2014年02月21日

●続和文解釈入門第373回

『三訂和文露訳入門』に下記追記乞う。

10-20 二重否定

二重否定というのは「なくはない」というように否定に否定を重ねることで肯定的な意味を持たせることである。しかし、日本語では「なくはない」と「ある」は同義ではない。「なくはない」には、あることはあるが、量が少ないとか、見せたくないとか消極的なニュアンスが感じられる。ロシア語にも二重否定はあり、2008年版アカデミー露露辞典のнеにも同意の意味утвердительное (= выражющее согласие с чем-либо; подтверждающее что-либо) значениеを挙げているが、語義から判断して消極的な同意と理解される。二重否定にはнельзя (невозможно) не + 不定形の他に、не могу (смею) не + 不定形があり、その例で説明すると、Я не могу не согласиться.(直訳すれば「同意しないことはできない」)はЯ могу согласиться.(同意することができる)と同じ意味ではない。ザルービンの露和辞典にはне могу не = вынужденとあり、Русский язык Экнциклопедия, Филин Ф. П., Советская энциклопедия, 1979では否定の否定は肯定的意味となり、не могу не = долженとなっているが、いずれにせよ「賛成せざるを得ない」か「賛成しなければならない」と訳すべきであって、「賛成してもよい、賛成できる」という意味にはならないことが分かる。ロシア語でも二重否定は修辞的婉曲的言い回しゆえに、暗示的な、消極的なニュアンスが出るのだと思われる。не без того (этого)も口語で確認を示す同意(まあそうだ)を示し、これも消極的なニュアンスがあるのは次の例文を見ても分かる。

「疲れたようだね?」- Ты, кажется, устали?
「まあね」- Не без этого.

 この他に二重否定の例文を挙げる。

(憲法に関する仮定は確固たる基盤を欠いた噂以上のものではなかった)Предположение о конституциях представляло не более как слух, лишённый твёрдого основания.
(それは嘘に他ならない、嘘に違いない)Это не что иное, как ложь. <не что иной, как = именно, как раз>
(彼こそラープチェフだ)Это был не кто иной, как Лаптев. <не кто иной, как = именно, как раз>
(彼にはユーモアのセンスがなくはない)Он не лишён чувства юмора.

 次に二重否定の要素が含まれている形容詞(副詞をその形容詞から作るのは可能である)を挙げる。

небезвыгодный(悪い話ではない)、небезграничный(無限ではない)небезгрешно(罪がなくはない)、небезоблачный(心に曇り一つないというわけではない)、небезосновательный(いい加減というわけでもない)、небезопасный(危なくなくもない)、небезразличный(まんざらでもない)、небезынтересный(興味がなくもない)、небезывестный(心当たりがないでもない)、небесполезный(役に立たないわけではない)

出題)「馬肉で命をつなぐのを気にしなかったのは文学者さえもだった」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2014年02月21日 07:51
コメント

(1) Даже литераторы
не колебались в том,
чтобы жизнь пережить
кониной.

(2) Те, кто не боялись
питаться кониной для
жизни распространялись
даже на литераторов.
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(1)колебаться = испытывать нерешимость, неуверенность, сомненияを否定すると、「躊躇しない」というよりは、「確信がある」ということですから、「気にしない」 = 「何とも思わない」、「嫌ではない」と違うように思います。2)のпитаться конинойはよいと思いますが、こういうややこし構文にしなくても、теをлитераторыに置き換えれば、二つも動詞を使わなくてもよいと思います。私の答えは、 Коникой не брезговали питаться даже литератор.

Posted by ブーチャン at 2014年02月21日 10:06

И даже литератры не колебались принятие конины за выживание.

よろしくお願いします。
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前にも書いたと思いますがпринять/приниматьは薬を服用するという場合はともかく、飲食する(摂取する)という意味では使わないと思います。не кобебатьсяはブーチャンさんのところに書きました。

Posted by yama at 2014年02月21日 19:01

よろしくお願いします。

Чтобы выжить, не боялисъ есть конину и даже литратуры.

・「結果の現存」、「чтобы + 完了体不定形が一般的」の2点から、完了体выжитьを使いました。
・一度だけのことではないと思ったので、боялисъとестьは不完了体にしました。
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литратурыはлитераторыのタイプミスでしょう。не боятьсяだと「怖がらない」ですが、「嫌がらない」とすべきだと思います。

Posted by Женя at 2014年02月22日 00:09

Даже литераторы относились к числу того, кто был готов есть конину для выживания.
ちょっと違うか…すみません。浅田さんの演技に震えました。
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готовだと必ずしも「いやいや~する」というニュアンスが伝わらないように思います。

Posted by ゴ at 2014年02月22日 00:28
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