2012年12月01日
●和文解釈入門 第561回
(250) 「女三人のシベリア鉄道」、森まゆみ、集英社、2009年
著者は2006年にシベリア鉄道でロシアを旅した。与謝野晶子が1912年に、中条百合子が、林芙美子が1931年にシベリア鉄道で旅したが、その3人の旅を点描に、自らの旅の印象を語っているが、著者自身の印象の方がはるかに面白い。
(251) 「縮み志向の日本人」、李御寧、講談社学術文庫、2007年
日本人論の陥りがちな、対西欧との日本だけではなく、もっと広い意味での韓国・中国の視点からの日本人論であり、ミクロという切り口から日本人論で視野が広く、よほど面白い。これなども、わずかに垣間見えるロシア人については、ステレオタイプのソ連型官僚主義だけのようで、世界的視野でものを見ることの難しさを教えてくれる。ミクロと言うなら、ノミに蹄鉄を打ちつけたロシアの職人の話であるレスコーフЛесковのЛевша(ぎっちょ)とか、仏壇に対するалтарьなど、ロシアにもミクロ的な世界観はある。この点からロシアの東洋性を見てみるのも面白いかもしれない。
設問)「彼女を起こしたが、起きなかった」をロシア語にせよ。
Я ее разбудил, но она
не встала.
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разбудилというのは、完了体過去形で、動作が完遂したことを意味します。つまり、お答えは、起こした彼女は「目を覚ましたが、立ち上がらなかった」と解釈できますが、非常に不自然ですし、設問とは合いません。解説は次回の本文に譲りますが、私の答えは、Он её будил, но не добудился.
Я разбудил её, но она не встала.
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ブーチャンさんと同じです。設問の日本語を理解していないか、体の用法を理解していないかのどちらかです。ただ完了体の順次的用法を使おうとしているという意欲は買います。
Я будила ее, но не разбудила.
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発想は正しいのですし、ネットでは見かけないこともないですが、あまりこうは言わないと思います。разбудилがまずいのは、この完了体は動作を始めから終りまで推敲するという意味がありますが、設問ではすでに、будилと動作が半分くらいはなされていて、ただ完遂していないわけです。ですから、残りの動作をするという意味の接辞до-とかдо-сяを持った動詞を使うほうがよいということになります。
Я попробовал(а) её раздудить, но не проснулась.
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英語的な発想ですが、意味は通じると思います。ただロシア語らしくはありません。