2014年07月17日
●続和文解釈入門第511回
プロの露文和訳にはそれなりの苦労があると思うが、我々素人の露文解釈は和文露訳(会話も含む)よりははるかに簡単である。初級文法を抑えておけば、後は語彙を調べるだけで済むからだ。体の用法云々といっても、見かけでほぼどちらの体かは分かる。無論重箱の隅を突っつくようなことを言えば、時制の転用とか、歴史的現在というのもあるが、前後の文脈でだいたい分かる。ところが和文露訳は語彙を調べてから、それからどちらの体を使うべき(選ぶ)か考えねばならない。
いったいロシア語の会話ができる人というのは、体の使い分けという問題をどう解決しているのだろう?自分の経験から言えば、丸暗記した例文に近いものが頭に浮かべば、それを活用する。そういう例文が頭に浮かばなければ、動作の完了なら完了体を、反復、過程なら不完了体を、よく分からない文脈では、一か八かでどちらかの体を使ってみるというところだろう。100%正しく体の用法を使えるという人は寡聞にして知らない。無論幼いころからロシアに住んでいたというようなバイリンガルの人は例外だろうが、大人(大学生だって大人である)になってからロシア語をやった人に、体の用法がだいたい正しく使いこなせるというレベルの人はかなりの上級者だと思う。基本的にできるだけ多く例文を暗記して、それを自分の脳に覚え込ませ、そしてコンピューターのように処理してもらおうと考えているのかも知れない。そうすればロシア人と同じように感覚的にロシア語を使えるようになると考えるのは錯覚としか思えない。そういうことが仮にできるようになるとしても何十年もかかるような気がする。もう少し理詰めに体の使い分けを、初級の入門の段階で始めれば、語彙の量を別にすれば、より早く(1、2年で)ロシア語が習得できると思う。その時に体の使い分けの例文を暗記すれば一石二鳥だ。覚える語彙も日常会話やせいぜいのところ新聞の見出しに載る程度のもの、自分の興味のある分野のものでよい。
出題)「二重否定は肯定である」をロシア語にせよ。
Двойное отрицание
представляет собой
утверждение.
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イコールと考えたわけですね。ロシア語では動作の反復、ないしは慣用(一般的には~である)とするようです。これは二重否定というのが否定を否定するという動作を示しているからだと思います。それと出題の内容は厳密に言うと間違いです。否定の否定は否定を取り消すのではなく、最初の否定が十分に否定的ではないという事を示しているに過ぎないからです。
(彼は飲むのが嫌いではない)Он не не любит выпить. <неが続く稀な例>
私の答えは、Двойное отрицание даёт положительный смысл.
Повторение отрицания даёт положительный смысл.
Отрицание отрицания даёт утверждение.
Отрицание отрицания эквивалентно утверждению.
Повторенное дважды отрицание ведет к утверждению.
残念!дваждыを使ってみようと調べ始めたとたん設問文そのもの訳が二例出てしまいました。投稿は控えます。かわりに箸休め?としましてペレストロックバンドКИНОの"Муравейник"の歌詞に二重否定的内容の箇所があったことを思い出しました。抜き書きします。
И мы могли бы вести войну
Против тех, кто против нас,
Так как те, кто против тех,кто против нас,
Не справляются с ними без нас.
・・・・・
いわゆる”敵の敵は味方”と察しがつくまで、それはもうおそろしく時間がかかりました。
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それは残念でしたね。検索のことまで考えて出題文を作っているわけではないので、今後ともあるかもしれませんが悪しからず。お詫びというわけではないのですが、ご参考まで。
(敵の敵は味方)Враг моего врага - мой друг.
(敵の味方は敵)Друг моего врага - мой враг.
(味方にあらずば敵なり)Кто не с нами, тот против нас.
Двойное отрицание является положительным утверждением.
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イコールと見ているようですが、否定するという動作を二度繰り返す、つまり動作を反復していると考えたほうが、ロシア語としては自然です。отрицаниеは抽象名詞は抽象名詞ですが、その前に動名詞です。
двойное отрицание есть признание .
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二重否定イコール認知であるということですが、それはどうでしょう?お答えのように直訳しても意味は通じると思いますが、否定の否定というのは二度否定するという動作がある、つまり動作が反復している、あるいは慣用(一般的に~である)と考えれば、不完了体現在形の使用が自然だということになります。特にотрицаниеはотрицатьから派生した動名詞と考えられますから、なおさらそうです。
Двойное отрицание представляет собой утверждение.
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イコールとお考えになったのですね。これでも意味は通じると思いますが、ロシア語としては反復の動詞を入れたほうが自然です。
Двойное отрицание имеет утвердительное значение.
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正解です。
(お題)
二重否定は肯定である
(コーシカ訳)
1) Двойное отрицание является положительностью.
2) Двойное отрицание служит положительностью.
肯定の訳語が微妙な所ですが…
状態や性質を指す不完了体現在です。
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положительностьは肯定的なことであり、文法用語としては使いません。お答えのような直訳ではなく、もっと踏み込んで、肯定的な意味(プラスの意味)として、動詞をそれ合わせたほうがロシア語としては自然です。
1) Двойное отрицание есть утверждение.
2) Двойное отрицание является утверждением.
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両方とも意味は通じると思いますが、否定を否定するという動作の意味を出した方が自然のように思います。
Двойное отричание знатит утвердительнисть.
よろしくお願いします。
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スペルミスがあります。отрицание, значитが正しい。肯定はутверждениеであり、утвердительностьは肯定的なことです。значитを使ったところは評価します。こういうのは無理に肯定を訳すのではなく、肯定的な意味というようにすればいいのですが、動詞にзначитを使うと重言になりますから、もっと基本的な動詞давать, иметьなどを使うとロシア語らしくなるのです。
面白そうなので横レス失礼します:
>「否定した事を否定する事」として順番を考えて、
>一つ目の否定を完了体過去に、〜する事という行為そのものか、慣用を表すという事で
>二つ目の否定を不完了体現在で表せないか
この2つ目の不完了体現在は遂行動詞ですね。
先に然に非ずとしたことを(この発言の完了をもって)否定いたします
ということですものね。
はりねずみさんの思考過程を拝読しながら、聖書のヨブ記の最後の方にある
・神様のことを聞いてよぉ知っとるつもりでおりましたけども、不十分でした、前言撤回
という件を思い出しました
(遂行動詞と思しき不完了体現在のみで完了体過去は出てきませんでした…)。
Я слышал о Тебе слухом уха; теперь же мои глаза видят Тебя; Поэтому я отрекаюсь и раскаиваюсь в прахе и пепле. (Иов 42:5,6)
はりねずみさんの仰ったパターンは学術論文のアブストラクトの露訳で使えそうですね:
○○氏の研究においては□□との報告がなされたが(過去の研究、アオリストの完了体過去)
本研究においては△△であることを明らかにする(詳細は以下の本文で、遂行動詞?)
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отрицатьは不完了体で、確かに遂行動詞です。ただ対応の完了体がないということと、語義的に否定ですから、これをまた否定するということは頭の中で行うというのは別にして、日常的にほぼあり得ない設定でしょう。そのため特に例文が動詞ではないのだろうと思います。このように自分で時制について考えることが、思考実験であり、ロシア人が何を考えて、こう言っているのか、うわべではなく深層心理において、人は変わらないと考えるか、種族として日本人とロシア人の違いを考える基盤になり得ると思います。