2010年12月09日

●17. 間違いやすいロシア語

これまで「ロシア語珍問奇問」と題してきたが、内容的には和文露訳における間違いやすいロシア語ということであり、内容と食い違いがあると思うので、今回から題名を「間違いやすいロシア語(和文露訳)」に変えた。ノヴォシビールスクの和食レストランには変わった名前のものが多い。Япоша (Yaposha)の旧名はЯпошка (Yaposhka)でこれはJapという意味であり、店が大きくなるにつれて、このままではまずかろうという事で改名したらしい。もっと面白いのはИ. Пошкин (I. Poshkin)で「Kart Blansh」社関係のブランド名だが、この会社は自社の庶民的な和食軽食レストランチェーンのブランドを2度連続して変更した。同社の所有者ドミートリー・ラーエフスキーは最初寿司屋「東京」プロジェクトを「Япошкин (Yaposhkin)」という名で展開し続けることを決めた。しかしながらペテルブルグのGinja Project社は自社のチェーン名が「Япоша (Yaposha)」(旧名Япошка (Yaposhka)」)だったのでこれに異議を申し立てた。その結果、ノヴォシビールスクの同社の寿司屋は今やロシア化した名称である「И. Пошкин (I. Poshkin)」となったという。他にもバンザイБанзай、タコТако、ヤクザ寿司Якудза суши、寿司山Суши яма、ハラキリХаракири、イポーナ・ママЯпона мама(これは俗語でЯпона мать = Ёбёна мать = Ёб твою мать(Fuck your mother)というのがあり、これをもじったのではないかという疑いも涌くから、かなりきわどい)、Ё-моё(これも前のと同じ意味をもつし、モスクワにある軽食レストランЁлки зелёныеも同じ意味だが、やや上品言い方である)などが続く。その中で「咲きほこる桜Цветушая сакура」などは可愛いいネーミングで目立つ。全国展開している「ヤキトリヤЯкитория」というのも扱うものが寿司、刺身、海苔巻きがメインらしいので何か珍妙な気がする。レストランで思い出したが、ウェートレスはロシア語ではофинцианткаだが、официантと表記される場合がある。これは男性形で総称する場合が多いからだろう。Форма у официантов – юбка шотландка, белые гольфы.(ウェートレスのユニフォームはチェック〔格子縞〕のスカート、白いハイソックスである)。これをスコットランドのスカートは男性が着るものだからと早合点をすると、誤訳になる可能性が高い。単にチェックのスカートをはいているというだけだ。それと上記の例文форма(正確に言えばунифицированная форма, униформа)は、ユニフォームという意味になるから注意が必要である。

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2010年12月23日

●18.間違いやすいロシア語

キリスト教は一神教で、神道や仏教は多神教と言われているが、革命前一般民衆の信じていたロシア正教を考えると、聖母信仰、農民の信仰の篤い聖ニコラ(ミコラ、ニコライ)св. Никола (св. Микола, св. Николай) や船乗りの信仰するミコラ・モジャーイスキー св. Микола Можайский、病気の女性が信心するアグラーフェナ・クパーリニッツァсв. Аграфена Купальница、家畜を守るアグラーフィヤ・コロヴニーツァсв. Аграфия Коровница、シベリアの囚人が信仰していた聖イワン・ヴォーインсв. Иван Воинなど聖人が、日本でいう観音様、吉祥天信仰に当たると考えるのはどうだろうか。カソリックにおいても、「ビザンツ皇妃列伝」(井上浩一、白水uブックス、2009年)によれば、キリスト教のネストリウス論争において、428年テオドシウス2世によりコンスタンティノープル総主教に任命されたネストリウスは、初期のキリスト教時代の教父同様、女性の原形をイヴに求め、女は罪深い存在であるという立場を取った。これは当時民衆の間に広がりつつあったマリア崇拝(聖なる女性、処女マリア)とは相容れないものであった。聖母崇拝とともに、マリアをテオトコス(神の母)と呼ぶことが広まったが、これにもネストリウスは反対し、クリストトコス(キリストを産んだ女性)と呼ぶべきだと主張した。431年のエフェソスの公会議で皇帝テオドシウスはネストリウスを異端とした。ネストリウス派はアッシリア東方教会となって残り、また中国に渡って景教となる。日本語では複数というものあまり用いないので、露文和訳のときに困ることもある。厳密さが求められるときには「会社(複数)」などとするが、例えば、На этом графике видно, как меняются доли рынка лидеров.を「このグラフではトップ各社のマーケットシェア(市場占有率)がどのように変わるかが分かる」のように、各社というような表現もできるのではないかと考える次第である。行列はочередьで、「行列に並んでいる」は стоять (быть) в очередиだが、意味は違うがна очередиという表現も見受ける。これはбыть (стоять) на очередь = находиться в списке лиц, ожидающих получения чего-л.(何かを手に入れることを期待している人のリストの載っている)という意味だが、ある和食チェーン店のパンフレットを見ていて、全国展開(モスクワとかキエフなど)している店が列記された後、На очереди – Днепропетровск, Львов, Ярославль.とあった。これは出店見込み(予定)という意味で使っている。

