある。卑語を示す-щинаは複数形を取らない。形容詞から派生した名詞で語尾が-ое, -ее (ограниченное限られたもの, мелкое細かいもの, бессмысленно無意味なもの)となるものも複数形にはならない。Розенталь教授は個々の出来事や事例を示す時には複数形となると指摘している。これなど医療ロシア語の例を見る時その通りだと思う。
6) 世の中に一つしかないもの
Москваモスクワ, кино «Ударник»映画館「ウダールニク」など
7) 複数と単数を混在して使う用法
複数のものに共通の何かは単数となる可能性が高い。Бунтовщики потупили голову.(謀反人たちは頭を垂れた)とかПовелено брить им бороду.(彼らにあごひげを剃れと命じた)などである。
 これで基本的な単数をどういう文脈で用いるのかという考え方は分かるが、日常生活でも単数・複数の区別が分かりにくい場合がある。それは医者と患者の会話などに見られる医療用語である。これまで医療用のロシア語会話をエクセルにインプットしてきたが、その中で医者が漠然と患者に症状の有無を聞くときに、複数が出て来るとか、そのような症状がない時に複数生格が出て来るものがある。単数が来るのは質問が具体的な場合であるのに気がついた。無論具体的と言っても対象が複数なら複数が来るのは言うまでもない。可算名詞と不可算名詞の区別がそう簡単に分からないものもある。分泌物は可算か不可算かなどもそうであろう。そういうものを下記にまとめた。*印は訳語の意味では通常複数形を取るものである。

аденоидыアデノイド, анализы検査(分析、特に尿や血液の検査結果), антибиотики抗生物質, бляшки斑, болезни病気, боли痛み, выделения分泌物, высыпания発疹, газы*おなら(体内のガス), границы境, движения動き, жалобы患者の訴える症状, жиры*体脂肪, заболевания病気(疾患), запахи臭い, запоры便秘, изменения変化, инструменты手術用具, камни結石, кожные покровы皮膚, контуры外形, коркиかさぶた, кости骨, кровотечения出血, лекарства薬, лимфатические узлыリンパ節, липиды脂質, мазки塗抹, мероприятия措置, метастазы転移, миндалиныヘントウ線, мокроты痰, молочные железы乳腺, мысли考え, мышцы筋肉, насморки鼻風邪, ознобы寒気, осложнения合併症, отёки浮腫, ощущения感じ, перебои в сердце*不整脈, переломы骨折, повороты回転, повреждения傷, позывы便意・尿意・吐き気, полипыポリープ, поносы下痢, препараты製剤, признаки徴候, приступы発作, производственные вредности労災, проливные потыおびただしい汗, пустоты*空洞, расширения拡張, результаты結果, рентгеновские снимкиレントゲン写真, рефлексы反射, сердцебиения拍動, сгустки塊, симптомы症状, следы跡, слизистые оболочки粘膜, сокращения収縮, сосуды血管, стриктуры狭窄, стрессыストレス, судорогиひきつけ, суставы関節, сыпи発疹, толчки拍動, ткани組織, травмы外傷, углевороды炭化物, упражнения運動, условия条
件, чувства感じ, шумыノイズ, явления症状
設問)「ご家族に緑内障にかかった人はいらっしゃいますか?」をロシア語にせよ。

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2012年02月25日

●和文解釈入門 第281回

ロシアの結婚式では瀬戸物やガラスの器を割るという風習があるが、この由来らしきものについて18世紀中ごろのロシアの上流階級の結婚式を、オランダの旅行家ヤン・ストレイスという人が書いているものがあるので紹介する。聖職者より赤ワインの入れてあるコップを渡された新郎新婦は、これを飲み干し、新郎がコップを床に落とし、「われらの間に敵意と憎悪の種をまこうと考える全ての我らが敵が、このように我らの足元にひれ伏すよう」と言いながら、二人してふんづけるとある。

 慣用句のлёгок (легка, легки) на поминеは「噂をすれば影」と訳すが、これは昔ロシアでは法事поминで、この世を去った人に対しても、その人がすぐ戻ってくるようにと願ったことによる。

 вылететь в трубуという慣用句がある。これはпрогореть, оказаться на мели, разориться, обанкротиться(使い果たす、蕩尽する、破産する)という意味だが、なぜこういう意味になるのかその由来が長いこと分からなかった。влететь в трубуなら話は分かるが、このタイプミスか、それとも慣用句だから理屈に合わないのもしかたがないものとあきらめていたところ、これはペーチカ(暖炉)печьに関係した言い回しで、要するに暖炉で薪が燃えて熱を出して煙突から外に出るわけだが、その薪がなくなって、全部熱として外に出てしまうと、凍死するしかないわけで、その薪の大事さを表現したものであることを最近知った。

