2012年02月24日
●和文解釈入門 第280回
単数と複数の使い分けは外国人のロシア語学習者には非常に難しい。ヴィノグラードフ教授の「ロシア語Русский язык, Высшая школа, 1972」に沿って、その使い分けについて考えてみたい。葉を葉全体の象徴として、つまり提喩法で考えれば、例えばパンで食物を示すとか、花で桜を示すということだが、単数листを使うとある。つまり集合的に考えればлиства、複数であることを意識すればлистьяとなるのだと思われる。同書によれば、単数で使われる名詞は、
1) 集合名詞で語尾が-ьё (берьё), -ство (большинство), -ота (беднота), 口語で廃語となりつつある-ия (пионерия), 卑語を形成する-щина (деревенщина)、他に-ина (складчина), -ба (листва, братва), -ура (прокуратура), -ат (пролетариат)、このほかにвольница, конницаがある。
2) 小動物
домашняя птица(家禽), рыба(魚), саранча(バッタ), тля(アブラムシ、アリマキ)
これらは集合名詞で、魚も多くの種類をイメージするときは複数となる。
3) 物質名詞(鉱物、金属、化学元素、化合物)
тесто(パン生地), молоко(牛乳), табак(タバコ), масло(油), мясо(肉), медь(銅), золото(金), серебро(銀), фосфор(燐), фарфор(磁器)など。
しかし種類や大量を意味するときには、жиры(体脂肪), пески(砂原), снега(積もった雪)と複数が出てくる。ステンレス鋼、炭素鋼など多くの種類(鋼種марка стали)をイメージすればстали、ラッカーでもлакиとなるし、本書にはないが、水も羊水околоплодные водыや生活排水сточные водыは複数となり、粘土もкрасные и белые глины(赤い粘土、白い粘土)となり、ガスもメタンガスやエチレンガスなどいろいろのガスをイメージすればгазыと複数になる。
4) 野菜、穀物、果実
картофель(ジャガイモ), морковь(人参)など。ただовощи(野菜)は複数のみで使い、ягоды(ベリー類)は単複両方使う。畑にできた野菜、収穫、いろいろな品種という意味では複数形のовсы(オート麦), ячмени(大麦), сена(干草)となる。一つのまとまりと考えられるものは単数形 килограмма смородины (вишни, малины, клубники, моркови, репы)が、そうでないものは килограмма яблок (груш, персиков, ябрикосы, огруцов, помидоров)複数が出てくることもある。ある程度大きさも関係があるのかもしれない。
5) 抽象名詞(性質、品質、動作、状態、感情、感覚、気分、物理的現象、自然現象、思想的方向性、潮流、抽象概念)
詩語では感情を強める意味で複数が出てくるときがある。卑語を示す-щинаは複数形を取らない。形容詞から派生した名詞で語尾が-ое, -ее (ограниченное限られたもの, мелкое細かいもの, бессмысленно無意味なもの)となるものも複数形にはならない。Розенталь教授は個々の出来事や事例を示す時には複数形となると指摘している。これなど医療ロシア語の例を見る時その通りだと思う。
6) 世の中に一つしかないもの
Москваモスクワ, кино «Ударник»映画館「ウダールニク」など
7) 複数と単数を混在して使う用法
複数のものに共通の何かは単数となる可能性が高い。Бунтовщики потупили голову.(謀反人たちは頭を垂れた)とかПовелено брить им бороду.(彼らにあごひげを剃れと命じた)などである。
これで基本的な単数をどういう文脈で用いるのかという考え方は分かるが、日常生活でも単数・複数の区別が分かりにくい場合がある。それは医者と患者の会話などに見られる医療用語である。これまで医療用のロシア語会話をエクセルにインプットしてきたが、その中で医者が漠然と患者に症状の有無を聞くときに、複数が出て来るとか、そのような症状がない時に複数生格が出て来るものがある。単数が来るのは質問が具体的な場合であるのに気がついた。無論具体的と言っても対象が複数なら複数が来るのは言うまでもない。可算名詞と不可算名詞の区別がそう簡単に分からないものもある。分泌物は可算か不可算かなどもそうであろう。そういうものを下記にまとめた。*印は訳語の意味では通常複数形を取るものである。
аденоидыアデノイド, анализы検査(分析、特に尿や血液の検査結果), антибиотики抗生物質, бляшки斑, болезни病気, боли痛み, выделения分泌物, высыпания発疹, газы*おなら(体内のガス), границы境, движения動き, жалобы患者の訴える症状, жиры*体脂肪, заболевания病気(疾患), запахи臭い, запоры便秘, изменения変化, инструменты手術用具, камни結石, кожные покровы皮膚, контуры外形, коркиかさぶた, кости骨, кровотечения出血, лекарства薬, лимфатические узлыリンパ節, липиды脂質, мазки塗抹, мероприятия措置, метастазы転移, миндалиныヘントウ線, мокроты痰, молочные