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2011年01月01日

●19.間違いやすいロシア語

С Новым годом! 九州の由緒ある神社に志賀海神社というのがあり、昔鹿の角を祈願成就の御礼に奉納され1万本あるという。また戦国時代の武将が兜に角をあしらったものも多数見受けられ、古来から角は日本人にとっては力や権力の象徴であったことが分かる。19世紀中ごろのロシア人作家で1880年代に訪日したこともあるクレストーフスキーは、長崎の諏訪神社を訪れたときに鹿の角のお供えを見て、Это жертва радости по случаю смерти супруги.(これは奥さんが亡くなったことへ喜びの供物である)と思ったと冗談めかして書いている。рогатый муж (рогоносец) というのはロシア人に限らず西洋では「寝取られ夫(妻に浮気された夫)」ということで、由緒ある武将の角の生えた兜を見て、西洋人がどう思うかはこれで分かる。「世界の」という形容詞にはвсемирныйとморовойがあるが、同義語で若干の例外を除き、語結合にはどちらも使われる。その例外というのは、мировая война(世界戦争)、всемирная история(世界史)、всемирная литература(世界文学)である。вселенскийやвсесветныйも同義語だが、文語ないしは皮肉交じりに使われる。

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2011年01月17日

●20.間違いやすいロシア語

若者が使う俗語で「高っ」とか「低っ」というような言葉はロシア語の形容詞の短語尾に似ているなと最近気づいた。この俗語も修飾はできず、述語として用い、しかも「高い」とか「低い」という意味よりは、「高すぎる」とか「低すぎる」という意味で使うようだ。これなどロシア語のЭти туфли велики.(この靴は大きすぎる)などと同じような用法だなあと考えた次第。
和露辞典がプロの仕事をする上で頼りにならないとすれば、ロシア語の語彙収集にはいろいろな露文を読むしかない。時事ロシア語だけではなく、文学も、取扱説明書でもなんでもということで、重要なのは収集した単語をエクセルでもなんでもデータとして保存し、後でその訳が正しいかどうかチェックするという事である。例えばサービスも日本語ではタダというニュアンスもあるから露訳しにくい語である。接客や保守点検という意味ではобслуживаниеといい、アフターサービスпослепродажное обслуживаниеというが、товары и услуги(商品とサービス)のように、目に見えない商品や業種という意味ではуслугаを使う。службаは英語ではserviceのいう意味でも使うが、兵役とか仕事(肉体労働ではないいわゆるサラリーマンの仕事)という意であり、技術用語ではсрок службыは機械の寿命という意味で使う。ただ似た響きを持つ語のсервизはчайный сервизティーセットという意味である。タダという意味の「~はサービスです」と言いたいときは、例えばПри заказе любого горячего блюда из меню, суп и гарнитур – в подарок.(メニューから温かい料理をご注文下されば、スープと付け合わせはサービスです)のようにв подарокとも言える。グラフはграфикとдиаграммаは同義語だが、マーケッティングリサーチなどでは前者は折れ線グラフの意味で、後者は円グラフや棒グラフ(厳密には棒グラフはгистограмм)の意味で多く使うようだ。前置詞はнаを使う。日本語の開発には、天然資源を生活に役立つようにすることという意味と、実用化するや知識を開き導くことという意味がある。前者の意味ではосвоение〔освоение космоса(宇宙開発)〕を使い、後者の意味ではразработка〔разработка новой технологии新技術の開発〕となる。人材開発はразвитие людских ресурсовとするが、新規顧客の開拓ならпривлечение новых клиентовとなる。развитиеは発展という意味だが、展開や振興という意味でも使える。развитие сети ресторановはレストランチェーンの展開となり、региональное развитиеは地域の振興となる。

