2014年04月29日
●続和文解釈入門第434回
19世紀にはペテルブルグとモスクワではバレエの好みも違い、ペテルブルグではバレエファンは役人に多く、あまり跳ね回るのではなく、手の動きとか、平面的な動作が好まれ、モスクワではバレエ好きには商人が多く激しい動きが好まれた。そのためペテルブルグのプリマだったアンドレヤーノヴァ(ペテルブルグ皇室劇場バレエ監督ゲジェオーノフの愛人でもあった)はモスクワ公演では、人気の面でモスクワのプリマであるサンコーフスカヤの足元にも及ばなかった。このような対立は1848年12月5日モスクワでアンドレヤーノヴァが踊った「パヒータ」という出し物の時に、死んだ疥癬病みの黒猫を舞台にピョートル・ブルガーコフというバレエファンが投げ込んだことで頂点に達した。踊っていたアンドレヤーノヴァはその場で気絶。さすがのモスクワのファンもこれはあんまりだということで、アンドレヤーノヴァに対する同情が高まり、彼女の人気を不動のものとしたのは皮肉である。死んだ黒猫はアンドレヤーノヴァがやせぎすだったからとも言われている。彼女は美人でもスタイルがよいわけではなかったが、テクニックだけでプリマの頂点に上りつめたと言われている。
出題)「明日センターで人を待たせておきますから」をロシア語にせよ。当方の都合によりこのコメントは1日ほど遅れる。悪しからず。
Завтра в центре вас
встретят.
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正解です。センターを小文字にすると、市の中心と言う感じですが、何かのセンターであれば大文字の方がよいかもしれません。出題は完了体・不完了体どちらとも取れます。ただ聞き手の受け止め方はずいぶん違います。お答えのように完了体未来形にすると、聞き手には意外(新規の動作)であろう(「ご存じないかもしれませんが」というニュアンス)という話し手の意識が感じられます。細かく言うと、文脈によっては、凹凸のある会話は親しい仲は別として避けられる傾向があるので、встречаютと予定の用法で使える不完了体があれば、その方が現実的には多用されます。それとお答えは「出迎える」ですが、必ずしも出迎えるというのではなく、待っているというのかもしれません。私の答えも、予定の用法を使ったものです。Завтра вас ждут в Центре.
Завтра в центр мы пришлём человека ждать Вас.
пусть覚えておきます。
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間違いだとは思いませんが、完了体未来形を使っているので、話し手が主体的に(聞き手にとっては新規の情報として)という感じです。出題の日本語のようにもっと自然にというのが、不完了体の用法です。
Я кого-то прошу завтра подождать вас в центре.
実現度が高い未来の予定としてнвにしました。よろしくお願いします。
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прошу (просим)というのは「どうかお願いします」というように遂行動詞として使うのが普通です。私の知る限りпроситьが予定の用法で使われた例はありません。『三訂和文露訳入門』4-1-2-2にもあるように、すべての不完了体が予定の用法で使えるわけではありません。予定の用法に使われる動詞には、動作の開始の意味が程度の多寡はあれ語義に含まれているということになっており、遂行動詞では発話と同時に動作が始まり、発話の終了とともに動作が終わるというのが予定の用法との違いです。予定の用法では動作は未来に起こります。それとкого-тоも特定の人が仮に話し手の頭にあったとしても、聞き手にとっては誰でもいいのであれば、-нибудьを使います。さらりと表現するというのは、不完了体の用法にも似ており、自己主張しない(相手の意識に負担をかけない)用法とも言えます。