設問)「見つけた方にはお礼を差し上げます」をロシア語にせよ。

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2012年02月26日

●和文解釈入門 第282回

動作遂行型の動詞запрещатьでは、医者が患者に「禁煙してください(タバコを喫うのを禁止します)」Я вам запрещаю курить.というのは、この文が発話する前は禁止されてはいないが、発話が終わる直後から禁止ということになる。しかし一人称以外では、С 20 января 2012 года запрещается курение в общежитиях.(2012年1月20日から寮での喫煙は禁止する)という文は過去から現在に至るまでの動作(ないしはこの文を作った時点がその日付より過去なら予定)を示している。ゆえにРазведение открытого огня в помещении строго запрещается.(室内のたき火厳禁)という文は、明示されていない過去から現在に至るまでの動作を示しているとも解釈できる。ところが被動形動詞過去短語尾の現在時制では、Всё разрешено, за исключением того , что запрещено.(禁止されているもの以外はすべて許可される)のように、過去のある時点ないしはたった今禁止されたという結果の現存の意味にも取れる。実質的な意味は同じだが、запрещаетсяではたった今禁止したというニュアンスは出せない。

 上記の文から類推してЯ вам запрещаю курить с завтра.(明日からタバコを禁止します)という文も成り立つと思う。そうなると発話が終了した時点では動作は遂行していないからзапрещатьはこの場合動作未遂行の動詞ということになる。この点については近いうちに書いて見たい。

 動作遂行型の動詞に似た動詞に状態を示す動詞がある。過程の動詞は「なりつつある」というような質的変化があるが、状態の動詞にはそれがない。状態の動詞としてはсидеть(座っている)がすぐ頭に浮かぶ。座るという動作の意味はсесть/садитьсяという完了体・不完了体が引き受けている。全ての動詞が状態と動作が分かれていればいいのだが、そうではない。しかもсидетьは自動詞だからсяをつけて受け身にはできない。ところが他動詞にも状態を示す動詞がある。окружать(囲む、囲んでいる), омывать(川や海で囲む、囲んでいる)は囲むという動作では完了体・不完了体があるが、不完了体では囲んでいるという状態を示すことができる。他動詞というからにはсяをつけて3人称なら受け身を作れるという事でもある。状態の動詞かどうか知るためには、露露辞典でбыть, находиться(「ある」という意味で、「見つかる」という意味なら違う)やбытьという意味が付加されているならそうである。

 無論被動形動詞過去短語尾でも状態を示せるが、それは結果の現存であり、動作が終了していることを示している。状態の動詞は動作が開始したとか終了したとかを問題にしないし、質的変化もない。この点が動作遂行型の動詞とも違う。ただЯпония окружена морями.(日本は海に囲まれている)をЯпония окружается морями.としてもこの文では意味は変わらない。なぜこのような区分けが必要かというと、和文露訳における体の用法と深くかかわってくるからである。現在時制における日本語の状態(~している)という意味に、ロシア語の不完了体現在形を使うのか、完了体過去形ないしは被動形動詞過去短語尾を使うのかというのが第一点であり、不完了体を使うなら、動作遂行型の動詞を使えるのか、はたまた状態の動詞を使うのかというのが第二点である。つまり不完了体に動作の意味しかなく、状態の意味がない動詞は、状態の意味では結果の現存しか使えない、つまり自動詞なら完了体過去形のみ、他動詞なら、完了体過去形か被動形動詞過去短語尾を使うしかないという事になる。

設問)「表彰式はいつ行われるのですか?」をロシア語にせよ。

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2012年02月27日

●和文解釈入門 第283回

ロシア正教の場合葬儀は土葬погребениеと火葬кремацияがあり、土葬であれば墓はмогилаであり、火葬なら墓は遺灰の安置所колумбарийとなる。だから日本の墓も厳密に言えばколумбарийの方がよいと思う。ロシアではколумбарийは火葬場だけではなく墓場にもあるので使えるはずだ。

 蚊はкомарだが、ほかにмоскитという言葉もあり、研究社の露和では蚊と訳している。これは学名ではサシチョウバエという蚊の1/3の大きさの吸血昆虫で、リーシュマニア症を媒介するものである。リーシュマニア症は最近緊急に対策を要する6つの感染症の一つに認定されており、そのうち皮膚リーシュマニア症лейшманиоз кожиはテレビでも何度かやっているから知っている人もいるだろう。刺されるととてもかゆいらしい。ちなみに岩波にはサシチョウバエと書いてある。

 ダイビングスーツにはгидрокомбинезонとгидрокостюмがあるが、前者は上下一体型で、後者は上下別々である。「ふるい」はситоで、それより目が粗いのがрешетоであり小麦粉などをふるう。грохотは機械で用いられる大型のものである。甲板はпалубаだが、日本語の船舶用語では「こうはん」であって、「かんぱん」ではない。航続距離は飛行機ないしは船舶に用いられるが、ロシア語にするときはそれぞれ訳を変えて、дальность полётаおよびдальность плаванияとする。

