2012年02月04日

●和文解釈入門 第260回

会話で日本語からロシア語にするときに、訳がまごつくものの一つとして「可能性(~できる、~できない)」がある。例えば、「ロシア語が話せますか?」をロシア語にすれば、Вы можете говорить по-русски?というよりはВы говорите по-русски?とする方が自然である。これはговритьにобладать способностью речи(会話する能力がある)という意味があるためである。

 さて、Печень не пальпируются.(肝臓が触診できない〔触診で分からない〕)、Кишечные шумы выслушиваются?(腸雑音〔腹部音〕は聴診できますか〔聴診器を当てて聞こえますか〕?)やКишечные шумы не выслушиваются.(腹部音は聴診器で聞こえない)は不完了体動詞現在形なのに不可能の意味が出ている。どうしてだろう?日本語のとロシア語の違いなのだろうか?そこで露露辞典で語義を辿って見ることにした。
 пальпироватьはисследовать больного посредством пальпацииであり、動作の中核はисследовать(調べる)である。この動詞は внимательно осматривать(よく見まわす)ということで、осматривать(見回す)はсмотреть(見る)という動詞から派生している。смотретьは「視線を向ける」направлять взгляд куда-либо; иметь глаза направленными на кого-либо, что-либоであり、視線взглядはнаправленность, устремлённоть глаз в сторону кого-либо, чего-лиго(何かに目を向けること)ということで、その核になる言葉は目という視覚器官である。またвыслушивать(聴診する)の方はもっと簡単に、元になった動詞слушать(聴く)からслух(聴覚)となる。感覚の意味を内在する動詞は当然その感覚の能力があるのが前提という事が分かるはずだ。ゆえに、訳語に可能性が出てくるのも当然となる。

 同様に、Я не понимаю.(分かりません)〔Я не пойму.というのは完了体動詞未来形の否定であるから用法的には文脈によるが不可能か、否定の強調である〕は「理解できない」ということである。「知らない」と言いたければ、Я не знаю.と言えばよい。понять/понимать(理解する)を上記同様露露辞典で辿ってみれば、уяснить себе, уразуметь смысл, сущность(意味や本質を自分に分からせる)ということであり、уяснить(分からせる)はсделать ясным, понятным для себя(自分にとってはっきりと理解するようにする)であり、ясный(はっきりしている、明確である)はхорошо видимый, слышимы, осязаемый, воспринимаемый; отчётливый(よく見える、聞こえる、触れる、感知できる、明確な)と感覚のオンパレードであり、感覚的に分かるいう意味である。つまり「分かる・分からない」というのも、後天的か先天的かは別にして知力ум = познавательная и мыслительная способность человека(人の認識能力や思考能力)という一種の能力であり、これが内在する語彙は訳語に可能性が出てくるのだと思う。
「分かる・分からない」を端的に示したものとして、病院で使われる文例にАртериальное давление не определяется.というのがある。これは一般的にこうだというのではなく、ある患者の血圧に関する所見である。これを「動脈圧は測らない」と訳せば誤訳となる。不完了体現在形に意志の意味はない。だから(動脈圧は測れない〔診断がつかない、分からない〕)と訳さざるを得ない。これの英訳はNo measurable blood pressure.(血圧は測定不可能である)となっていて、英語でも不可能で訳している。определять(~と診断する)はвыяснять посредством измерений, подсчётов, вычислять(測定や計算によって明らかにする、算出する)であり、выяснятьはделать ясным, понятным(明らかに、理解できるようにする)であり、だから過程の意味で使えば、Количество - выясняется.(数量調査中〔明らかにしつつある〕)ということになる。また受け身のвыяснятьсяはстановиться ясным, понятным(明らかになる、理解できるようになる)となる。つまり、この文を無理に言い換えればАртериальное давление не становится (делается) ясным.(動脈圧は明らかにならない)という事になる。ясныйが感覚全てを包含している形容詞であることはすでに述べた。だから、Пульс на сонных и бедренных артериях не определяется.(頚動脈や股動脈で脈が分からない、はっきりしない)とかИнфильтрат в молочной железе определяется чётко.(乳腺の浸潤〔物〕がはっきりと分かる、診断できる)となるわけである。

 結論として言えるのは、露訳をする上で、「~できる、~できない」を何でもかんでもмочьやнельзяをつければよいという事にはならないということである。感覚的な能力や理解力を語義に含む動詞は不完了体現在形だけで可能性や不可能を示すことができるし、その形で使うのがロシア語として自然であるということになる。

設問)医者から患者への問い「便秘(下痢)していますか?」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2012年02月04日 07:48
コメント

設問)「便秘(下痢)していますか?」

-Скажите,пожалуйста, вы страдаете запором(поносом)?


辞書には、「便秘する:страдать запором」と書いてありました。
さとうさん、もしも問診で医師が「便秘がちですか?」と患者に聞く場合は、どのように言うのでしょうか。
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これも正解ですが、これだと医師が患者の便秘(下痢)をほぼ確信しているとニュアンスになります。この有無については分からないから診断のために聞いていると考えるのが普通です。私の答えは、Вы страдаете запорами (поносами)?
 設問を「便秘(下痢)に悩んでいますか?」としようかと思いましたが、便秘薬のコピーのようで、まあ医師はこう言う言い方はしないだろう思い、日本語を変えました。このように有無を問うたり、否定したりする文には複数形を使うのが普通です。可算名詞を使って有無を表現する文には複数を用い、否定文では複数生格となります。これは一つ以上の可能性を排除しないからではないかと思われます。それとともにロシア語には英語と違い定冠詞と不定冠詞がないため、その機能を単数と複数に割り振っているのかもしれません。日本語の抽象名詞でどれがロシア語で複数になるのかは露露辞典を丹念に見るしか手がなさそうです。(吐き気、嘔吐、ゲップはない)Тошноты, рвоты, отрыжки нет.は否定文でいずれも単数生格が来ています。
 それゆえ患者の方は便秘や下痢がある場合、Я страдаю запором (поносом).と単数にで答え、なければ、У меня нет запоров (поносов)と複数生格にします。同様に、「便秘がちですか?」はУ вас бывают запоры (поносы)?となると思います。

Posted by ロンロン at 2012年02月04日 16:44

У вас запор (понос) есть?
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これも正解ですが、これだと医師が患者に便秘(下痢)があるのを確信している(便秘してますよね?)というニュアンスに感じます。

Posted by Ml at 2012年02月05日 02:41

第257回の設問においても、さとうさんからのコメントの中で、複数形を用いることが説明されていたにもかかわらず、単数形で投稿してしまいました~!動詞の体も単数・複数の使い方も奥深いものがある・・・。なかなか身に付かないのですが、コツコツとやっていくしかありませんね。
「便秘がちですか?」の件も複数形で聞くのですね。ありがとうございました。

Posted by ロンロン at 2012年02月05日 11:18
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