2013年07月15日
●続和文解釈入門第153回
「出かけます」というのは、Я пошёл (пошла).という時制の転用が一般的だが、なぜЯ пойду.より多く使われるのか考えてみた。Я пойду.というのは、厳密に考えれば、未来という時間軸において特定の不動の一点に「歩いて出発する」という動作が完遂するわけで、時間を示す語句がなければ、一瞬後と考えるのが普通だが、絶対そうだとは言えず、もっと未来の可能性もある。ところがЯ пошёл.というのは、動作が完遂したわけで、いわゆる確定(確述)の用法だが、この方がすでに出発という動作は完遂されているということで、一瞬後よりも強調された形となっている。そのため完了体過去形が使われるのだと思う。
ちなみに、Я буду идти.は使えない。理由はидтиに始発(始動)の意味がないからである。Я буду ехать на поезде.(私は列車で行く)は、まともな文だが、文の焦点は「列車で」あって、動詞ではない。
出題)「そう、ないしはそのようなことを、恩師であり、ソ連の大言語学者シシェルバが言ったことがある」をロシア語にせよ。
Моя бывшая учительница, великий
советский языковед
Щерва говорила так
или вроде такого рода веши.
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お答えだと「私の昔の女教師は、偉大なソ連の言語学者で…」ということで、基本的な意味としては正しいと思いますが、恩師というニュアンスが出ないと思います。それと、どちらでもよいことですが、Щербаは男で、実在の有名な言語学者だった人です。私の答えは、Так или примерно так говорил нам крупный советский языковед Лев Владимирович Щерба, учеником я имел честь когда-то быть.
Такое или что-то подобное говорил мой уважаемый преподаватель, величайший лингвист Советского Союза, Щерба.
薬缶…てっきり武器の一種だと思いました。お恥ずかしい。
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これでもいいのですが、преподавательは講師なので、一工夫する必要があります。
(お題)
そう、ないしはそのようなことを、恩師であり、ソ連の大言語学者シシェルバが言ったことがある
(コーシカ訳)
(Именно) Так или такое же в смысле сказал Щерба, великий советский лингвист и мой научный руководитель.
動作そのものを指す不完了体を使うべきか迷いましたが
話者はシシェルバが過去に発言した時点を明確に意識していると考え
完了体過去сказалを用いました。
さて、正解は
так или примерно такですか~
これも使い勝手がよさそうです。
不完了体でしたか。
一度言ってそれっきりではなく、何度もそう言っていた。
あるいは書籍などの形で残って語り続けているから。
色々考えられそうです。
恩師って、出題の文ではかなりゴツゴツした言い方なんですね!
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「言ったことがある」というのは、経験の用法で、一度でもいいし、何度でもいいし、回数やいつ言ったかというのを意識しないことを意味します。不完了体は反復という意味もありますが、1回でもいいのです。それを意識さえしなければ。
お答えは(現在の)指導教官という意味の取るのが普通です。一番の問題は恩師、昔お世話になった師という意味が出ていないということです。
такой жеというのはтакоеを強める言い方です。