2014年01月08日

●続和文解釈入門第330回

生まれてから土地を持ったことがないので、地主の気持ちはあまりよく分からない。父が小さな区画を持っていたが、私が上京するときにその費用に充てるために手放したという。今なら一財産らしい。しかし、全く分からないかというとそうでもない。子供の頃石蹴り遊びをしたが、私のところ(北海道の函館)では、6 x 2、つまり12の区画を線で引く。それに月から土と書き入れてゆき、土の隣が日である。日で方向的には戻るわけだが、日の次は川なので、けんけんするか飛ばなければならない。川には縦に線が入っていたように思う。月に石けりの石を入れ、その石を拾ってけんけんして日まで行き、日で両足がつける。そこで月の隣の区画に石を投げ入れ、石が飛びださなければ、月は自分の区画になる。自分の区画になると他の子は踏んではいけないという決まりである。つまり区画を所有できるわけである。他の子が入ってはいけない、入れるのが自分だけだというのが土地の所有ということなのだろうと何となく感じていたが、本当の意味での地主の気持ちは結局分からずじまいで終わりそうだ。

出題)「我々は後ずさりしながら未来に進んでいる」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2014年01月08日 05:44
コメント

Мы двигаемся к
будущему
в сопровождении
заднего хода.
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過去、現在、未来は密接に結びついており、現在のこの一瞬の前後は過去や未来です。そうなるとкというのは不適切ということになります。設問自体が非論理的のように見えますが、後ろ歩きのように、後ろ向きに前進していると考えれば、不可能ではありません。お答えは後進を伴って動くというのですから、出題とは違うように思います。私の答えは、Мы двигаемся в будушее, пятясь назад.
詩人ポール・ヴァレリーの言葉の露訳。

Posted by ブーチャン at 2014年01月08日 08:52

Иногда идя назад,мы продвигаемся вперёд в будущее.

よろしくお願いします。
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出題にはиногдаに相当する文言はありませんが、この文言を入れないと論理的ではないとお考えになったのでしょう。三歩前進二歩後退の類でしょうか。ただヴァレリーは違う意味で言っているのだと思います。

Posted by yamaguchi at 2014年01月08日 20:30

Мы, возвращаясь назад, идём к будущему.
戦争はドイツによって負けられた?!という言い方があるのですね。
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お答えは元に戻るということで、後ずさりするというのではなく、元に戻るときも前進しているのだが、方向が逆というだけで、違うと思います。
 日本語の「ドイツは戦争に負けた」は受動態になりませんが、ロシア語では他動詞なのでなり得るということです。

Posted by ゴ at 2014年01月08日 23:17

(お題)
我々は後ずさりしながら未来に進んでいる
(コーシカ訳)
Мы пятимся но в то же время идем в будущее.

пятимся は繰り返しの不完了体現在
идем は一方向へ現在進んでいるの意味で不完了体現在です。
さて、正解は
う~ん、微妙…
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最初の文はпятимсяの後にカンマを入れて、ноとжеを取り、какを入れるべきです。в то время, как = тогда как, = хотя。ただこういう文こそ副動詞を使ったほうが「~しながら」という意味を出せるし、文が引き締まるような気がします。

Posted by コーシカ at 2014年01月09日 23:50
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