2014年07月30日
●続和文解釈入門第524回
『三訂和文露訳入門』3-1-1-4項を下記訂正願う。
3-1-1-4 ся動詞による非情の受け身と過程の用法
不完了体ся動詞で受動態(受け身)を示すことができるものがあるが、主語に立つのは不活動体であり、人は一般的に主語にはならず、動作の主体は造格となる。このような受け身を日本語の文法では非情の受け身と呼ぶ。ただ動作の主体が明確であれば活動体が主語でも反復や過程の意味で用いられることがある。受け身の意味で使われる不定人称文は動作主が明確な場合には使えないからである。そのため非情の受け身は使い勝手が悪いが、被動形動詞過去短語尾の用法と違い、過程を示すことができる。
(家が建てられている、家は建設中である)Дом строится.
(英雄たちは国家により表彰される)Герои награждаются государством. <主語は活動体だが、動作の主体が明確であるために不定人称文が使えない例である>
(郡の医者は医療自治会によって追加料金で呼ばれた)Уездный врач приглашался земством медицины за дополнительную плату. <これも主語は活動体だが、動作の主体が明確であるために不定人称文が使えない例である>
出題)「長く歩いたり座ったりすると靴がきついと感じたことがありますか?」をロシア語にせよ。
Бывает ли у вас чувство сжатия ног в обуви, когда вы ходите или сидите долгое время?
よろしくお願いします。чувство сжатых ног ですとニュアンスは変わりますか。
----------------------------------
долгоとすればあまり悩まなくて済みます。現在の時制のでの経験の用法にしたわけですね。これだと今も悩まされているかということで、厳密に言えば出題とは違います。出題は経験を聞いているだけだからです。私の答えは、После длительной ходьбы или сидения вы замечали, что обувь становится тесной?
чувство сжатияというのは締め付けるような感じ、締め付けた感じという意味では使いますが、マッサージчувство сжатия ноги(つまり足は単数です)か、暴力的な意味(絞め殺すとか)で使うと思います。чувство сжатых ногは私は聞いたことも見たこともありません。
выへの問いかけです。
Когда вы долго ходите или сидите, как обувь мала, так вы себя чувствовали?
---------------------------------------
чувствовать себя + 造格(あるいは様態を示す副詞)という語結合です。それと、как... так и(~も~も)という構文ですから違います。感じるというよりは気づくとした方が構文的には楽だと思います。
Когда надолго прошли или сели, вы не чувствовали тесноту обуви?
最初の二つは継続ではなく偶発的反復でсвと考え、最後の動詞は動作の有無の確認で нвとしました。よろしくお願いします。
--------------------------------------
偶発的反復というのは例示的用法ですから、形式的には完了体未来形のはずです。ご回答ではある距離を歩いて1回座るときとなり、出題とは違います。靴が痛いと感じるのはいつもではないでしょうか?つまり瞬間的に痛くなったり、痛みが消えるというよりは、ある一定の期間(10秒でも30秒でもいいですが)痛みが続いているとすると、それは不完了体の領域です。感覚の動詞が不完了体が主で、完了体は使われるとしたら過去形で結果の存続で使われるのが普通です。
Вы почувствовал малость обуви, когда вы долго бегаешь,а не то, садишься ?
歩く、座るは行為そのもの
感じるは経験の有無を聞いているので全て不完了体にしました。
--------------------------------
Вы почувствовалиとなります。タイプミスでしょう。完了体過去形ですから、この場合は具体的な1回の行為の結果の存続ですが、出題は経験なので、不完了体過去形を使うべきです。бегатьは走り回るであり、садитьсяは動作の座るです。長くであれば、座っているсидеть(状態の動詞)でないと意味的にはおかしくなります。чувствовать малостьというのは小ささを感じるという意味では、語結合的には不自然ではありませんが、それほど多いというわけではありません。それにмалостьには「ちょっと、ほんの少し」という副詞の用法もあり、себя чувствовать малость неуютно(ちょっと居心地が悪く感じる)などと使いますから、聞いてすぐ靴が窮屈と取れるかというと疑問です。
(お題)
長く歩いたり座ったりすると靴がきついと感じたことがありますか
(コーシカ訳)
Чувствовали ли Вы, что туфли Вам узки,
когда долго ходите или садитесь?
чувствовалиは行為の有無を尋ねる不完了体過去
ходите、садитесьは共に「…するときはいつも」の意味と考え、不完了体現在です。
-----------------------------
садитьсяは座る動作を示しており、長くならсидеть(座っている)という状態の動詞でないとおかしいと思います。それと長く座っているときに、というよりは、座った後ででないと、座っているときに急に靴が窮屈に感じたとなり、座っている動作の結果との関係がなくなってしまいます。
Когда долго ходили, сидили, вы ощущали тесноту в обуви?
несовです。
--------------------------------
сиделиのタイプミス。やはり長く歩いたり座った後でとする方が自然だと思います。
Чувствовали ли вы, что вам тесно в обуви при долгом хождении или сидении?
動作の有無の確認(不完了体動詞過去形)
「靴がきつい」は「靴の中にいるвыの一部がきつい」のでтесно в обуви。
「...すると」と「...感じたこと」は同時と考えてпри でつなげました。
-----------------------------------
体の用法はその通りです。複文にしているのですからобувь тесна(靴がきつすぎる)とした方がよかったと思います。вамはくどい感じがします。приではなくпослеの方が自然です。