2014年11月05日
●和文露訳指南第89回
『日本人と地獄』(石田瑞麿、講談社学術文庫、2013年)によると、地獄思想が日本で広く受け入れられたのは、10世紀末の往生要集が具体的に地獄を描いてからであり、地獄としての最初の発想は八寒地獄であったのが、八大(八熱)地獄の方が有名になっていったらしい。思うに、寒さがひどくなると眠くなって凍死するわけだが、熱さの方は暑くなる一方だし、日本には火山や温泉がたくさんあるから、具体的にイメージしやすかったからかもしれない。八大地獄というのは殺生などすると、等活地獄(罪障が尽きるのが1兆6200億年後)から、黒縄地獄(罪障が尽きるのが等活地獄の8倍後で、苛烈さは10倍)、以下罪障の尽きる長さと苛烈さは10倍で、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄と続き、最後の阿鼻地獄(これは罪障の尽きる期間が1千倍で、苛烈さは2倍)となり、各地獄には16の小地獄があると書かれている。人は生きている以上、肉食、魚食、野菜や果実を食べたりして生き物の殺生せざるを得ないわけで、そうなるとだれでも堕獄する(地獄に堕ちる)と考えるのが普通だ。そこで、地獄から救い出してもらうため、また後生を願うため、あるいは代受苦として(地蔵)観音さまなどに代わりに地獄での苦患(責苦)を少しの間だけでも代わってもらうため、僧侶に有難いお経を読んでもらって、回忌ごとに盛大に追善供養をしてもらうという発想なのだろう。
話が長くなったが、これが日本人の伝統的な死生観だったはずで、聖者でもない限り、普通の人は中有(次の生を得るまでの中間的存在)にいて、次の生まれ変わりを待つということだと思っていた。死んだら天国に行くという発想はキリスト教との天国と西方浄土の極楽の混淆としか思えない。だから悪いということはないが、日本人の死後の宗教観が変化したということかもしれない。外国人に日本の宗教観を説明せざるを得ない身である以上、いろいろ書いてしまった。私個人は不可知論者であり、至高の存在というものはあるのかもしれないが、あったとしてもそういう存在がわざわざ人間に関わりをもつというのが理解できないし、ましてやお賽銭やお参りをすると神仏が喜ぶとか、そうしなければ機嫌を損ねるとか、祟るというのはまったく理解できない。お賽銭を上げる人も神仏の存在を信じているというよりは、もし神仏が存在していて、機嫌でも損ねたら困るし、ひょっとしてお賽銭で幾分かは幸運を分けてもらえるかも知れず、ダメ元といったところなのだろう。
地獄ならいつかは年期が明けて、生まれ変わるか極楽にいけるという期待があるが、天国や極楽はそれ以上の場所がないし、いくら美人(美男)や美食が満ち溢れていると言っても、それだけでは退屈な場所のようだ。そこに行けたとしても、ずっとお教や聖書やコーランを読んでいなければならないのだろうか。死ねば終わりというのが私の考えであり、せいぜいのところ、死ねば無になるか、全ての根源たる宇宙と一体化するというところであろう。
出題)「私の言う事を最後まで聞いていただけるなら、それを例に示して解説します」をロシア語にせよ。
Если вы меня до конца дослушаете, я смогу вам объяснить, используя это в качестве примера.
よろしくお願いします。
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出題は解説しますであって、解説できますではありません。смогуの代わりにобъяснюとし、используя を取ればよいと思います。私の答えは敬語らしきものを使ったものです。Если вы потрудитесь меня выслушать, я объясню вам это примером.
Если вы можете
послушать меня до
конца, я даю вам
пояснение , показывая
это как пример.
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お答えだと、「最後まで私のいうことを聞くことができる(能力がある)なら、例として、これを図解し、(いつも定期的に)説明します」となり、(いつも定期的に)という反復の用法ということはないでしょうから、あと思いつくのは、予定の用法ですが、いずれにせよ、出題は1回の具体的な動作を示しているわけで、これに不完了体を使うのは間違いです。
(お題)
私の言う事を最後まで聞いていただけるなら、それを例に示して解説します
(コーシカ訳)
Если Вы выслушаете меня до конца, я поясню Вам тот на примере.
順次的用法の完了体未来です。
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тотにはэтотのようなそれ単独で既述のことを示すという用法はありません。этотにすれば正解です。
Если вы будете слушать мой разговор до конца,то я буду разъяснять это,показывая пример.
意向を意味するのでнвとしました。よろしくお願いします。
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мой разговорというのは、「私のお話」ですが、私の言うことは、この場合меняと代名詞の補語を使います。出題は「最後まで聞く」というのですから、動作が完遂されることは明らかです。これに不完了体を使うとすれば、未来の時制の反復となります。「いただけるなら」というのは意向ではなく、謙譲語ですから、ロシア語では特に訳さなくてもよいと思います。бытьの未来形プラス不完了体不定形(いわゆる不完了体未来形)が、意向の意味をもつのは、そういう状況ではそうなるという文脈依存があるときだけです。出題には短文ですから、その文を見ただけで、そのような文脈依存は感じられません。『和文露訳入門』4-1-1-6項意識的否定は、そういう文脈依存を否定するので、意識的要素が出てくると思われます。いずれにせよ、文脈を考慮しなくてよいのは完了体だけです。どうしても意向を使いたいのであれば、собираться, намерен, хотетьというような叙想語 + 完了体不定形を使うべきです。
Что будете пить?(何をお飲みになりますか?)というのは意向の用法ですが、場を無視したものではありません。喫茶店に入って、ウェーターや一緒にいた友人からの発言と理解するのが普通です。これは喫茶店に入れば、何か飲み物を注文するのが当然だという暗黙の了解があるからです。つまり、不完了体未来形というのは、場依存性(文脈依存性)があるため、場独立型の(場を無視するというよりは、始めから場を考慮しない)ような新規の具体的1回の動作には使えないことになります。そのときはсобираться, намеренなどの叙想語を使うほうが、適切だと思います。
Если вы прослушаете меня, я возьму этот пример и объясню.
例示でсовです。обедать чем は昼ご飯を何で済ませるかということでしょうか?
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正解にしてよいと思います。ただ例示的用法ではなく、順次的用法です。прослушать = выслушать от начала до концаなので、初めから終わりまでというニュアンスがあるということに留意する必要があります。
ご理解の通りです。обедать, завтракать, ужинатьの中で、ロシア人から聞いたことがあるのは、Я завтракал бананом.(朝食はバナナ1本だった)というものです。
Если вы готовы выслушивать меня до конца, я вам разъясню всё, используя это, как пример.
力まかせに訳しました。
最後まで聞くのに要する過程を考慮して、不完了体выслушиватьにしました。
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過程を聞いているのではなく、最後まで聞くという動作の完遂を出題は問うているのです。お答えは「私の言うことを(繰り返し)最後まで聞く用意があるなら」となり、出題とは違いますし、従属文が反復なのに、主文に具体的1回の動作を示す完了体未来形が来るというのもおかしい話です。
Если вы дослушаете меня до конца, то объясню, показав это на примере.
順次的用法 (完了体動詞未来形)
または、条件節・主節が例示的用法、副詞節が主節の前の順次的用法とも言い換えられますでしょうか?
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показавを取れば正解です。直訳すればくどくなります。これは順次的用法です。従属節の動作が終わってから、主節の動作が始まるわけで、例示的用法というのは、話し手の主観で、動作があったり、なかったりするわけです。この出題にはそのような要素はありません。ある条件があれば、必ず動作は起こるわけですから、どちらかというと完遂の用法です。