2012年12月12日
●和文解釈入門 第572回
時間を示す語句が動作の過去の一点を示すならば、動詞には完了体過去形を用いると述べたが、そのような語句がなくても、動作が過去の一点に行われたという意識があれば、完了体過去形が来る。自転車に乗れたり、スケートが滑れるということは、過去のある一点において初めて乗れるようになったり、滑れるようになったときがあるということである。はっきり小学二年生のいつと覚えている人もいるかもしれないが、覚えていない人も多いだろう。しかし、いつかは知らないが動作が過去の一点で行われたということが、明らかであれば完了体過去形が来る。このように明示するどうかは別にして、「初めて」という意識があれば、過去の一点を示しているという意味から完了体過去形との結びつきが多くなるのはこのためである。動作が過去の一点で起こったというのは、一度(1回)だけ起こったということなので、「一度~した)」、「一度も~しなかった」〔否定の強調〕という動詞句にも完了体が出やすいという事になる。現在の時制での「一度も~しない」という場合は、例示的用法の派生で、潜在的可能性をも否定するわけだから完全な否定、つまり否定の強調になる。
(その小説は1862年最初に出版された)Роман впервые появился в печати в 1862 г.
(私は初めてこの公園でスケートを滑った)Я впервые покатался на коньках в этом парке.
設問)「凡人はそれを侮辱と取る」をロシア語にせよ。
Простые смертные считают это обидой.
・считать, воспринимать, пониматьが使えるような気がしましたが、違いが今一つわかりません。
また、「普通の」というときにпростойとобыкновенныйで使い分けはあるでしょうか?「普通の会社員」はпростой служащийをよく聞き、обыкновенный~はあまり使わないように思うのですが、いかがでしょうか?
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日本語の凡人はややマイナスイメージのある言葉です。смертный = человекですが、雅語で、今回は不適当だと思います。обыкновенный (обычный) человек(普通の人)はよく使う表現ですが、意味的にはニュートラルです。простой (рядовой) человекあたりが設問に近いニュアンスだと思います。
считатьで問題ないと思いますが、「取る、受け取る」というのは、понятьですが、補語(人や物、概念)を理解するというよりは、どんなふうに理解するのかという点が違います。私の答えは、Посредственность воспринимает это как оскорбление.
воспринимать = оценивать (рассматривать) как-либо, каким-либо образомこの「取る」は「受けとめる」ということで、「理解する」に近いが、どのようにという、あるニュアンスで理解するということである。
Заурядные люди
истолкуют это в
сторону оскорбления.
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истолковатьと完了体を使っているから例示的用法を考えているのだと思いますが、それは違います。体の使い分けの大きな違いは、不完了体は一般的な事柄に用い、完了体は具体的な事柄に用いるという点にあります。設問は凡人というものはと一般化しているわけで、これには完了体は使えません。
Если что, я всегда вам помогу.でも、「何かあったらいつでもその時は私はあなたを助けます」と、「その時」、「私」とすべて具体化しています。
Я всегда вам помогаю.では「私」は具体的ですが、肝心の動作は特定の時を示しているわけではなく、繰り返し、一般化なので不完了体が来ているわけです。このように体の使い分けには、公式で、例示的用法が使いたいから完了体未来形を使うというのではなく、体の本質の理解が必要です。
お答えをистолковыватьにして в сторонуという語結合はありますが、в хорошую (плохую) сторону と形容詞をつけるのが普通です。これならистолковывать как оскорблениеとкакを使ったほうがましです。ただより使う頻度の高い動詞толковатьとкакという語結合はないようです。
Посредственный человек считает это оскорблением.
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正解ですが、воспринимать + 対格 +какの方が、露訳としては近いように思います。принять + 対格за + 対格でもいいと思いますが、勘違いというニュアンスが入るような気もします。
Ничтожный человек воспринял бы это как оскорбление.
はじめ何か格言のようなものと解し、一般的なことなので「不完了体現在」とも考えましたが、「それを」というのに、若干ひっかかり、何か具体的な場面で、「凡人だったら・・・取るだろう」というようなニュアンスなのか、と思い直し、仮定法にしました。
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ничтожный человек= мелкий, жалкий человек(小人、くだらぬ人)が、凡人と同義だとは思えません。動詞の選定は正しいと思いますが、体については、最初のお考え通り、一般的な事柄なので不完了体にすべきだと思います。これは特に格言ではなく、1970年代から80年代初めにかけてソ連で人気のあったビドストループというデンマークの政治風刺漫画家の露訳されたエッセーの中にあった表現です。
Простой человек принимает, что это обида.
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惜しいような気がします。принимает это за обидуならよく見る表現です。