2014年01月13日
●続和文解釈入門第335回
前回の本文に関連してだが、『ロシア語文法便覧』(宇多文雄、東洋書店)の169ページに、「名辞部分が抽象的なことがらを示す名詞の場合には造格も使われる。その場合、бытьの形は主語のэтоと一致する(すなわち単数中性)」とあり、「それは大きな喜びだった」の例を挙げている。
Это была большая радость. <主語はбольшая радость>
Это было большой радостью. <主語はЭто>
しかし、これは形式だけを見て比べているのではないか?二つ目の文は、この文単独で存在できるのではなく、次のような先行する文が不可欠だと思う。つまり、二つ目の文のЭтоは文全体を受けており、単に主語としての役割を果たしているに過ぎないことと思われる。
(彼は何週間も後に来るはずだったが、彼は母をびっくりさせたかった。それは大きな喜びだったから)Он должен был приехать недель позже, но ему хотелось сделать матери сюрприз. Это было большой радостью.
出題)「はっきりしたことは軽々には言えない」をロシア語にせよ。
Я не могу
легкомысленно
сказать о точности.
---------------------------------
お答えを直訳してみますと、「精確さについて軽々しく言うことはできない」となり、いい線を衝いているとは思いますが、違います。不可能に完了体不定形を持ってくるのは、セオリー通りですから結構なことですが、「軽々に言えない」というのは、昨今代議士の発言でよく聞かれる表現ですが、言わんとするところは、「断言できない、~と主張できない」ということです。私の答えは、Трудно утверждать что-либо определённое.
政治家の好む言い回し。трудноは難易を示すため、『三訂和文露訳入門』の6-2-5項にあるように不可能の用法と同じような不定法を用いるので、完了体不定形が来るのが普通だが、「断言する、主張する」という意味でутверждатьには対応する完了体はないために不完了体が来ると言える。また「主張する」という動作が、継続のニュアンスを持ち、そのため語義的に完了体では用いられないからだと思われる。政治家がよく使う「軽々しくは言えない」の訳としても使える。
Я не могу сказать легко ясные дела.
いろいろ考えた末これに…。
-----------------------------------
これは政治家がよく使う表現ですから、肯定的なことをいうときには1人称複数を用い、否定的な時には1人称は避けるという、ビジネスでの交渉の場面と同じで、責任回避考えたほうが、通訳の責任を問われないかと思います。そのため不定法を使ったほうがよいでしょう。お答えを直訳しますと、「明らかなことを軽く言うことはできない」ということなので、違います。