2012年12月23日
●和文解釈入門 第583回
смочь はмочьの完了体だが、смочь独自の意味として、露露辞典に載っているのは、оказаться в состоянии сделать что-либо(~できるようになる); получить возможность сделать что-либо(~する機会を得る)と状態ではなく、動作としてである。過去時制のмогとсмогの違いについては、岩波の露和にも載っているが、Он смог (мог) перепечатать свой доклад.においてсмогが「彼は自分報告をタイプできた」だが、могは「タイプで打つこともできたはずだ(が打たなかった)」という違いがあると指摘している。не могとне смогの違いについては、私見だが、не могが単に動作(可能であるという語義)の否定という不完了体の用法であり、не смогは完了体過去形なので、予想外れというような主観的な、モダリティー(叙想的)な用法であると思う。мочь = быть в состоянии; иметь возможностьという風に、мочьは可能であるという状態(ないしは能力)を示していることが分かる。смочьは未来における(これからの)動作なので、これを意識すればよい。未来の時制で可能という用法を使う場合、мочь の未来形はбудет в состоянииで、可能性の繰り返しか、ある程度の期間を見込んだ動作に使われることが多いので、1回の具体的な可能性にはсмочь + 完了体不定形を使えばよいことになる。
Банк будет в состоянии погасить задолженность через год.(その銀行は1年後に負債を返済することが出来るとしている)
設問)「そんな彼を前にも後にも見たことはない」をロシア語にせよ。
Я никогда и ни разу не
видел его в таком виде.
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これだと、視点が普通は現在からみた回顧のように思えます。彼のそういう姿を見たのは過去のある一点ですが、その前も後もそういう姿を見たことはないというのが、うまく伝わってきていないと思います。видетьには過去完了のような表現ができますが、やはりそれには何かを付け加えたほうがよいように思います。第29回の回答に、〔「~したことがなかった」をロシア語にするには、どうするかというと、基本的にはその前の文で過去であることをはっきりさせておくか、「そのときまで」や「2年前まで」というような文言を入れる、つまり「わたしはそれまでこのような大河を見たことはなかった」はя до того времени не видел таких мощных рек.となるし、「2年前まで(2年前以前には)カラマーゾフの兄弟を読んだことはなかった」はЯ не читал «Братья Карамазовы» раньше, чем два года назад.とでもするしかないと思う〕と書いた。これなど参考になると思う。
私の答えは、Я не видел его таким никогда, ни раньше, ни позже.
Никогда раньше и никогда позже я не видел его таким.
今日の記事の内容に関連して、質問させていただきます。смочьの未来形が不完了体を伴う例(Кем я смогу работать?など)は、意味はもちろん分かるものの、どのように体の説明体系の中で説明すべきものなのか、いまいちピンと来なく、自分ではなかなかこういう表現が使えません。今日でなくても構いませんが、教えていただけると幸いです。よろしくお願いします。
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正解ですが、никогдаが2回も出てくるのはくどいと思います。1回にして、ни...ни...とすれば、よりロシア語らしくなったと思います。
ご質問に関してですが、ご質問の文に意味的に近い例を考えると、Кем я смогу стать?と完了体不定形を考えるのが普通でしょう。それなのに、なぜご質問の文にработатьと不完了体が来るのかといえば、仕事をするというのはある程度期間を想定した動作だからだという回答もあり得るとは思いますが、これはработатьに対応する完了体がないからだろうと思います。работать系統でпроработатьという完了体があることはありますが、これは明らかに期間を想定しています。この動詞を未来の時制で使えば、具体的な期間でなくともнадолго(過去の時制ならдолгоでもよい)のような副詞を、実際に言う(書く)か言わない(書かないか)は別にして想定せざるを得ないと思います。ところが、ご質問の文「(将来)何という職業で働くことができるのか?」では、動詞は特に期間を想定しているのではなく、「(職業人に)なる」という意味だけです。正に、ない袖は振れぬЧего нет, того нет.ということになります。このような例は第5回の設問「よくお休みになれましたか?」の回答でも紹介しています。昔のことなので、ネットで見るのも大変でしょうから、再録します。
その設問の答えとして、Как вам спалось? と書いた(力点はоに来る)。これは完了体の用法をやった人なら違和感を覚える。結果の評価(いいか悪いか)というのは完了体過去形の用法だからだ。よく使われるのはКак вам понравиллся этот фильм?(この映画どうでした?)というものである。もっともКак вам нравится Токио?(東京の感想はいかがですか?)ともいうが、この場合同じ結果の評価でも聞かれた人はまだ東京にいるというニュアンスがある。ついでにいうとнравитьсяとлюбитьは意味が近いが、「こういういい印象を与える」とか「第一印象が~である」という意味はлюбитьにはないし、любитьはкакやчтоとも使わない。いろいろ考えたが、спать, спатьсяは対応の完了体がないために代用として完了体の用法が出て来るのだろう。だからКак спали? とも言う。ただ文法的に一番安心なのはあまり使われないがХорошо выспались?である。спать, спаться, のほかにもработать, питьなどは対応する完了体がないとされる。そういう場合は完了体が使われるべきところに、不完了体のまましゃしゃり出て来ることになる。繰り返すが代用としての用法である。
① (В) Первый раз вижу его в таком состоянии.
② Я ни разу не увидела его в таком состоянии.
「前にも後にも」とあるので否定の強調だととり、①は первый раз で強調を表し、②は完了体にしました。
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(1)は視点は現在で、タイムマシーンを使わない限り、後にも先にもという設問とは違うと思います。(2)第522回本文に書いた通り、「会う」という意味では、увидетьは過去の時制では使いませんが、「見る」という意味では可能ですが、結果の現存でしょうから、過去完了(あるいは大過去、過去の過去)という意味では使えないと思います。
Такого его состояния я не видел ни до этого, ни после этого.
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ぎこちない感じですが、文法的には正しいと思います。Ни до ни после я не видел его таким.とすれば、よっぽどすっきりするとは思いますが。
Такого его и раньше не видел, и не увижу.
「前にも後にも」で悩みました。苦し紛れです。
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確かに、увижуだと未来のことをいっているわけで、預言者のようになってしまいます。これは視点を現在においてるからそうなるので、過去の1点、もっというと、過去の過去(大過去、過去完了)を考えないといけないと思います。英語と違ってロシア語には過去完了という形式はないので、過去で代用し、それが分かる文脈を配するようにします。
訳がうまく頭に浮かばなくとも、将来の予習をしているのだと思えば、いつかはやらなければならない和文露訳の先取りをしているのだと思えばという気持ちで頑張ってください。やっているうちに、何かしらロシア語が浮かんできますし、毎日やれば、それを実感してくると思います。そのうち長文の和文露訳も気にならなくなると思います。上達の秘訣は、正しいロシア語を書くのだというよりは、日本語を見て(聞いて)、正しいかどうかは別にしてロシア語が浮かんでくるということで、この癖をつけるのが肝心です。
смогу работать の解説ありがとうございました。смочьの用法というより、работать側の事情なのですね。すっきりしました。