2008年03月07日
●新帯研 第11回
司馬遼太郎は好きな作家の一人だが、その文体はいただけない。内容が面白いからいいようなものだが、その文章を暗記する気にはなれない。音読するとバランスが悪く、非常に耳障りだからだ。ただ一つよいと思った文章は、川路初代警視総監がフランス旅行中に、大を催し、我慢できず車内でして、日本の新聞紙に包んで捨てて問題となったことがある。そのとき、確か、「発した」という表現だったが、これはすごいなと思った。
Сын пьяному отцу:
- Папа, а ты в рай не попадёшь?
- Это почему же?
- А когда ты подойдёшь к воротам рая и дыхнешь на апостол Петра, он тебя просто не впустит.
- Когда я отправлюсь в рай, сынок, дышать я уже не буду.
設問1)オチが分かるように和訳せよ。
司馬遼太郎の義経を以前NHKの大河ドラマに合せて読んだことがありました。面白く読んだのですが、どこか読みにくかったのは文体のせいだったのかもしれないですね。
個人的なことをいうと、センテンスが長くてなおかつ漢字がやたら目立つものは苦手です。そういう小説は、ページを開いたとたんに読む気をなくしてしまいます。文体とかレイアウトとか、形式の部分も、結構大事ですね。あまりスカスカというのも考え物ですが・・・
では回答です。
<和訳>
息子が酔っ払いのオヤジに言った。
「ねえ、パパは天国には入れないの?」
「そりゃまた、どうしてだい?」
「だって、パパが天国の門に近づいて、使徒ペテロに向かって息を吐いたら、絶対入れてもらえないもの」
「パパが天国へ行くときにはね、いいかな、そのときにはもう息などしていないんだよ」
息子の不安をよそに、「死んだら呼吸は止まるので酒臭い息もしないはず」と、酔っ払いの割りにはうまい答えでした。オヤジさんに座布団一枚って感じです。
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その通りです。簡単すぎましたかしらん?たまには息抜きもいいでしょう。私の訳は、
息子が酔っぱらった父親に、
「パパ、天国には行けないよね?」
「なんでまた?」
「天国の門のところへ行って、使徒ペトロにハーッて息をしたら、絶対門を通さないよ」
「天国に行くときはなあ、倅よ、もう息してないんだよーん」