設問)「家で鳥を飼っていますか?」をロシア語にせよ。

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2012年02月28日

●和文解釈入門 第284回

動作遂行動詞は一人称ならすべて動作遂行の意味になるかというとそういうわけでもない。проситьは動作遂行動詞のはずだが、Битый час прошу тебя садиться за стол.(丸々1時間席につけと頼んでいるんだ)という文では座れという願いは終了していないことが分かる。このような用法をдескриптивные употребления(動作未遂行の用法とでも呼ぼうか)という。不完了体一人称現在形でこの意味がよく現れる動詞は、бурчать, лгать, велетьである。

 どうしてこのような違いが出るのだろうか?それは結びつく不定形によるものと思われる。上の文のように不完了体不定形がつくと、不完了体の持つ動作の繰り返しという意味が動作の達成をいわば邪魔するのである。同じ不完了体でも状態を示す動詞や完了体の動詞であれば動作遂行を意味する。Я прошу Вас рассмотреть сложившуюся ситуацию с целью разрешения конфликта.(紛争解決のために現況〔そうなった状況〕をご検討願います)やЯ прошу вас любить всё.(全てを愛するようお願いします)である。

 MoiGorod.Ruの2011年12月23日付の記事にС 1 января 2012 года в России запрещается производство и импорт алкогольной продукции крепостью менее 9 градусов без нанесения акцизных марок.(2012年1月1日よりロシアではアルコール度数9%未満の間接税支払済レッテルのないアルコール製品の生産および輸入は禁止される)とあり、запрещатьが予定の意味でも使えることが分かる。また今日、つまり2012年2月28日現在でも過去から現在に至る継続という用法でまったく同じ文が使えることが分かる。動作遂行動詞と言われるものでもзапрещать/запретитьは動作遂行というよりは動作未遂行の用法が多いとロシア語学者のアプレシャンАпресян Ю.Д.は述べているゆえんである。多くの動作遂行動詞は動作が終了することだけを意味し、結果の残存という意味はないから予定の意味はもたない。そのため未来において~するという意味では対応の完了体未来形を使わざるを得ないと思われる。

設問)「飛行機恐怖症ですか?」をロシア語にせよ。

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2012年02月29日

●和文解釈入門 第285回

日本人が間違いやすいロシア語というと、複数・単数の使い分けなどいろいろあると思うが、根本的で、かつ最も重要なのは体の用法だと思う。これを教えるには日本語の時制についてもよく理解していないと教えられない。ロシア人の先生でも、日本語が会話程度というのであれば、基本的に語学は双方向のものなので、片方しかマスターしていない人には教えられないし、インフォーマント(発音の矯正、正しいロシア語とそうでないものの区別が出来る人)としての価値しかない。そういうインフォーマントを活用するためには学習者のレベルも中級以上が要求される。つまり自分の疑問をロシア語で聞いて理解できるレベルでないとそういうロシア人の先生方に質問ができないし、返ってきた回答が理解できないことになる。初級や中級者向けのロシア語会話を教えるなら、日本人でロシア語の体の用法を理解した人かロシア人で体の用法を日本語で体系的に説明できる人という事になる。

 体の用法というのは基本だから、マスターするのは早ければ早い方がいいし、間違った用法を覚えると思いこみができてしまうから、後から直すのが非常に大変である。初級の段階で基本的な文例を覚える必要性があるはずだが、今のロシア語教育にはこれが欠けている。初級の段階で徹底的に体の用法の違いを説明して、それを暗記させれば、一石二鳥のはずだ。

 露文解釈だけするなら特に体の用法についてマスターしようという気は起きないかもしれない。知らなくても何となく訳せるからだ。ところがプロで通訳やガイド(会話の和文露訳)をしようとすると、一言文章を訳そうとするたびに動詞が出てくるわけで、そうなると完了体か不完了体か決めなければならない。決まり切った(よく知っている)文脈なら、使う体はそのような文は丸暗記しているから自動的に出てくる。しかし、ちょっとでも知らない文脈が出て来たときに、それを丸暗記しようと思うと、同じ文脈のように見えるのに二つの体が出てくるような場合、両方使えるのかなと思いこむ場合もある。まったく同じニュアンスで両方の体が使える場合がないとはいえないが、普通はニュアンスの差というものが出てくるはずなのにそれが分からないままということになる。まああんまり細かく考えてはプロでやっていけないのかもしれないし、そのようなニュアンスを覚えてもお金にはならないことは確かではある。でもそうなると、正しく訳すというプロとしての自覚と責任はどうなるのだろう?

設問)「この時期は仕事にならない」をロシア語にせよ。

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