2008年02月11日
●新帯研 第2回
ロシアの民話を読んでいると、悪魔も結構ユーモラスである。キリスト教が10世紀に国教となったためにそれまでの土俗の神が悪魔となったからかもしれない。しかし悪魔は人に害をなすというのを生きがいあるいは信条としているのだろうか。神の教える事の反対をするのが悪魔なのだろうか?ことはそれほど簡単ではないと思う。神の教えも絶対的なものであり、こういうものに逆らうというのが原点ではあろうが、やはり自分勝手とかアナーキーというものが悪魔の本質にあるのではないだろうか。つまり人にとって善であろうが、悪であろうが、それは悪魔には関係なく、自分の気ままに行動するというのが悪魔の本質で、そういうのを神に代表される秩序ある社会は嫌うのであろう。また常に気ままに振舞うというのも、一つの固定した信条であり、予想もつかないように、あるときは気ままに、あるときは予想通りに振舞うのが悪魔の本質ということになれば、なんのことはないそれは我々凡人の日々していることではないか?我々日本人は社会のルールを守って生活しているとはいうものの、善をなすとか悪を行うなどと特に考えて生活しているわけではないのだから。今回の課題は、
На морским пляже загорают двое мужчин, глядя как по волнам на водных лыжах несётся красавица-женщина.
- Вот бы такую поцеловать, - мечтательно говорит один.
- Да хоть бы её ноги погладить! – вторит другой.
Неожиданно девушка падает и начинает тонуть. Оба бросаются в воду, несколько раз ныряют, наконец – девушка у них на руках. Положили её на песок, один поцеловал, другой погладил ноги.
- Тьфу, какая она холодная, а изо рта гнилой запах!
- Да и кожа какая-тодряблая, противная!
- Постой, а ведь она на лыжах была, правильно?
- А почему уже эта на коньках?
設問1)5行目падает и начинаетを完了体にする事は可能か?
設問2)和訳せよ。
こちらもメイさん、コーシカさんの分も含めてアップします。
ルールを守って市民生活を安全に過ごしたいと思っていますが、昨日の冷凍食品のニュースといい、「悪魔」が突然襲い掛かってくるのにはうんざりさせられます。Complianceなどとメデイアが盛んに言ってきましたが、人の良識で成立する市場経済の脆弱性が垣間見えます。事の次第はさておいて、うっかり行為も重なれば、悪意としてしか受け取れなくなってしまいますね。困ったもんです。
今回は最後の2行がうまく訳せないと面白みがないのかもしれませんね。
では回答です。
1) 完了体にはできないと思います。
「Неожиданно девушка упадёт и начнёт тонуть」と完了体にすると未来における可能性を示すことになりそうです。そのため、ここでの実況中継風の歴史的現在とは相いれなくなります。城田俊先生の「現代ロシア語文法 中・上級編」をみると、完了体未来には、「個別的事柄が未来において発生すること&完成・完了すること」以外に注意すべき用法として『現在反復されたり習慣化されている動作』『恒常的性質』『過去における反復・習慣』などを示すとありますが、ここでは「Неожиданно」もあり、一回の個別的動作を述べていますので、習慣的な意味合いを示す注意すべき用法にもあてはまらないようです。
2)海岸で、男性が二人、日光浴をしながら、美女が水上スキーで波間を縫うように進んでいるのを見ています。
「あんな美女とキスできたらいいなあ」と夢見るように一人が言いました。
「そうだよな、あのおみ足をなでなでできたらなあ」ともう一人が返しました。
突然、美女は転倒し、溺れはじめました。二人とも海へ飛び込み、何回も水の中へと潜りました。そしてやっとのことで、美女を助け出しました。砂の上に寝かせ、一人は人工呼吸を、もう一人は足をさすりました。
