2013年05月14日
●続和文解釈入門 第93回
ロシア語の文法書では、露文解釈や露文和訳を中心に据えているのからか、否定についてあまりページを割いていないように思う。会話での和文露訳を考えると、日本語では動詞の現在と未来の形式が同じなので、動作の否定における体の区別が分かりにくい。そこで、近々出す予定の「新版和文露訳入門」では各項目における否定の用法をより分かりやすく書いて見ることにした。今回はчтобы (俗語ではчтобとする場合がある)における否定の用法について書いて見る。
чтобы以下が平叙文の場合、具体的な1回の動作には完了体を用い、反復やある程度の期間の動作であれば不完了体を用いる。чтобы (чтоб)以下が動作の否定となる場合も、чтобы自体が目的、願望、命令という用法で使われるために、命令法の体の用法と同じと考えてよい。禁止を示す場合は不完了体を用い、危惧のニュアンスがあれば完了体を用いることになる。
(そんなことはもう起きないようにな)Чтобы этого больше не было. <命令>
(油圧システムに空気が入らないように気をつけて下さい)Следите, чтобы в гидросистему не попадал воздух. <禁止>
(うっかり忘れないよう住所をメモした)Я записал адрес для того, чтобы не забыть. <危惧>
(主人がそのうちひょっとして引き留めようなんて気を起こさないよう、彼はこっそり部屋から出た)Чтобы как-инбудь не вздумал удерживать хозяин, он вышел потихоньку из комнаты. <危惧>
出題)「昨日私は人差し指をガラスで切った」をロシア語にせよ。
Вчера я порезал себе
указательный палец
стеклом.
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正解です。私の答えは、Вчера я порезал указательный палец стеклом.
アオリスト的用法の復習。
Вчера я получил травму в указательном пальце из-за стёкла.
Вчера я порезался в указательном польце из-за стёкла.
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体の用法は正確です。травмаは外傷のことで、ранение(傷), ушиб(打撲傷), ожог(火傷) などを含みますから、推測はできるでしょうが、厳密に言えば、違います。порезаться + 造格(острым尖ったもので怪我をした)という語結合はありますが、自分の体がけがをしたということだけで、どこをと具体的には示すことができないのです。
(お題)
昨日私は人差し指をガラスで切った
(コーシカ訳)
1) Вчера я был ранен / была ранена в указательный палец стеклом.
2) Вчера стекла ранили меня в указательный палец.
被動形動詞過去短語尾ないし完了体過去によるアオリストです。
「ガラス」は板ガラスなど材料で怪我をしたのかもしれないので
単数の例と、破片の意味がある複数での例の両方を試してみます。
さて、正解は
порезатьと切った感が強くでる単語を使うのですね。
ガラスは単数、指は不活動体でそれぞれよいのですね、安心しました。
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(1)は動作主が不明というのが問題です。なぜなら出題を見る限り主語は「私」と考えるのが普通だからです。(2)はロシア語でも抽象語を主語に取ることはありますが、ガラスのような無生物を動作主にすることは、普通はないと思います。