2009年08月07日
●新帯研 第66回
1985年頃取引先に頼んでマホルカタバコを手に入れてもらった。残念ながらその時にはすでに禁煙していたので、日本にいる恩師である飯田教授に送った。飯田先生も禁煙したばかりで、同僚の新田先生(これまた恩師である)に喫ってもらったら、やはりまずいとのことだった。パッケージにマホルカと書いており、当時モスクワ市内では手に入らずモスクワの大環状線のところで手に入れたとそのロシア人は言っていた。今ではまったく手に入らないだろう。マホルカは日本語ではマルハタバコといい、いわゆるタバコとは違う種類である。2003年頃アルマトゥイに行った時に、そこの市場でマホルカを売っていたが、マホルカかどうか疑わしかった。売り子のおばさんはほんまもののマホルカだと胸をたたいてはいたが、自家製栽培のタバコсамосадかもしれなかったからだ。いずれにせよタバコをやめて30年近くになるのでこればかりは確かめようがない。
Между Великобританией и СССР произошёл обмен опытом. Великобритания встала на путь разукрупнения и завела двух королев: одну по промышленности, другую по сельскому хозяйству. В СССР решили на британский манер перейти на левостороннее движение и пустили для начала сто машин по левой стороне.
設問)訳せ。オチを別に解説してもよい。
英国とソ連の間で、両国の経験について交流する場が設けられました。
英国は分権の方針を定めて、二大女王制を取り入れました。一人が工業、もう一人が農業を担当します。
ソ連ではイギリス流に左側車線の導入を決定し、手始めに100台の自動車を左側車線で走らせました。
最後のпустили以下がオチになっているんだと思いますが、よくわかりませんでした。車線なんかを段階的に入れ替えるっていう発想がソ連っぽいのかなあと…
もしかしたら、левостороннее движениеが、左派の共産主義運動とかかってるのかもと考えましたけど、結局意味が通じませんでした。
ご教示お願いします。
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オチが分らなかったのも無理はありません。若いロシア人でも無理だと思います。私の訳は、
英国とソ連の間で経験交流が行われた。英国は分割化の道を歩む事になり、二人の女王を設けた。一人は工業担当であり、もう一人は農業担当である。ソ連では英国風に左側通行に移行することにし、とりあえず100台の車を左側通行とさせた。
解説)フルシチョフが党の州第一書記を農業担当と工業担当に分けた事を皮肉っている。100台だけ左側通行にしても交通事故につながり大混乱になることも予測できない(何事も恐る恐る少しずつ改革しようとする)ソ連を皮肉っているのかもしれない。