2014年11月02日
●和文露訳指南第86回
完了体と不完了体の使い分けをより簡便にするために、『和文露訳指南』第1章の完了体の定義として、「完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージする」と書いたが、もっと簡単に定義できるはずだと、ずっと考えてきた。その思案をここに述べる。
動詞の完了体の定義については、第67回で『ロシア語百科 Русский язык Энциклопедия』(Советская энциклопедия, 1979)にある、「完了体は動作の不可分の全一性の意義значение неделимой целостности действияを持つ〔マースロフ教授やボンダールコ教授の見解〕を紹介した。これは完了体が明示的な機能を持つという有徴性からのものであり、不完了体については「不完了体は動作の完遂завершённость действияの意味を持たないかもしれないし、持つかもしれない」というあいまいな記述をせざるを得ないことからもそれは理解できる。これは会話で和文露訳をする際にどちらの体を使うかを決めるには、まったく役に立たないことは明らかである。
会話における和文露訳での体の使い分けを可及的速やかに、実用的に行うには、やはり完了体のもつ有徴性から考えて、完了体のもつ動作の不可分の全一性の意義という定義から出発するのがよさそうである。完了体が動作の不可分の全一性を意味するのであれば、中途の動作である過程を完了体は示せないことになる。しかし、動作の不可分の全一性だけでは、不完了体の遂行動詞、状態の動詞、予定の用法も動作の不可分の全一性を示すわけで、これだけでは不十分である。そこでもう一つの説「完了体は自らの抽象的な、質的な限界(そこに達すると動作が尽きるか、止むはずの臨界点)に達した動作という意味を持つ〔ヴィノグラードフ教授の見解〕」を考慮に入れれば、完了体は中途の動作である過程を示せないのは明らかとなる。
つまり、「完了体は刻々と動く動作のその瞬間を表現できない」ということになり、これは過去、現在、未来、不定法、命令法、その他の表現においてもそうである。これが体の使い分けを行う上での大本であり、全ての個別の体の使い分けはここから発していると言える。またその瞬間の動作の表現は、他に代わるものがないから、やむをえず、不完了体が担うことになる。
完了体過去形や被動形動詞過去短語尾の結果の存続の用法、また結果存続兼評価型動詞では、動作は既に終わり、動作の結果だけが示されているに過ぎないので、上の定義と矛盾しない。体の本質は同じであるが、その現れ方に強弱が出る場合もある。体の本質についてのお題目だけ唱えても、会話の和文露訳で体の使い分けができるようになるわけではない。第2章以下の個別の具体的な用法により動詞の体の用法を検証し続ければ、必ず体の本質の奥義を極められる。
出題)「彼がこの前村に来たのは54歳の時だった」をロシア語にせよ。
Когда он в последний
раз посещал деревню.
ему было 54 года.
---------------------------------
正解です。ただемуの前のточкаはカンマの打ち間違いだと思います。私の答えは、Ему было пятьдесят четыре года, когда он в последний раз приезжал в деревню.
В тот раз он посетил деревню,тогда ему было 54 года.
具体的な一回の出来事なのでсвとしました。よろしくお願いします。
-----------------------------------------------
この前をв тот разやв этот разと解釈すれば、お答えのようになりますが、それは違います。「54歳の時に村に来た」とか、「最初に村に来た」というように時間軸の無限小の不動の一点に動作が起これば、アオリスト的用法で完了体過去形が来ますが、「この前」というのは、最近、つまり1回以上来ていた(来て帰った)のだが、その最後の回という意味であり、この54歳は来てから帰るまでのごく一部の期間に含まれることは明確である。つまり動作の有の確認ということから、不完了体過去形が来る。実際に来ている以上、例示的用法は使えないことが分かる。
В последний раз он приезжал в село в 54 года.
よろしくお願いします。
----------------------------------
正解です。
Он приехал в деревню в последний раз, когда ему было 54 года.
---------------------------------------------
この出題は過去の時制です。完了体過去形を使うと、アオリスト的用法か結果の存続は文脈によります。そこで仮定法を除いて過去の時制にしか用いられない不完了体過去形を用いれば、過去であることは明確になります。なぜприехалではだめなのか、次回本文で詳しく説明します。ポイントは彼はこの村に今いない(来たが帰った)です。
(お題)
彼がこの前村に来たのは54歳の時だった
(コーシカ訳)
Он приехал в деревню в прошлый раз, когда ему было 54 года.
アオリストの完了体過去です。
----------------------------------------
違います。詳しくは次回の本文を参照ください。
先に送ったものを訂正します。
Ему было 54 года, когда он был в этой деревне в прошлой раз.
--------------------------------
прошлыйとすれば正解ですが、「この村にいたのは」とも解釈できます。
Ему было 54 года когда он в прошлый раз приезжал в село.
было : 事実の有無の確認(быть動詞過去形)
приезжал : 動作の往復(不完了体動詞過去形)
---------------------------------
正解ですが、когдаの前にカンマが要ります。