2013年09月12日

●続和文解釈入門第212回

不完了体未来形には「~するつもりである」という予定や計画の用法もあると、『現代ロシア語文法(中・上級編)』(城田俊、東洋書店)や『ロシア語の体の用法』(原求作、水声社)に書かれている。собираться, намерен, намереваться(これらの使い分けについては拙著『新訂和文露訳入門』)4-1-3-2項に書いた)と全く同じように自由に使えるのだろうか?それについては何も書かれていない。露文解釈の参考書だからであろう。全くの同義表現なら、いいのだが、使用上違いがあるがあるなら会話における和文露訳(ロシア語会話)では困ってしまう。不完了体未来形は不完了体である以上、そう気軽には使えないのである。用法が重なる場合もあるし、使えない場合もあるのだ。それについて少し書いて見る。不完了体未来形で分かりやすいのは、反復(『新訂和文露訳入門』の4-1-4項参照)である。それ以外の「~するつもりである」という用法も、不完了体未来形は、不完了体である以上、新規の動作を示せないから、何らかの文脈が先にあるか(下の例文では「明日のご予定は?」の部分)、それを想定して、それに対する返事ということで現れてくるのが自然であるということになる。「~するつもりである」という意味で不完了体未来形を使うためには、その動詞の語義に経過の意味がなければならない。不完了体は動作の開始や終了を示す事ができないからである。

(明日のご予定は?)- Какие у вас планы на завтра?
(部屋の掃除でもするつもりです)- Будем (Собираемся) убирать комнату?
(前からこの件について君と話しをするつもりでした)Я давно собирался поговорить с тобой об этом.

 ところが、собираться, намерен, намереватьсяなどは、上のような不完了体不定形も取れるが、叙想語だから、後に完了体不定形を取って、具体的な1回の動作も示す事ができる(完了体不定形を取るのがより一般的)。ところが不完了体未来形はそれができない。『ロシア語の体の用法』に挙げられている用例は、一見1回の具体的動作だが、

(今日イワンのところにお立ち寄りになるおつもりですか)Вы будете заходить сегодня к Ивану? <заходитьはちょっとの期間ненадолго立ち寄るといういう意味で、動作の経過のニュアンスがある>
(今日奨学金をもらうつもりかい?)Сегодня ты будешь получать стипендию? <奨学金をもらうためには窓口などで手続きが要るので、それに時間がかかる。これは私のこじつけではなく、『ロシア語動詞 体の用法』(ラスードヴァ、磯谷孝訳編、吾妻書房)の119ページにполучать стипендию〔奨学金を受け取る〕には動作の経過の観念を表せるが、получать выговор(叱責を食らう)には表せないとある>

出題)「僕は戯曲を書いた。シェークスピアも顔負けさ」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2013年09月12日 05:46
コメント

Я написал пьесу.

Даже Шекспир сдается
на меня.
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наの後は動名詞が来るはずですが。私の答えは、Я написал пьесу - Шекспир отдыхает!
отдыхать = значительно уступать кому-либо в чём-либоということで、「シェークスピアもびっくり(仰天)」としてもよい。この動詞は状態の動詞で、口語表現である。この他に、Содрогнулся бы, увидев(~を見たら、あっというさ)も使える。

Posted by ブーチャン at 2013年09月12日 08:09

Я написал драму.
Даже шекспир уступит
мне.
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драмаは劇作であって、戯曲ではありません。ロシア語のпьесаは劇場で公開される作品であり、драмаはもっと広い概念で、人間の葛藤を描きますが、悲劇と違い、必ずしも解決策がないというものではありません。シェークスピアは大文字でしょう。уступитと完了体未来形を使ったのは、例示的用法ですが、使えるかもしれません。

Posted by ロン at 2013年09月12日 22:39

Я писал пьесу. Мы с Шекспиром равны по способностям.
書いたことがある、ということで。
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不完了体過去形というのは、発話の時点(この場合は現在の時点)とは関わりがないか、それを意識しないものです。「書いたことがある」というのは、過去の特定の時点を問題にせず、また回数も意識していない用法です。ところが書いた作品をシェークスピアと比べているというのは、発話の時点を意識していることになります。つまり書いた戯曲が話題になっているのですから、完了体過去形の結果の存続を使うべきですし、次の文は肩を並べるということであって、これは顔負けとは意味が違います。писатьは拙著『新訂和文露訳入門』7-1項にも書いたように、完了体では達成の意味がありますが、不完了体では過程や志向、反復の意味となるのが普通です。動作の有無の確認の意味があるでしょうが、この場合、明らかに書いた戯曲は「その戯曲」という特定の戯曲です。つまり具体性があるということからも完了体を使うべきです。ラスードヴァ先生の言うように、この動詞は創作者の資格というアオリスト的用法で、完了体過去形で使うべきだと思います。

Posted by ゴ at 2013年09月12日 23:53

(お題)
僕は戯曲を書いた。シェークスピアも顔負けさ。
(コーシカ訳)
Я написал пьесу, перед которой отступает даже Шекспир!

написал はアオリストないし結果の現存の完了体過去
отступает は不完了体現在を取ることで
自作が優秀なのは当然という話者の自信たっぷり感
(シェークスピアなんか目じゃない、あんなのより優れてて当たり前)
を表すと考えます。

ショスタコーヴィチのオラトリオ『森の歌』の
第7曲「讃歌」の詞を流用してみました:
Отступает ветер перед нашей силой.
さすがは社会主義リアリズム、ぱっと頭に浮かんでくれます(笑)

さて、正解は
はぁ~なるほど
・発話時点を意識しているため
・(自作と言う)特定の戯曲を念頭に置いているため
・創作者の資格
の3点から完了体過去、と考えるのですね。
会話で関係代名詞который はやっぱり堅い、かな…
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отступать перед опасностьюのように「危険を前にしてひるむ」のように使い、перед чемです。

Posted by コーシカ at 2013年09月14日 19:40
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