「畜生!なんて冷たいんだ。口からは変なにおいがするし」
「それに、皮膚はぶよぶよだし、気持ち悪いよ」
「おい、この美女はさっきまで、デッケースキー靴を履いていたんだよな?そうだよな?」
「でなんで、もうデッキシ(溺死)ュ-ズを履いているんだい?」
конькиの意味がポイントでしょうか。「スケート靴」という意味に取ったのでは何のことだかわかりませんでした。жаргон大辞典を見ると、коньки склеить / коньки откинутьなどで「умереть」とありましたので、前後関係からこの意味が合うだろうと「スキーでやってきた」と「それなのに死期がやってきちまった」と訳してみましたが、今ひとつ。死に関して語呂合わせするのもなあ、という感じでした・・・。気を取り直して、лыжаを調べると「大きなサイズの足、ブーツ」という意味もありました。それと対比させるとконькиは「小さなサイズの足、ブーツ」になるかもしれないと考えました。溺死してしまったためにパンパンに膨れ上がって靴のサイズが小さく見えたと取ってもよさそうでしたので後者の解釈で訳してみましたが、あまり自信はないです。
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説明不足で誤解を招いたようです。おっしゃるように完了体の未来形にはなりませんが、過去形なら大丈夫です。というよりも、何度も言うように歴史的現在というのは過去のことを示しているので、普通の文章なら完了体過去形が来るのが普通です。第1回で説明不足でしたが、これは完了体過去形のアオリスト用法と呼ばれるももので、現在とのつながりを無視して過去の事例を述べるときに用いられ、アオリストの中でよく使われるのが順次的用法なのです。さて訳文はオチを除けば3人の中で一番自然だと思います。3人ともオチについて考えすぎだと思います。オチにはひねったものもありますが、オチとしては面白みがないものの素直なオチも多いのです。
Posted by takahashi at 2008年01月31日 15:52
さとうさん、第一回の解答への詳細なご説明をありがとうございました。
takahashiさん、こちらこそよろしくお願いします。
時間を作って英語道場の方にもお伺いしたいものです。
さて第2回の解答です:
設問1)5行目падает и начинаетを完了体にする事は可能か?
可能。完了体過去にすれば「転倒して、それから溺れた」という順次的な表現になると思います。
設問2)和訳せよ。
海水浴場で2人の男が甲羅干しをしながら
かわいこちゃんが波間を水上スキーで駆け抜けてゆくのを眺めていました。
「あんな娘とキスできたらなぁ」夢見るように一人が言います。
「だよな〜せめて腿でもさすれたら!」と、もう一人も頷きます。
突然女の子が転んで溺れ出しました。
2人は飛び込み、何度も潜り、ようやく女の子を2人で抱え上げました。
砂の上に寝かせ、一人は唇を奪い、もう一人は腿の手触りを確かめました。
「ちっ、なんて冷たいんだ、口からは腐ったような臭いがする」
「ああ、肌もなんかしなびてるし、ひどいもんだ」
「ちょっと待て、この娘はスキーの上にいたんだよな?」
「なんで(スキーの)上に乗ってたんだ?」
最後の一文がまったく分りませんでした。
http://www.jargon.ru/
というインターネット俗語辞典も当たってみましたがダメでした(ここは変化形で入れても検索できません)。解説をお願いします。
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オチ以外の訳も設問1の回答も見事です。ただ気絶(実際は死人だが)した娘に二人がかりで「唇を奪う」というロマンチックな表現が当てはまるかどうかは疑問です。私の訳と解説はメイさんのを見てください。和訳については十分だと思います。あとは正しくロシア語が理解できれば、きれいな日本語の訳ができるわけで、ロシア語の多読でロシア語のセンスを磨くのみです。
Posted by Anonymous at 2008年01月30日 23:52
お久しぶりです。メイです。皆さんまたどうぞよろしくお願いいたします。今回ちょっと不安が残るのですが、あえて挑戦します。
設問1)
упала и начала
完了体過去形は可能です。ある動作があって、次に別の動作があるという「動作の順次性」の表現にあてはまるのではないかと思います。падает и начинаетは歴史的現在だと思います。下記は金田一真澄先生の引用ですが、このカテゴリーにあてはまるような気がします。