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2011年01月20日

●21.間違いやすいロシア語

「お忙しいところご足労いただき」というのは面談のときの決まり文句だが、忙しければ来るはずはないという理屈をつけて(日本語は非論理的だからとか)省略する通訳もいるやに聞く。レターなどではОбращаюсь к Вам с надеждой, что, несмотря на всю Вашу занятость, Вы нас примите.(お忙しいにもかかわらずお会いいただけるという希望を抱いてお願い申し上げます)とか、Отрываю Вас от Ваших дел своим письмом, но мое положение вынуждает меня к этому.(お忙しいところ恐縮ですが(この手紙でお手間を取らせて恐縮ですが)、私の置かれている立場もありやむを得ずお手紙を書きました)という文は見ないこともない。だが会話では、Мы вам благодарны за ваше внимание, за то, что вы нашли вреия нас принять .(お忙しい中お会いいただき感謝申し上げます)とか、что以下をвы уделили нам ценное (ценнейшее) время.とでもするのが普通だ。「はるばる」という表現も日本人はよく使いたがるが、これも無視する通訳もいるかもしれないが、私はСпасибо за то, что вы приехали из далёкой России (из далёкой Москвы).(はるばるロシア(モスクワ)からよくいらっしゃいました)などと訳すようにしている。この他にも、「この場をお借りして」などは、Пользуясь (этим) случаем, мы хотели бы выразить Вам нашу благодарность.(この場をお借りしてみなさまに感謝の意を表したいと思います)と訳せる。ご参考になれば幸いである。
さて和文露訳(和文解釈)における類語の使い分けを続けて書いて見る。シミュレーションもимитация термического воздействия(熱作用のシミュレーション)などと言うが、コンピューターを使ったものはмодель математического моделирования экономики(経済の数理シミュレーションモデル)と言うので注意が必要。日本語の穴は「くぼんだ所」という意味と、「向こうまで突き抜けたところ(小さなものは「孔」」という二つの意味があるが、ямаは前者で、地面の穴という意味が主であり、同義語のвыемкаやвпадинаだと、人体のくぼみにも使える。くぼみという意味でより一般的なのはуглублениеで、掘りごたつの下にあるくぼみにも使える。лунка はゴルフコースのホールやビリヤードのポケット、釣り用に氷に空けた小さい穴、後者の「孔」はотверстиеが技術用語としては普通である。дыра はотверстие と同義語だが日常語、пробоина は事故で船体に開いた大きな穴、дупло は虫歯の穴や木のうろ、прорубь 氷面にあいた大きな穴)である。

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2011年02月04日

●22間違いやすいロシア語

大宅壮一の「この目で見たソ連」(大宅壮一全集第21巻所載、蒼洋社、1981年)を読んでいたら、訪ソのときについたイントゥリーストの通訳について、「日本語を(ある程度)解するという事はプラスでもありマイナスでもある。日本人心理を知り過ぎているものは、半ば日本人化していて純粋のソ連人とはいえない。日本人の頭を盧過したソ連人に過ぎない」や「通訳というのは外国人との接触が職業化しているので、多分にその影響を受けていて厳密な意味でのソ連人ではなくなっているのかもしれない」とある。これをロシア語の通訳やガイドに置き換えれば、10年モスクワで暮らし、2年カザフスタンのアルマトゥイで駐在した。私も純粋な日本人とはいえないということになる。私の相手をするロシア人観光客は、そのような私を通じて初めて日本人を知ることになるので、可愛そうな気もするが、ロシア(語)を知らない「普通の」日本人とは直接会話が出来ないのだからやむを得ないとも言える。
ロシア語ではあまり兄とか弟とは言わないが、和文露訳では必要である。3人兄弟なら真ん中の兄弟はсредний братでいいはずだが、それ以上となるとどうなるのかと考えたことがある。最近末弟はсамый младший братといい、次弟はвторой младший братとあるのを本で読んだので、次兄はвторой старший братでよいと思う。
日本語とロシア語で似た響きの言葉で訳が異なるものを紹介しよう。ビスケットはпесочное печениеだが、бисквитは(ケーキなどの)スポンジ生地である。翡翠は英語ではjadeというが、古来において玉と呼ばれたのは軟玉(ネフライトнефрит)であり、清朝より硬玉 жадеит(ヒスイ輝石jadeite)が流通した。両者とも翡翠というが、現在宝石とされるのは硬玉のみである。

