2009年02月10日

●新帯研 第44回

パオロ・トゥルベツコーイПаоло Трубецкой (1866 – 1938)は、公爵とはいえロシアの貧乏外交官だった父とイタリア人の母の間に生まれたイタリアの彫刻家・画家である。ロシア語は話せなかったが、召使はみなロシア人であり、ロシア的なものを好んだ。ベジタリアンであり、客(多くは女性)を自宅に招待しても、客には肉料理を出すのだが、その牛や豚がどのような悲惨な思いで死んでいったかを長々と話し、そのため肉料理は手つかずであることが多かった。シベリア犬(ジャーナリストのドロシェーヴィチによれば飼い馴らした狼ではないかという)をペットとして飼っていたが、丸丸と太ったそのペットもベジタリアンであると吹聴し、「肉というのは犬にとっても悪い習慣にすぎない」と言ってのけた。ところが、ある朝、隣の工場の料理女がかわいそうに思ってか、その犬に骨や余った肉をやっているのを見つけたパオロは、ひとこと、「えい、獣めが」と言ったきり絶句し、この料理女を誘惑者イブであるかのように憎悪したという。
 パオロは読書をしたことがなく、あるとき有名なトルストイの彫刻をすることになり、イタリアに来たトルストイが、その頃フランスで出版された「芸術について」というトルストイの書いた本を読んだかと問うたところ、否とのことだった。トルストイはこの本はパオロにとっても興味深いのではないか、読んでみたらと述べ、次の日に読んだかどうか聞いてみたところ、
「2ページ読みました」
「気に入らなかったのかね?」
「眠ちゃったんです」
 これにはさすがのトルストイも大笑いだった。自分は理論家ではなく、芸術家なのだという矜持を持っていたのだろう。今回の課題は、
Стук в кабину туалета:
- Товарищ...
Ещё более нетерпеливо:
- Товарищ...
Можно сказать отчаянно:
- Товарищ, у меня понос.
Из кабины скрипучий, кряхтящий голос:
- Счастливчик.
設問1)オチが分かるように訳せ。
設問2)поносは医療用語だが、日常では普通何というか?

Posted by SATOH at 2009年02月10日 12:42
コメント

文章ででも、ことばででも、思っていることを自由に表現したいと思いますが、実際に書いたり口に出したりすると、こんなはずじゃなかったのにと思うことがよくあります。

回答します。товарищが使われているのでソビエト時代の話ですね。下痢と便秘(запор)の二人の会話でしょうか。じつは、私はずっとпоносとзапорがこんがらがっていて、どっちがどっちだか何度覚えても頭に入りませんでした。ロシア人と話す時にはまずどちらかを言ってみて相手の反応をみて間違いか否かを判断するという方法をとってきたので、今回は率先して回答させていただいて、この問題には今回かぎりでけりをつけようと思います。
設問1)
トイレの個室をノックして:
「同志…」
さらにせっぱつまった様子で:
「同志…」
なんとも絶望的に:
「同志、下痢なんです」
個室からヒーヒーうめき声:
「うらやましい奴」
設問2)
диарея(英語ではdiarrhea、ギリシャ語のdiarrhoia, 「流れ通ること」からきたもの?)ロシア語の手元の研究社の辞書では、“диа…” し通す・完全な・完全に・離れて
“реять” <川や霧が>流れるともなく流れる
という意味がありましたがここからきたものなのでしょうか?
このアネクドートでは“понос”が使われていますが、日常会話では“диарея”のほうが頻繁に使われていますか?
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オチの理解もその通りですし、訳もこなれています(ヒーヒーは私のキーキーより良い訳です)。つまり当分トイレの個室はあきそうもないという非情な運命が下痢の人を待ち受けているということになります。диареяというのは露和に載っていますが、聞いたことはありません。日常生活ではрасстройство желудка(腹下り、腹下し)です。私の訳は、
トイレの個室にノック。
「あの」
さらにもっと耐えがたく、
「あの」
絶望的と言ってよい(声で)。
「あの、下痢なんです」
個室からキーキー声で、かつうめくような声が、
「幸せ者が」

Posted by メイ at 2009年02月12日 11:34
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