[「談話レトリックの歴史的現在」
この用法の特徴は、使用されるコンテクストはI型と同じく主に会話中であるが、作者が読者に対する何らかの心理的効果を狙って現在形を用いているという点にある。 即ち、送り手がレトリックとして時制の性質を利用しているのである。
そこでは、基本的に現在形の有する2つの性質、(1)語りの時間を静止させる性質と、(2)語りの視点を作中人物の傍らからその内部に移す性質とが、利用されている。 (1)の性質から張り詰めた緊張感が、(2)の性質から作中人物との共感性がそれぞれ読者の中に心理的に生み出される]
設問2)
ビーチで男が二人、美しい女性が水上スキーで曳かれていくのを眺めながら甲羅干しをしています。
「まさにあんな女にキスできたらなぁ」 一人がうっとりとして言いました。
「ああ、せめて足でもなでてみたいよなぁ」 もう一方もあいづちを打ちました。
突然女の子が倒れておぼれ始めました。二人は水中に飛び込み、何度か浮きつ沈みつしたあげく、とうとう女の子をその手に抱き上げました。彼女を砂の上に横たえ、一人はキスを施し(人工呼吸?)、もう一人は足をなでさすりました。
「なんてこった、どうしてこんなに冷たくて口からは腐った匂いがするんだろう?」
「皮膚はなんだかしなびてるし、気持ち悪いし」
「おい、ちょっとまてよ、本当にスキーの女の子なのか?」
「だけど、どうしてもう滑走(火葬)モードなんだ?」
最初意味するところがわかりませんでしたが、「スキーを履く」と「スケートを履く」をかけてあって、「スケートをはく」には「くたばる?→死ぬ」という俗語の意味が含まれているのではないかと思いました。ただ、БРСで確認したら、отбросить копыта(коньки, лапти, лыжи, сандалии, тапочки)となっていて、=умереть, скончался となっていました。つまり、引き上げた時には女の子はすでに死んでいて生きている時とは似ても似つかぬ変わり果てた姿になっていたということでしょうか。まさかもう一人別の土左衛門がいて間違ったとは考えにくいので同じ女の子と考えました。自分ながら最初の挑戦からあやしいものです。
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お久しぶりです。設問1の回答は私のより数段つっこんだものとなっており、金田一先生の「ロシア語時制論」をじっくり読まれたあとが窺われます。訳のほうはというともう少しといったところです。
1)ビーチ
英語だと海、湖、河川の浜辺であり、新明解国語辞典だと浜辺、海岸です。日本語でビーチは確かに海岸が普通ですが、個人的にはやはり原文通り訳したほうがという気もします。
2)水上スキーで曳かれて
нестисьというのは「疾走する」という意味です。нестиの受動形ということではありません。仮にそうだとしても、水上スキーはボートに引かれるわけですから、ここは水上スキーをしてぐらいでしょう。
3)オチは二番目のご想像の通りで、溺れた水上スキーをしていた女の子を引き上げたと思ったら、それは冬、海が凍っていたときにスケートをして溺れた女の子だったというブラックユーモアです。ただメイさんのオチのほうが日本語としては面白いと思います。訳文としては「甲羅干し」など全般的になかなかよい訳が多いので、最後に訳文全体を読むときに、日本語としてはどうかということをチェックする癖をつける必要があります。つまり原文を精確に和訳しているかの後に、日本語としてどうかということです。ただ日本語らしさを求めると意訳にもつながり、意訳を至上と考えるようになると、今度は訳の精確さがふらついてくるというジレンマはあります。私の訳は、
美女が波の上で水上スキーをしているのを見ながら、海辺の砂浜で二人の男が肌を焼いていました。
「こんなのとキスできたらな」と夢見るように一人が言うと、
「足をナデナデできたらな」ともう一人が言いました。
突然娘が倒れて沈み始めました。二人とも海に飛び込んで、何度かもぐって、ついに娘はかれらの腕の中。彼女を砂の上に横たえて、一人がキスを、もう一人が足をなで始めました。
「ぺっ、なんて冷たいんだ。口から腐ったような臭いがするし」
「そうだな、肌もなんかブヨブヨしていて、嫌な感じだな」
「待てよ、彼女スキーはいてたよな?」
「じゃあこの子はどうしてスケートなんだ?」
Posted by メイ at 2008年01月30日 22:04