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2011年02月05日

●23間違いやすいロシア語

ロシア語を初めてから40年になるが、一番難しいのは和文露訳(ロシア語作文)、正確に言えば会話でのロシア語への和文解釈である。大学で岡本正巳先生の「時事ロシア語作文」という講義を2年ぐらい取ったことがある。授業で朝日新聞の天声人語を露訳させるのである。非常に斬新でロシア語に興味が持てるようになったのもこの授業のおかげである。当時この授業については教え方に方法論的なものがないと批判的な先生もいたし、このような授業を高く評価する先生もいた。しかし40年自分がロシア語をやってきて、和文露訳の勉強という事になると、このような教え方は一貫性がなく、批判的とならざるを得ない。ロシア語作文の参考書は私の知る限り、「露文解釈から和文露訳へ」(除村吉太郎、白水社、2000年)、「ロシア語作文教程」(磯谷孝、三省堂、1973年)、「ロシア語作文の基礎」(佐藤靖彦、ナウカ、1993年)、「ロシア語作文・日本の風俗 - 和文露訳の試み」(佐藤靖彦、新読書社、2006年)、ぐらいだと思うが、私の経験から言うとこういう本をやっても、プロとして使えるような一貫した(系統的な)和文露訳の勉強にはならない。これらの参考書の著者は露文解釈の大家ばかりだが、通訳やガイドのプロとして和文露訳をしたことがあるかといえばないであろう。和文露訳は実際にロシア人に対して使ってみて、たくさん恥をかかないとうまくならない。クレーム処理などありとあらゆる場面を経験しないと和文露訳は人に教えられないのである。また今求められているロシア語は観光、経済(ビジネスや技術も含む)で用いられるような言い回しをいかに無理なく日本語からロシア語にするかであろう。これらの参考書がこれに対応できているとはとても思えない。しかも例文が現在形で、一般的(類型的)の構文が多い。比較的よいのは佐藤先生の本で、体の用法などもそれなりに説明しているが、対象が日本の風俗に限られ、紙面の関係もある。これでは我々がこれまでやってきたように何万もの言い回しを場面、場面に応じて暗記していくのと変わらない。この調子で勉強を続けていてもビジネスで通用するような一通りの和文露訳ができるようになるのに5年くらいかかってしまう。
ただ和文露訳の勉強といっても、まずは露文解釈用の勉強が前提である。その前提を踏まえたうえで、和文露訳を系統的に勉強するには、通訳やガイドとしてのプロの観点から見て、運動の動詞(これで予定の動詞を理解する)、体の用法(これでどちらの体を和文露訳で使うべきかが分かる)、基本語彙の類語の使い分けをマスターするべきである。ただ和文露訳で大事なのは骨格を成す動詞であるという事をまず理解してほしい。動詞の運用を理解するためには、基本である運動の動詞、それもидти/ходить, ехать/ездить, нести/носить, вести/водить, везти/возить, лететь/летатьを徹底的にマスターすればよい。それと体の用法をマスターしなければどちらの体を使うのか分からず、いつまでたっても外国人の話すロシア語のままである。この他に、500語程度の基本的な類語(類義語)の使い分け(例えばспустить(ся)/опустить(ся), вступить/поступить, наклонить(ся)/склонить(ся), показать/указать, послать/прислать, проверять/контролировать, решать/решаться, уметь/мочьなどの動詞、разныйやразличныйなどの形容詞、домойとна домなどの副詞(句)、заявкаやзаявлениеなどの名詞)を知れば十分である。このあとは良い表現と出会うたびに自分で、文例をつけた自分なりの和露の語彙集(コーパス)を作ってゆけばよい。これらの勉強をするために今買う事が出来る参考書を挙げると、

