2010年07月12日

●新帯研 第113回

あるとき近くの中川のほとりを夕方散歩していたら、おばさんが何か川の方を指差しているのを見かけた。鳥が川面でバシャバシャやっていて、ときどき銀色に光るヒモのようなものが見えた。ウミヘビかと思ったが、川にウミヘビというのもなと思った瞬間、その魚はひもを飲み込み始めた。ウナギだったのである。鳥はカワウで、散歩のとき水面に浮きながら時々潜っている。数えてみると10回に1回ぐらいしか、魚をくわえて戻ってこない。あのカワウはしばらくは魚取りしなくていいなと思った次第。カワウが水面の浮かんでいる姿は、小さなネッシーという感じがしないでもない。さてロシアに関係するもので最近知った二人の人物の短い挿話を紹介する。
日露戦争で1904年3月31日装甲艦ペトロパーヴロフスク号が日本軍の水雷に接触して沈没した際、マカーロフ提督とともに戦死した有名な画家のヴェレシシャーギン(1842~1904)Верещагинは、シベリア出身の家系のようで、名字の由来はシベリア方言のверещага = яичница с поджаренным хлебом(トースト付き玉子焼き)から来ているという。ヴェレシシャーギンは戦争画で有名だが、追求したのは写実性である。飽くなき好奇心も、実際はどうなのかを知るためであり、ある政治囚の絞首刑に立ち会った時にそれがどのように行われたかの彼の説明を読むだけで、彼の興味は命の貴重さがどうかといったようなセンチメンタルなことではないことがよく分かる。文字通り真実の追求が彼のテーマであり、戦争や死刑も含めてその悲惨さを訴えるというものではなかったのである。
チェルネンコ(1911~85)は病気がちのソ連共産党書記長だったと言われる。しかし1983年8月久しぶりに休暇を取るまでは、相応に健康だった。その休暇で奥さんと息子夫婦とともにクリミア半島に向かった。フェドルチューク内相が黒海で自分が釣って、燻製にしたお土産のアジを自分で持ってきた。それを家族全員で食べた夜中にチェルネンコだけが食中毒症状を起こした。一緒に食べた奥さんのアンナも別段異常がなかったことからアジが体に合わなかったのか、すでに体の抵抗力が落ちてきていたのかもしれない。今回の課題は、
Записная книжка за 1905 год. Японцы от бери-бери умирают, а русский чиновник живёт.

Posted by SATOH at 2010年07月12日 07:10
コメント

1905年(日露戦争)当時のメモ。「日本人は脚気で死んでいるが、ロシアの役人は『召し上がれ、召し上がれ』で生き延びている」。
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後半のロシア人に関するオチは、革命前、ソ連時代、現在のロシア人の必要悪ともいえる賄賂に関係したものです。私の訳と解説は、
1905年付のメモ。日本人は脚気(カッケ)で死ぬが、ロシア人の役人はカネクレで生き残る。
Вся разница была в ударении: в названии болезни оно ставилось на первом слоге, а когда речь шла о деятельности российских взяточников – на втором.(違いはすべて力点にある。病気の方は第1音節に力点が、ロシアの収賄者の活動については第2音節に来る)
Бери! Бери! は「取れ、取れ」が直訳。

Posted by Chijik Pijik at 2010年07月12日 18:14
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