железы乳腺, мысли考え, мышцы筋肉, насморки鼻風邪, ознобы寒気, осложнения合併症, отёки浮腫, ощущения感じ, перебои в сердце*不整脈, переломы骨折, повороты回転, повреждения傷, позывы便意・尿意・吐き気, полипыポリープ, поносы下痢, препараты製剤, признаки徴候, приступы発作, производственные вредности労災, проливные потыおびただしい汗, пустоты*空洞, расширения拡張, результаты結果, рентгеновские снимкиレントゲン写真, рефлексы反射, сердцебиения拍動, сгустки塊, симптомы症状, следы跡, слизистые оболочки粘膜, сокращения収縮, сосуды血管, стриктуры狭窄, стрессыストレス, судорогиひきつけ, суставы関節, сыпи発疹, толчки拍動, ткани組織, травмы外傷, углевороды炭化物, упражнения運動, условия条
件, чувства感じ, шумыノイズ, явления症状
設問)「ご家族に緑内障にかかった人はいらっしゃいますか?」をロシア語にせよ。
Есть ли у вас в семье
тот, кто страдал
катарактой ?
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今回は本文と設問がリンクするというこれまでになかった偶然がおきました。さて設問の意図が汲み取れたかどうかですが、まずкатарактаは白内障です。またこういう風に主語を単数にすると、一人と決めつけているみたいで、通常は何人いるか、あるいはゼロなのか分からないわけですから、複数を使います。私の答えは、В вашей семье есть больные глаукомой?
不確定な人数の有無を聞いているので、複数形が来ていることに注意。しかし主語を単数にしても病気は複数形にする場合もある。例えば、Страдает ли кто-инбудь в вашей семье заболеваниями почек?(ご家族で腎臓病の方はいらっしゃいますか?)。
Из вашей семьи кто- нибудь болел глаукомой?
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正解です。ただболетьの場合、用例(全体から部分へという)的にはиз вашей семьиというのは多くはなく、в вашей семьеとするのが普通です。
(お題)
ご家族に緑内障にかかった人はいらっしゃいますか
1) У Вас кто-то из Вашей семьи заболевает глаукомой?
2) Заболевает ли кто-то из Вашей семьи глаукомой?
заболевать чемと造格要求の動詞なんですね。
1) は文法的には成立しそうな、でも分かりにくそうな微妙な文と感じたので
2) のヴァリアントも書いておきます。
不完了体現在で事実の確認をしているものと考えました。
なんで家族の罹患歴が関係あるんやろ、と調べてみました:
危険因子に家族の発症の有無や近視などの遺伝的要素だけでなく、糖尿、高血圧等、食生活に関連する項目も含まれとるんですね~。納得です。
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設問は意味が二つ取れます。一つは今罹っている人がいますか(状態)で、もう一つは過去に罹ったことがあるひとがいますか(動作の名指し、経験)で、前者なら状態の動詞(不完了体)の現在形となり、後者なら不完了体の過去形になります。заболеватьは становиться больным, начинать болетьで発病するという動作の意味で、病気であるという状態の意味ではありません。状態の意味をこの動詞でどうしても示したいというなら、完了体の過去形で結果の現存を使う必要がありますが、設問の文脈では無理でしょう。つまりお答えは、繰り返し発病している人はいますかということですから、設問とは違うと思います。
もう一つの問題はкто-то, кто-нибуль (кто-било)の区別が分かっていないということです。第235回回答でчто-то, что-нибудьの違いについて書きましたが、違いは同じです。кто-тоはいることが分かっているときに使います。今回は有無が不明ですから、кто-нибудь (кто-либо)を使うべきです。кто-нибудьとкто-либоの違いは、前者が任意の一人、後者が任意の一人以上(少数という前提はあります)という感じです。
В вашей семье кто-нибудь болел глаукомой?
今日は時間がなくて、今回(第280回)の大量の文章をまだ読めていません。あとの楽しみにゆっくり読ませていただきます。
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正解です。
Кто-то в вашей семье болел глаукомой?
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コーシカさんと同じミスです。кто-нибудьとすべきです。これを正解にするとしたら、質問者は緑内障に罹った人がいて、名前は知らないか、言いたくない、しかも確認のため聞いているという非常にややこしい、珍しい文脈であると思います。