2008年06月09日
●新帯研 第23回
今評判の「カラマゾ-フ兄弟の翻訳をめぐって」(大島一矩、光陽出版社、2008年)を読んだ。基本的にロシア語ができる以上ロシア文学はロシア語読むことにしているので、和訳では読んだことがない。例外はソルジェニーツィンの「収容所列島」で、40年前学生の時に、隠語辞典が手に入らなかったこともあり、これは和訳で読み、後に原語で読んだ。そういう意味で大学者たちの和訳の比較ができる機会を与えてくれた著者には深く感謝したい。5か所ほど自分でもっと調べてみたいなという個所はあるものの、それ以外はなるほどと感心するのみである。これまで大学者たちが「カラマーゾフ兄弟」の和訳をしてきたわけだが、中には同じようなミスをしており、訳を参考にしたのが裏目に出た(124ページ)ように思えるのもある。その中のある翻訳者などは自分の訳に絶対間違いがあるはずがないと豪語していたのだから失笑するばかりである。訳している日本語の文章に引きずられて、語義を正確に露露辞典で確認するのを怠ったのだとしか思えない。完了体の訳がおかしいと著者が指摘したところが2か所(131ページ、337ページ)ある。別にむずかしい用法でもないからどうなっているのだろうと首をかしげざるをえない。著者が誤訳を指摘した箇所は100ほどだが、これは目についたものを挙げただけで、本気で最初から著者がチェックしたらこの何倍も、何十倍も見つかった可能性が高い(もっともそんなチェックに金を出す人はいまいが)。村上春樹氏が新聞に書いていたが、自分の小説はあとで直そうと思ったことはないが、翻訳は何度でも機会があるなら手を入れたい、間違いというのは誰にでもあるからだと書いているのは当然のことだと思うが、立派な見識と思う。ロシア語の大家ですらこうなのだから、自分などはまだまだ精進する必要があるなと心した次第。著者のこつこつとした努力には頭が下がる。大学でなくとも、市井にこういう大ロシア語専門家がいるというだけで心強い限りである。
ドストエーフスキーやチェーホフは日本でもファンが多いが、語学を覚えるのは日常の決まり文句から覚えていくわけで、語学の授業にチェーホフなどの大作家の文章を講読としてやるのはいかがなものか。偉大な作家になればなるほど、独自の表現が多く、ありきたりの語句は使わない。無論語彙がкрылатые слова(名言)になったものは別だが、語彙を多く覚えるためには、露文解釈の教科書には、かえって二流作家の本のテキストを使うほうが分かりやすい。つまり映画化やテレビ化されるような探偵小説などがよいと思う。美しいロシア語が分かるには、あるいは勉強するには、一般的なロシア語が自分の中にできあがってからでよいと思う。今回の課題は、
Двое приятелей разговаривают:
- Моя жена – просто ангел.
- Везёт тебе! Моя ещё жива.
設問)和訳せよ。
SATOHさんはロシア語そんなよく分かりますね。すごいです!^_^
私もドストエフスキー大好き、そして「カラマーゾフ兄弟」は私の好きの作文です。それはそんな雅言で書きましたのでロシア語の読むことはとても深い気持を出せます。
今度のアネクドートの和訳です。
友人が二人を話します。
「俺の妻は天使見たいのだ」
「幸運なやつじゃね。俺のまだ生物じゃ」
(もし間違いました、直して下さい)。
ところで、私はウクライナから、ソ連は私の故郷でした。
だれも本当の外人と話したい、メールにいらっしゃい! ^_^
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ウクライナの方がこれだけの日本語で小話の和訳をするというのにはただただ驚くばかりです。帯研も国際的になったものでうれしい限りです。我々日本人が落語を露訳するようなものですから、大変さは我々の比ではありません。無論ロシア語でのオチは当然理解されていると思いますので、日本語の方だけチェックさせていただきます。「友人が二人で話しています」、「見たいのだ」は「みたいだ」とすべきです。「見たい」だと хочу посмтотетьという意味です。もともとは「~を見たような」から派生した表現ですが、現在ではひらがなで書きます。日本語の「生物」は普通は人間以外の生き物という感じがします。「幸運なやつじゃね」というのはなかなかよく日本語を勉強されているとみましたが、通常はおじいさん(おばあさんではなく)の使う言い方です。一応私の訳を書いておきます。
二人の友人の話。
「おれの家内はただただ天使だ」
「幸せ者だな。おれのはまだ生きてるんだよ」
ご本人が日本人との文通を望んでおられるようなのでメールアドレスを書いておきます。rainbow2@list.ru です。