1. 「ロシア語の運動の動詞」(原求作、水声社、2008年)
 運動の動詞といっても、とりあえずидти/ходить, ехать/ездить, нести/носить, вести/водить, везти/возить, лететь/летатьをマスターすればよい。本書では定動詞と不定動詞しか扱っていないので、接頭辞のついた運動の動詞については本書のほかに、「Verbs of motion in Russian」, Muravyova,Russky Yazyk, 1975を勉強する必要がある。また「Russian verbs in speech」, Merzon/Pyatetskaya, Russky Yazyk, 1983も非常に良い参考書である。
2. 「ロシア語の体の用法」(原求作、水声社、1996年)
 非常に良い本だが、索引がないので読みながら自分で作るつもりでいるほうがよい。
3. 「アネクドートに学ぶ実践ロシア語文法」(さとう好明、東洋書店、2008年)
 自著を挙げるのは恐縮だが、不完了体現在形の「予定」の用法の説明と被動形短語尾の用法、時制の転用(歴史的現在)が「ロシア語体の用法」にはないので本書を参考にされたい。
4. 「ロシア基本語活用辞典、現代ロシア語社、1979年(項目444)
Словарь-справочник по русскому языку для иностранцев (1. Глагол 2. Прилагательное 3. Наречие 4. Существительное) の復刻版。類義語(同意語ではないが、形が似ている基本的な動詞、形容詞、副詞、名詞の各単語разныйとразличный、заявка とзаявление など)について、類語の使い分けを我々非ロシア人向けに解説している。このような類語辞典は例を見ない。全頁読破すべきである。
5. 「ビジネスロシア語 実戦会話・応用編」(さとう好明、東洋書店、2007年、CD付)
第1部の「ビジネス会話表現法」というのが、和文解釈用の構文集であり、埋め草に使ったコラム「決まり文句」も会話の決まり文句を多数挙げているので参考になるはず。
6. 「ロシア語基本熟語500」、さとう好明、東洋書店、2009年
 安定的語結合(いわゆる熟語)を知るために必要である。ただ体の用法を理解していないと熟語も使いこなせない。
7. 「時事ロシア語」、加藤栄一、東洋書店、2008年
 和文解釈をする場合、時事ロシア語は避けて通れない。自分が必要と思う単語を本書によって覚えるとよい。
 無論これらの参考書は一回で覚えられる道理はないので、参考書を自分の使いやすいように、自分の感心した部分や、あるいはよく理解できないところを自分で見開きにつけ、何度もその都度読み返すようにするとよい。
いつ頃から和文露訳の勉強をしてよいかと言うと理想的には、ロシア語をやりだしてから半年ぐらいの、活字のロシア語が読め、発音もできるぐらいになった時である。類語や体の用法を分かりやすい日本語で説明できる先生につけばよい。独学でやる場合には初級のうちは露文のみで書かれている例文が理解できない可能性があるので、分かる範囲で続けてゆけばよい。和文露訳の上達のためにロシア人につけばよいと安易に考えている人もいるかもしれないが、和文露訳であるから、そのロシア人がよほど日本語を理解していないと、できたロシア語だけでТак не говорят.(こうは言わない)とだけで、理由や違いを説明してくれない(できない)場合も多いだろうし、生徒の方でもその説明をロシア語では当然理解できないであるから意味はない。こう言うのは上級以上の人がスキルアップをするための勉強法であるが、母国語がロシア語の人にとって、理詰めで初級者の日本人に類語の使い分けを説明できるような専門家は少ない。日本人が「は」と「が」、「ある」と「いる」の説明をするようなもので、独自の解釈でお茶を濁す場合もありうるという意味である。ロシア人に習うのは発音とイントネーションだけと考えればよい。

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