2010年01月27日
●新帯研 第92回
革命前のロシアの貴族の称号(爵位)дворянские титулыを戦前の日本や西欧のように公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵と考えている人がいるようだが、それは違う。ロシアでは公爵、伯爵、男爵のみである。公(侯)爵、伯爵、男爵のみである。公爵свелейший князь(侯爵の中で特に功績のあったものに与えられた)や侯爵 (простой) князьはРюриковичи (Вяземскиеなど), Гедиминовичи (Голицыныなど), Чингисхан系統 (Юсуповыなど), グルジア貴族系統 (Багратионы, Грузинские, Имеретинские), князь Римской империи (Меншиковы, Орловы, Суворовы), Голенищевы-Кутузовыの家系)であり、伯爵графはБенкердорфы, Палены, Киселевы, Васильевы, Толстые, Панины, Игнатьевы, Шуваловыの家系である。男爵бароныはバルト海の沿岸のドイツ系かスウェーデン系の貴族предствители остзейской (прибалтийской, немецкой) или шведской родовой аристократииであり、(Дельвиги, Корфы, Врангели, Розеныの家系である。これらは世襲貴族だが、功績によって政治家なら伯爵とか、大貴族の庶子や大商人に男爵を授与される場合もあった。。一代貴族 личные дворянеから世襲貴族потомственные дворянеになる例もあった。この場合のдворянеは日本語の士族に近い。爵位をもったдворянеは華族といったところだろう。
日本の植物学の父と呼ばれた牧野富太郎先生の「植物記」に、「植物の学問は口舌や文字の学問でなく、徹頭徹尾実地の学問である。実地につき、実物について研究するところに植物学研究の真髄が存在する。地理を教える人の中にはロンドンを知らずしてロンドンを授け、鹿児島の地を踏まないで鹿児島の地理を説くものがある。そんなことではどうして生きた地理教授、力のある地理教育が行われるものぞ。教育は教師の実力が根本であって、教授術の如きは末の末である。…」とある。牧野先生は、77歳まで東大講師として教えていたが、ついぞ教授にはならなかった。もっともなっていれば定年でとっくに大学を去らねばならなかっただろうが。この文章を読んで思うには、ロシア語も露文解釈を教えるだけを教えるならともかく、せいぜい自分の考えや言いたいことをロシア語で言える程度でロシア語会話を教えるのは無理があろうということである。このレベルはロシア語を一生懸命やれば2~3年で到達できる。もっともプロのロシア語ガイドや通訳が、いくら会話ができると言ってもロシア語会話を教えることができるかというとそれも疑問である。会話の実務能力とともに、生徒に対して平易で納得のいく文法的な説明ができなければ無理だろう。今回の課題は、
Ночь. Стук в дверь.
- Кто там?
- КГБ
- Чего надо?
- Открывайте, нужно поговорить.
- Сколько вас?
- Двое.
- Так в чем дело? Вот между собой и поговорите.
(訳)
深夜。ドアにノックの音が。
「どちら様?」
「KGBです。」
「何の用だよ?」
「ちょっとお話ししたいので開けてもらえませんか。」
「おたくら何人だい?」
「2人ですが。」
「おいおい、どういうこったい?そんならおたくらで喋ってりゃ良いじゃないか。」
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オチもその通りで、和訳もこなれています。このように、隠語や俗語がなければ一見小話の露文和訳はそれほど難しくないように見えます。小話を読むなり、聞くなりするにはそれでいいと思う人もいるかもしれませんが、体の用法などを完全に理解していないと、小話全体のニュアンスがつかめないのみならず、私が提唱しているように小話を使って和文露訳(会話)に役立てようとする場合、まったく会話に活かせないことになります。趣味でロシア語をする場合はそれでいいのかもしれませんが、プロになるつもりならそれではいけないと思います。短い小話の中の動詞だけ取り出してみて、完了体が使われているときは、なぜ不完了体ではいけないのか常時考える必要があります。逆の場合もしかりで、そういうことを考えてゆくと短期間でロシア語の実力は伸びます。その伸びは目に見えないかもしれませんが、こういう根本のところを押さえておけば、応用が利きます。意味がなんとなく取れればいいというのは趣味の段階です。もっともそれがいけないということではありませんが。ただある程度のレベルまで来たのに、そこで止まってしまうのはまったく惜しい話だと思うわけです。私の訳は、
深夜、ドアにノックの音。
「どちらさま?」
「KGBです」
「御用は?」
「開けてください、話があるんですが」
「おたくら何人?」
「二人です」
「どういうことですかな。二人いるなら二人で話したらどうです」