2014年02月19日

●続和文解釈入門第371回

ロシア人のガイドをしていると、日本人には信仰を持っている人が多いのかとよく尋ねられる。これは我が国が科学技術の先進国であり、いわば未来の国としての信仰というのをロシア人が知りたがっているからかもしれない。2014年1月23日付の読売新聞朝刊には「無神論 徐々に広がり」という記事があり、無神論者атеистыと自覚する人の割合が多い国として、ウィン・ギャラップ・インターナショナル画世界57カ国、計約5万人を対象にした2012年の公式調査の結果によれば、中国が47%(宗教心がある人は14%)でトップ、2位が何と日本で31%(16%)、以下チェコ30%(16%)、フランス29%(37%)、韓国15%(52%)、ドイツ15%(51%)、オランダ14%(43%)と続き、米国は5%(60%)である。中国はお国柄当然とはいえ、我が国が2位というのには驚いた。ロシアの結果が載っていないのは残念だが、上位を占めそうな気はする。

 無神論атеизмというのは、神の存在も、神の意志もないとする立場だと同紙に書いてあったが、回りを見て、日本人に無神論者が多いとは思えない。私自身は不可知論者агностик(事物の究極の実在,絶対者,無限者,神は知られえぬと説く立場であると平凡社世界百科にある)、神が存在するかしないかは、少なくとも現時点では証明不可能であり、仮に存在したとしても、そのような究極の存在が私ごときにかまう理由はないだろうし、お賽銭をあげたり、拝んだりすると神仏がお喜びになるという発想にはついていけない。神仏が存在するにしてもいくらなんでもそんなに安っぽいものではなかろうと思う。私と同じ考えかどうかは別にして、白黒決めるのを嫌がり、灰色が好きな日本人が、神がいないと断定する無神論者であるとはとても思えない。初詣に明治神宮だけでも3千万人の人出だというのは、神がいるかどうか分からないが、念のため拝んでおこうぐらいという気持ちと、先祖や自然のもろもろの気を大切にと考える日本人の気質からではないかと思う。多分アンケートを取るときに、無神論(神は存在しない)と信仰の有無の区別を明確にしなかったのではないかという気がする。

出題)「ダニーラが勝手な真似をしようと決めたのかと一瞬思ったぜ」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2014年02月19日 07:39
コメント

Я вмиг подумал, что
Данила решил
поступать по-своему.
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完了体過去形のアオリスト的用法を使ったのでしょう。しかし、アオリスト的用法というのは、過去の時間軸の一点に明示するかどうかはともかくとして、具体的な動作があったことを意味し、文脈によっては、その結果が現在にいたっていれば結果の存続となります。つまりアオリスト的用法というのは、動作の結果が現在に及んでいるかどうかは文脈によるわけです。ところが出題は「一瞬思った」とあり、発話の時点ではそう思っていないことは明確です。つまり、はっきりと動作の無効を打ち出すような用法を使うべきです。それと具体的な動作のはずなのに、посутпатьと不完了体不定形が来るのはおかしいと言わざるを得ません。これだと反復ですから、普段の素行を示すことになるからです。私の答えは、Я было подумал, что Данила решил в самостоятельность поиграл.
Я решил было, чтоでもよい。その場合はчто以下を別な動詞にした方がよい。былоは『三訂和文露訳入門』2-2-3項のいったん開始された行為の中断、中止を意味する。2-1-8-10項の動作の無効の用法の一つとも考えられる。

Posted by ブーチャン at 2014年02月19日 08:52

Мгновенно я чуть не подумал,что Данило решил эгоистично поступить.
よろしくお願いします。
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発想は非常によいと思います。ただчуть не = почтиで想定に自信がないことを表現するものです。突き詰めれば、考えたか、考えなかったということであり、お答えは考えなかったということになります。出題はそうではなくて、考えたが、一瞬後その考えを捨てたということですから、動作の無効という表現法былоを使うべきでした。эгосистично поступитьは確かに意味は同じでしょうが、日本語で言えば「利己的にふるまう」という感じで、上品すぎるように思います。

Posted by yama at 2014年02月19日 21:55

Я мгновенно думал, что Данила решил давать себе волю.
今は思ってないからдумал。
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発想的にはよいと思いますが、думатьは状態の動詞です。つまり過去に動作の状態が続いていたということを示すだけで、動作が今に及んでいるかどうかは分からないのです。また不完了体の動詞(状態の動詞)がмгновенноという副詞と結び付くとしたら、その瞬間を非常に時間的に長いとらえているという文脈でしか使えません。一般的には一瞬というのは時間軸の点ですから、アオリスト的用法を使うべきで、それから動作の無効を考えればよいのです。不完了体過去形が動作の無効を示すのは、反義語がある動詞の体のペアぐらいでしょう。動作の無効を示すので一番簡単なのはбылоを使うことです。それとдаватьは反復ですから、これからの具体的な1回の動作を示すのはどうかと思います。

Posted by ゴ at 2014年02月19日 23:02

よろしくお願いします。

Чуть мне казалось, что Данила решил делать всё по-своему.
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よい発想だと思いますが、『三訂和文露訳入門』7-3項にあるように、показалось(気のせいだ)を使えば、かなり近い意味を出せたと思います。казатьсяとпоказатьсяは体のペアとはいいにくく、казатьсяは状態の動詞であり、показатьсяは動作を示しています。ですからお答えは過去においてそのように思われたという状態が続いていたことを示しているだけで、それが現在と関係があるかどうかは分かりません。出題では一瞬そう思って、その考えを打ち消す必要があります。そういう意味でчутьを使ったのでしょうが、動詞自体が状態の動詞なので、そういう意味にはなりません。無人称動詞として完了体のみпоказаться = представиться вооборажениюという意味があり、これはказаться(状態の動詞)とは分けて考えるべきです。それ以外の意味では、показатьсяの体のペアпоказыватьсяとなります。
делатьと不完了体不定形を使っているのは未来の時制での反復を考えたのでしょうが、勝手にやるというのは、反復は反復でも、規則的な反復ではないことはお分かりでしょう。未来において毎週毎週勝手にやるとか、多くの回数勝手にやると考えるよりは、偶発的反復(なにかあったら、勝手にやるというふうに、これなら例示的用法で完了体の出番です)し、未来における最初の具体的1回の動作を頭に描くのが普通です。通勤するとか通学するというのは規則的反復ですが、そういうのとは出題のは違うのです。
 反復については第355回本文を参照ください。Рассудова先生は不定法の反復は完了体不定形と不完了体不定形が同義で使われ得ると述べておられますが、私は、両方の体が使える場合でも、話し手の視点が規則的反復なのか、偶発的反復かにより、不完了体不定形か完了体不定形に分かれると思います。要は話し手がどういう反復を使いたいのかということに尽きると思います。

Posted by Женя at 2014年02月19日 23:17
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