2008年12月02日

●新帯研 第38回

原求作先生は「ロシア語の体の用法」、「ロシア文法の要点」、「ロシア語の運動の動詞」(いずれも水声社)を執筆され、ロシア語の中級文法について我々学習者の蒙を開いてくれているわけだが、最近、先生がロシア歴史小説の執筆もなさっていることを知った。「プーシキンの決闘」(水声社、1998年)、「大帝の椅子」(講談社、2000年)、「セルギイ・ラドネシスキイ年代記」(水声社、2005年)である。「プーシキンの決闘」は、ロシアの国民的詩人プーシュキンの芸術家として複雑な性格がよく描かれていると思う。「大帝の椅子」はピョートル大帝亡きあと実権を握ったメンシコフの没落を日本(?)の漂流民ボリースが黒幕として操ったとして描いている。個人的にはこのボリース(色白でアルビノか先祖返りか)の存在という設定自体が、プロットに無理を強いているような気がする。メンシコフを没落に追いやったのはオステルマンだけで十分だったのではないだろうか。このボリースを除けば18世紀初めのロシアについてよく描かれていると思う。ロシア史に興味を持っている人には非常に興味深い小説であり、登場するロシア人についても説得力がある。日本人作家の小説でロシア人が登場するものの中にはほとんど、西洋人には違いないにしろ、ロシア(人)らしさが描かれているものはほとんどない。五木寛之の「さらば モスクワ愚連隊」や、プロット的にはより面白い「蒼ざめた馬を見よ」、それに「朱鷺の墓」なども登場人物のロシア人は実際のロシア人とは、たんなる外人であって、ロシア人とは別物という感じがする。これまで読んだ日本人作家でロシアらしさやロシア人というものを感じさせたのは、長谷川四朗の「シベリア物語」のみである。長谷川はソ連で収容所も体験し、自身ロシア語も非常に堪能であったことが作品からうかがわれる。やはり、ロシア人を作品で描こうとするなら、ロシアやロシア人、ロシア語に対する深い理解というものが不可欠であろう。ロシアに興味のない一般の日本人にとっても、先生の作品で傑作と言えるのは「セルギイ・ラドネシスキイ年代記」である。14世紀のロシアの置かれた困難な状況について、あらゆる史料を駆使して生き生きとその時代を蘇させる手腕にはただただ驚くほかはない。文体は平明簡潔であり、美しい日本語である。本書はセルギイ・ラドネシスキイの一代記ではあるが、緊迫したプロットがクライマックスのクリコーヴォの戦いまで読者を引っ張っていくのみならず、アレクシイを始め登場人物にしても考え抜かれた性格描写が飽きさせない。当時の大公が神仏を特には信じないものの、祟りを恐れるということが本書で触れられていたが、これは日本でも菅原道真や祟徳上皇、平将門など祟りを恐れる日本的風土と同じであり、先生の炯眼に驚いた次第。本書を一読されることを強く勧める。原先生には中上級のロシア語関係の参考書を引き続き執筆願いたいという希望はあるものの、このような小説もそれ以上に期待するものである。
この他に日本語のロシア関係の本で最近読んだもので面白かったのは、現代ロシアの詩人カザケービチの「落日礼讃」(太田正一訳、群像社、2004年)である。ロシア的なものについてのエッセーと言うことで読みだした。確かに夕日に対するロシア的感覚など興味深いが、それよりも、短編「乳母」には感心した。作者の子供時代に世話をしてくれた乳母のことを書いているわけだが、私の母と同年代(1920年代後半の生まれか?)で、文盲かつ迷信を信じ、おしゃべり好きで、ロシア人のインテリに多いとされる鬱とは対照的な女性で、思いやりと残酷さが共存している。今まで600冊以上のロシアソ連文学を読んだが、短編では一番面白いと思う。本来ロシア語で書かれたものはロシア語で読む主義だが、これはロシア語版では出版されていないということで、邦訳で読んだが、訳文も素晴らしい。チェーホフの短編もよいけれど、やはり100年前の本であり、現代ロシアにもこういう人たちが生きていたのだという驚きのほうが強かった。同じく収録されている「兄弟」も見るべき作品である。「乳母」は清潔整頓好きな村上春樹の主人公と対蹠的な人物であり、「兄弟(実の弟のことを書いている)」では、村上龍の主人公のように作り物めいていて現実的なキレやすい人たちではなく、同じアナーキーでも地に足のついたアナーキーというロシアではどこにでもいそうな庶民が描かれている。ロシアでは村上春樹や村上龍が大人気だが、これは多分にロシアでは珍しいタイプが小説に描かれているからではないだろうか?村上龍は筒井康隆に似ているが筒井康隆の方がをもう少しハチャメチャな感じである。筒井康隆が短編が主だからだろうか?今回の課題は、
- Василий Иванович! Белые нас сзади обошли!
- Впер-р-рёд!
設問)和訳せよ。

Posted by SATOH at 2008年12月02日 13:09
コメント

「落日礼讃」は早速買って読み始めました。カザケービチ氏は日本でロシア語を教えているとは・・・。アコーデイオンの話は面白いです。

<和訳です>
「ヴァシーリィ・イヴァーノヴィッチ、白衛軍が背後に回りました!」
「ぜ、前進!」

チャパーエフに関するアネクドートですね。素直に考えてはみましたが・・・

追い詰められたチャパーエフは敵軍が背後に回ったという知らせを受けて思わず「前へ」と口走ったというところでしょうか。この後、待ち構えていた白軍の前に撃沈ということになりそうです。
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考えすぎです。敵軍が背後に回っても、チャパーエフが振り向いたとは書いていませんから、そのまま前進ということは敵軍に尻を向けたまま、つまり退却したということです。私の訳は、
「チャパーエフさん、白軍が後ろから回り込んできました」
「突撃―ぃ」
解説)太平洋戦争中、日本の軍部は退却という言葉を嫌い、転進と言い換えた。この場合、そういう必要はないので、指揮官としては気持ちが少しは楽だろう。

Posted by takahashi at 2008年12月12日 18:15

すみません!
私の説明不足だったみたいです。白軍はチャパーエフ軍を挟み撃ちにしたと考えました。「敵軍が背後に回った」という知らせを受けて、チャパーエフは単純に前にいた敵が背後に来たのだから、そのまま進めば助かるということで、あわてて「前進」と号令をかけたというオチだろうと思いました。ところが前方にも当然白軍が・・・という結末を予想したのですが。
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それではシリアスで小話のオチにはならないでしょう。いずれにせよ考えすぎです。ロシア語が上達してくると、小話でも裏の裏があるのではないかと疑心暗鬼になりますが、小話の作者も私もそれほど頭がいいわけではないし、小話というのは基本的にロシア語が分かれば万人が理解できるはずという前提だと今後は考えてみてください。

Posted by takahashi at 2008年12月14日 10:17

チャパーエフのアホな命令を笑うというものだとは思いましたが、さとうさんが再三言われている「単純に」というのがなかなかできないようです。難しいですね。

Posted by takahashi at 2008年12月14日 13:01
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