2013年08月15日

●続和文解釈入門第184回

電子書籍『新訂和文露訳入門』で誤植が見つかりました。お買い上げの皆様にはお詫びすると同時に、次のように訂正願います。

目次
6-2-8 疑問詞 + 不完了体動詞不定形(完了体不定形)→ 6-2-8 疑問詞 + 完了体動詞不定形(不完了体不定形)

5-1-1項の221ページ上から9行目「今すぐといった発話時点における動作への促しや促しのときは、不完了体命令形を使うと考えてもよい。」を「今すぐといった発話時点における動作への促しや着手のときは、切迫という用法という事で、不完了体命令形を使うと考えてもよい。」に訂正願います。

「促し(着手)という用法と切迫という用法には深いつながりがある」という事を言いたかったのですが、言葉足らずだったと思います。

6-1-1項239ページ上から7行目、二つ目のдолженを削除。

出題)「死んでも降伏しない」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2013年08月15日 07:30
コメント

Я не сдаюсь даже
умру.
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体の使い分けも正確であり、耳で聞いている分にはこれでもいいのでしょうが、接続詞かそれに代わる記号がないので、動詞が二つ並んでいて、書いたものとしてはおかしく感じます。私の答えは、Умрём, но не сдадимся!  
完了体未来形の例示的用法と否定の強調の組み合わせ。Погибаю, но не сдаюсь! と不完了体現在形にすると、これは死ぬ過程にあるということで、瀕死の重傷を負っているが、それでも降伏しないということになる。

Posted by ブーチャン at 2013年08月15日 09:42

Умирая, не сдаюсь.
Погибаю, но не сдаюсь!
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умеретьというのは、自然死や事故死も含めて「死ぬ」という意味で、погибнутьは、事故死、殺人で死ぬという意味です。いずれの文も、今、重病か重傷(二つ目の文)を負っているが、それでも降伏しないという意味になります。間違いだとは言いませんが、出題の方は、仮に死ぬことになってもという、条件法ですから、完了体未来形の例示的用法を用いたほうがよいと思います。

Posted by chijikpijik at 2013年08月15日 14:30

Я никогда не капитулирую, (даже если я буду погибать.)
両方несовです。
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капитулировать = прекратив военные действия, сдаваться победителю на продиктованных им условиях(勝者のいう条件のもとに降伏する)ということで、無条件降伏するはкапитулировать безоговорочноと言いますから、この場合は、特に条件云々ということではないので、不適当だと思います。
 現在の時制の否定文というのは、現在において動作がないことを示します。一方完了体未来形の否定は、現在といっても一瞬後の未来(広い意味での現在)において、不可能であるか、否定を強調するという違いがあります。この場合「降伏する」は今現在のこの一瞬ではなく、一瞬後以降であることは明確です。出題は今現在降伏していないという意味ではありません。ですからお答えは、未来において死ぬとしても、今は降伏していないという奇妙な文になってしまいます。

Posted by ゴ at 2013年08月15日 23:21

(申し訳ありません、重複して投稿したかもしれません)
(かぶっていた場合はこちらを生かしてください)

(お題)
死んでも降伏しない
(コーシカ訳)
1) Хоть умри, мы не дадимся.
2) Даже если бы нас убили, мы бы не дались.
3) Хотя бы нас убили, не дались бы.

思いついた順に3通り。
「死ぬ」も「降伏する」も仮定かつ具体的な話であること
「降伏」は「しない」と意志が前面に出ていること
などから、完了体が来ると考えます。
さて、正解は
なるほど、例示的用法と考えるのですね。
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1)はхоть умри = обязательно, непременноという熟語になっているため、文字通り「死んでも」という意味が出しにくいということになります。ですから、Тут умри, но сделай.(死んでもやれ)というふうにすれば、少しはよくなるかと思います。
2)と3)で問題なのは、仮定法過去を使っていることです。仮定法過去は、過去や現在の場合は、現実に反する(非実現)仮定を示しますが、未来の予想上の仮定は、直接法(普通の条件法)と特に区別がつくわけではありませんが、強いて言えば、仮定法の過去には実現への疑いが込められているわけで、それゆえこの場合は不適当だと思います。

Posted by コーシカ at 2013年08月16日 19:21
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