2013年08月13日
●続和文解釈入門第182回
女性としてコルィマー収容所を生き抜いたギンズブルグ(1906~1977)の「明るい夜 暗い昼」(中田甫訳、集英社文庫、1990年、3巻)という自伝を読んだ後で、彼女の息子で、作家でもあるアクショーノフのことが気になった。彼の本は8冊持っているが、これまで読む気にならないでいたが、そういうことで最近読みだした。5巻本の第1巻からなので、初期の作品のためソ連時代の検閲もあり、作家にとっては必ずしも満足のいくものではなかろうし、プロットも五木寛之の『さらばモスクワ愚連隊』のように嘘っぽいが、50年代の若者の会話が生き生きと描かれている。ロシア語の会話に興味がある身としては読んでよかったと思っている。Коллеги(同僚)、Звёздный билет(星の切符)を読んだが、もう少し読んでみるつもりである。並行して、ベラルーシの作家ブィコーフБыковの『死者に口なしМёртвым больно』も読んでいる。実際の戦争というものがどうだったのかを描いた、ベラルーシ語からの露訳である。これはアクショーノフの二つの作品とは段違いにレベルが高い。
出題)「渋滞にはまらなかったら、すぐに行くよ」をロシア語にせよ。
Если я не попаду в
пробку, сразу же
приеду.
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正解です。ただ渋滞は不定のものゆえ、複数形の方がよいと思います。私の答えは、Скоро приеду, если в пробках не застряну.
動作が順次的に行われていることを示す完了体の用法。не застрянуは、これから渋滞にはまらなかったらという、例示的用法の否定を示す。
Если я не попадаю в пробку, то я могу быстро приезжать(к вам).
一回の行為でなく、いつもそうだということでнесов。
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分析的に考えることは上達の第一歩ですが、この場合は友達か知りあいに対して電話での発言と考えるのが普通です。となると文字通り「今行くよ」で、これは完遂的用法の完了体未来形を使うべきです。多分、否定文だから不完了体をとお考えになったのでしょうが、「渋滞に遭う、遭わない」は未来の時制であり、不完了体現在形の否定は、今動作がないことを示すだけで、未来において動作がないということではありません。無論不完了体現在形で予定の用法を使える動詞は、未来の時制で予定を示せますが、預言ではないのですから、渋滞が予定されているということはないでしょうし、попадатьには予定の用法はありません。ここは「渋滞があったら」という例示的用法の否定(渋滞がなかったら)を使うべきです。それとこの渋滞は、あるかもしれない、ないかもしれないという不定ですから複数形を使うべきです。
(お題)
渋滞にはまらなかったら、すぐに行くよ
(コーシカ訳)
Бегу, если не попаду в пробку.
попастьは仮定の話で未来に関わるため完了体です。
完了体を続けて条件の方法を使いたいところですが
対応する完了体がない(こともない?)ようですから
бежатьを充てております。
さて、正解は
なるほど、приехатьを使って完了体を続けるのですね。
渋滞が複数形を取れるとは知りませんでした。
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бежатьには予定の用法がありますが、渋滞の有無などというのは予定に入るのでしょうか?