2013年04月03日
●続和文解釈入門 第52回
ソ連時代ホテルに泊まると、パスポートの記帳というか、その筋への報告のためにパスポートが一晩預かりになったのである。最近のロシアでは、特に田舎でない限りは、パスポートとビザのコピーを取ってすぐ返してくれるだろうから、最近ロシアに行く人はあまり知らないかもしれない。長いことこういう風習は、ソ連が秘密警察国家だから、そのせいだと思い込んでいた。ところが、1913年に出た稀代のロシアの詐欺師騎兵少尉サーヴィンкорнет Савин(1854~?)の自伝を読んでいたら、1890年代のエピソードとして、彼がフランスのドゥ・トゥルーズ・ロートレック伯爵граф де Тулуз-Лотрекと名乗り、ブルガリア王家を乗っ取ろうとして、ブルガリア政府を手玉に取るというくだりで、セルビアのベルグラードに立ち寄るのだが、そのときに西欧との違いというくだりで、ロシア風あることの証左として、По приезде же в гостиницу у вас отбирают паспорт для прописки, так же как и у нас.(我が国同様、ホテルに到着するとすぐ滞在証明のためにパスポートは取り上げられる)とある。ロシア帝政時代からのものだったのである。
出題)(長電話で)「カチューシャ、(もう)切るわ。電話して」をロシア語にせよ。
Катюша, уже хватит.
Звони.
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内容的には似たようなものでしょうが、お答えだと、「カチューシャ、もう十分だろ。電話してくれ」となり、出題の「切るわ」とは違うと思います。私の答えは、Катюша, я кончаю. Звони.
кончаюは予定の用法で、звониは不完了体命令形の勧誘の用法。
Катюша, уже пора
закончить. Давай еще
звони мне.
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пораは切迫感を示しているので、不完了体不定形を取るのが普通です。完了体不定形を取る場合は義務を示します。拙著の『和文露訳入門』にある例文を挙げると、
(そろそろ仕事を止める時間だ)Пора заканчивать работу. <切迫感>
(話を切り上げるべき時だ)Разговор пора кончить. <義務であり、時間的な切迫感はない>
それと、Давай ещё звони мне.は会話では、それほど変ではないかもしれませんが、活字にすると命令形が二つ続いていて、奇妙な感じを受けます。Давайの後にカンマを入れれば、文法的にはまともになりますが、いずれにせよ、Давай ещёはおかしいと思います。これらは削除すべきですが、どうしてもというなら、Давай, звони.ぐらいでしょう。
Катюша, я положу трубку. Перезвони мне.
любо или не любоは知りませんでした。露人先生がлюбить или...と言ってると思っていたのですが、違ったのですね。
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完了体未来形を使うからには、話の流れとは無関係に、電話を切るよ(つまり、他から電話が入っているからなどの理由で)、だから「折り返し電話をくれ」という意味になり、かなり唐突な感じがします。体の本質的なところが、理解されていないように思います。会得すれば、簡単なことなのですが。
Любить или не любитьを使わないということではなく、普通は、「愛すべきか、愛さざるべきか」という風に理解されるような気がします。
Катя! сейчас ставу трубку. Пожалуйста перезвоните попозже.
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出題にカチューシャとあるのですから、Катюшаとすべきです。КатяはЕкатеринаの愛称で、Катяのさらに愛称化したものがКатюшаだという説もありますし、Катюшаには愛称と卑称の中間的なニュアンスがあるという人もいますから、この出題はともかく、勝手にКатяなどと愛称を言うと起る人もいますから、使い方にはご注意ください。
ставуはставлюの間違いでしょう。電話を置くは、положить (повесить) трубкуと言います。ставитьは縦に(垂直方向に)置くという意味ですから、昔の壁掛け式の電話なら、ひょっとしたらという気がしないでもしませんが、それならповеситьでしょう。偶然かどうかは知りませんが、不完了体が来ているのは結構なことです。ただ体の用法も感覚ではなく、理詰めにどちらの体が来るのか極めるように努力されることを勧めます。
перезвонитьというのは完了体ですから、ニュアンス的に、主観的であり、期限を設定していることになります。お答えでもпопозжеと入れざるを得ないのは、そのためです。ところが「電話して」というのは、期限を設定しているわけではありません。このように相手の気持ちに合わせるというのが、不完了体の用法です。『和文露訳入門』5-1-2項に、その辺のことは詳しく載っています。ご興味があれば、ご一読ください。
(お題)
(長電話で)カチューシャ、(もう)切るわ。電話して
(コーシカ訳)
Катюша, теперь я кладу трубку. Позвони.
「電話を切る」はこれからすぐ行うことですから、切迫の不完了体現在が使えると思います。
「電話して」は「また今度」が後ろに隠れているはずですから
完了体で条件法が当てはまると考えます。
さて、正解は
予定の用法と、「電話して」は不完了体命令で勧誘ですか~
確かに今まで電話で話しているので不完了体で命令が来ても違和感はないですね。
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電話中だから、不完了体が来てもよいのではなく、相手に期限をきっていないからということになります。話し手が相手の意向に沿った動作と見なしているということになります。それと切迫というのは不定法で叙想語とともに出てくるのであって、この場合は予定です。