2012年02月02日
●和文解釈入門 第258回
胃石безоар желудкаは胃から出ることが出来ない部分的に消化された物質、ないしは未消化の物質が密集したもの(胃石症)、またはアザラシ、アシカ、ワニ、草食性の鳥類が歯の代わりに胃で食べ物をすりつぶすために用いられる結石またはそのために飲み込む自然の石である。結石のほうで昔から価値があるとされるのには、漢方では牛黄、熊の胆があるが、ヨーロッパでは馬糞石безоар, безуйが有名である。これは馬の腸内結石(炭酸カルシウム、リン酸マグネシウム)で解毒、解熱剤であり、別名ペトラ・べゾアール、ヘーサラ・バサラ、鮓答(さくとう)という。ロシア史の専門家ザベーリン(1820~1908)の「ロシア皇后の家庭習俗Домашний быт русских цариц в 16 – 17 столетиях, Иван Забелин, Языки русской культуры, 2001の本文の注にこの馬糞石について書いてあるので、それを参考にこの石とロシアのかかわりについて書いて見る。
中世にはこの石は全ての毒や病気に薬効があると考えられ、東方由来とされた。ロシアで翻訳された医学書によれば、この石は東インドよりもたらされ、色は灰色で、黒いのもあり、小さい。この石は海岸で見つかり、シカの心臓で生まれるが、蛇の胆汁中という説もあるが、いずれにせよ、この石は悪人の呪いに打ち勝つ最も強い薬である。賢者セラピオンは大麦12粒ぐらいの重さのを挽いたものを温めたラインワイン(白ワインであろう)とフランスの白ワインと共に服用し、ベッドでくるまり、汗をかけば効果絶大であると述べている。疫病のときも服用するか、持ち歩くと効能がある。指輪の中に入れて持ち歩けば、呪いを感じることが出来るし、感じたらすぐ服用すれば呪い除けとなる。
1616年3月21日ツァーリ(ミハイル・フョードロヴィッチ)の最初の妃候補としてマリヤ・フローポヴァが選ばれた時に、国庫でヤロスラヴーリの人ナザーリー・チストーフから215ルーブルで3個の馬糞石を買い上げたと記述がある。これは多分解毒剤としてであろう。彼女は間もなく病死したが、症状から見て大貴族サルトィコーフに毒殺されたという噂がある。石の効き目はなかったようだが、他に代わるものがないのだからしかたがない。王妃候補の毒殺というのは珍しいことではないし、王妃になってからも毒殺の危険はあった。イワン雷帝の最初の妻も大貴族に毒殺されたと少なくとも雷帝は信じていた節がある。ロシア正教内の改革により旧教徒との対立の原因を作ったニーコン総主教も流刑された時には、毒殺を恐れ、神の恩寵により馬糞石のおかげで生きながらえているという手紙を残している。
1625年に今のカザフ領にいたアッバース・シャーが金、エメラルド、ルビーに包まれた馬糞石30グラムを法会用に時のツァーリに贈ったとあるし、1626年にはカザンの人イストミーンから75グラムを国が購入とあり、1676年3月7日にも馬糞石の入った杯を用意せよという記述がある。
クルーキンとブルィチェフの共著「イワン雷帝のオプリーチニキの日常生活」に、雷帝が二番目の妃が非常に疑わしい死を遂げた後、再婚するために1570年に花嫁選びの全国美人コンテストを行い、全国から選りすぐりの美人2000人を当時彼の宮廷があったアレクサンドローフスカヤ・スロボダーに集めた。まず着飾った姿を2、3名の腹心と共に雷帝が見て、話をし、気に入らなかった女性は彼のなぐさみものになり、輩下に払い下げられ結婚させられた。あるいは無慈悲に宮廷から追い立てられたりもした。結局24名が残り、それが12名となり、1571年6月26日自分の妃と息子のイワンの妃として選ぶために、医師の立ち会いの下、彼女らを素っ裸にして調べた。結局雷帝はワシーリー・ソバーキン(コロムナの地主)の娘マールファを妃として選んだ。これは雷帝の寵臣マリュータ・スクラートフの進言によるものとされている。ところがマールファは突如病みつき、2週間後他界してしまった。マールファは毒殺されたという風評が当時もあり、ロマノフ家かチェルカースキー家の手によるものだという。雷帝は少しがっかりしたが、すぐ大貴族の娘エウドーキア・サブーロヴァと10月28日に挙式した。このように解毒剤の需要は切なるものがあったのである。
設問)「大きさではミラノのスカラ座に次ぐ大きい新しい建物が1824年建設された。それゆえ、劇場はボリショイと呼ばれるようになった」をロシア語にせよ。
В 1824 г. был построен большой новый дом, который по размеру занял второе место после Ла Скала в Милане. В связи с этим театр стали называть «большим».
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正解です。最後のбольшимは固有名詞ですから大文字にした方がよいと思います。私の訳は、В 1824 г. было построено новое большое здание, второе по размеру после миланского "Ла Скала", поэтому театр стал называться Большим.
「だから、それゆえ」というような接続詞の練習であり、и потомуでもよい。по размеруを「サイズでは」と訳してもよい。厳密に言うとこのボリショイ劇場は1853年消失している。だからбыло построеноとなっている。これが消失せず現存するならбылоは要らないということになったはずである。
Большое по величине после театра "Ла Скала" и новое здание было построено в 1824 году. И потому театр стал называться Большим театром.
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「ミラノの」が抜けていますが、構文的には正しいと思います。なんとなく文がぎくしゃくしています。それは最初のБольшоеからЛа Скалаをв 1824 г.の後に持ってくるべきだということと、後の文でтеатрが二回使われていてくどい感じがします。Оноと受けて、театромとするか、主語をтеатрとして、Большимとするかどちらかだと思います。
設問)「大きさではミラノのスカラ座に次ぐ大きい新しい建物が1824年建設された。それゆえ、劇場はボリショイと呼ばれるようになった」
Что касается размеров, большое новое здание после театра"Ла Слала" в Милане было построено в 1824 году . Поэтому тот театр стал называться "Большим" .
こんばんは。「スカラ座」をロシア語でなんと言うのかが分からなくて、昨夜は投稿を断念。
今日、皆さんのコメントを見て納得!La Scala
をそのままロシア語に置き換えるだけでよかったのですね。
Что касается ・・を使って言うことは、会話ではありえないでしょうか?
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スカラ座を調べるには、まず和英辞典(英辞朗など)でスペルを調べるか、イタリア語なので、Скара театр Италияと入力してヤンデックスで調べるという手があります。私は1分やってだめならあきらめますが、大概は分かります。
что касаетсяはビジネスロシア語など、かなり硬い場では口癖で使う人がいます。日本語では「~に関して言えば、~と(いうことになる)と」(主題の提示をしたいときに使う)ということで、日本人でも「~は}で済むところを、こういういいかたをする技術者やビジネスマンもいますから、使えないことはないとおもいますが、硬い言い方ですから、他の表現や文もフォーマルにしないと、この文だけ浮き上がってしまうことになります。ただ長い句なので、私も通訳するときに1秒でも考える時間が欲しいことが多々あり、無意識で使うことはよくあります。間を持たせるわけで、даを多用する人などいろいろですが、よい通訳を目指すならあまりお勧めはできません。