2014年02月07日
●続和文解釈入門第359回
『三訂和文露訳入門』6-2-1-1項に下記追加願う。
体の使い分けをする上で、不必要と禁止は不完了体の領域であるが、それ以外は完了体か不完了体のどちらかを使うべきだとは決められない。強制や義務というのも、回りの雰囲気や世の中のしきたりによってせざるを得ないというのなら不完了体であろうし、話し手が回りの雰囲気には頓着せず、具体的な1回の、新規の動作を行うということで、聞き手の事情を考慮しないという意味の強制であれば、完了体が使われることになる。図式的に説明すると、
〔義務・強制〕
回りの雰囲気・状況によるもの → 不完了体
(もう6時だ。そろそろおいとましないと)Уже шесть часов. Я должен уходить. <切迫感>
話し手自身の都合によるもの → 完了体
(今日アレクセイに手紙を書かねばならない)Сегодня я должен написать письмо Алексею.
しかし次の文で完了体が出てきているのは、不完了体が使われるような一般的な慣習や儀礼上、常識としてというような回りの空気を読んでということではなく、特定の状況であり、かつ例示的用法ということで完了体未来形が来ている。
Насколько позволят обстоятельства(状況が許す限り)
Если позволят обстоятельства(状況が許せば)
Когда позволят обстоятельства(状況が許せば)
Как только мне позволят обстоятельства(状況が許せばすぐ)
このように『三訂和文露訳入門』第1章に書いた体の本質に思いを致せば、文脈によってどちらの体を使うべきかは自然と見えてくるはずである。
出題)「今すぐ自分のための戦いを始めないならば、僕はおしまいだ」をロシア語にせよ。
Если я сразу же не
начну борьбу за себя,
мне придется прийти
к концу.
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従属節は正解ですが、主節は私が端に到着しなければという意味にも解せるので、別の単語を使うべきです。私の答えは、Если я не начну борьбу за себя сейчас, не медля, я погиб.
пропалなども使える。погибнуть, пропастьの完了体過去形で未来を示す時制の転用。これは確述の用法と言える。
Если именно сейчас я не начну бороться за себя, мне конец.
よろしくお願いします。
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正解です。主節のмне конецはмне конец пришёл.の略と解釈します。これも時制の転用の確述の用法でしょう。
Если я сейчас не начну борьбу за себя, у меня всё кончится.
少し後の未来でсов。
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理論的にはその通りなのですが、кончитсяのような完了体未来形の完遂の用法は、動作が行われるのがすぐ後か、かなり後かは文脈に依存するという危うさがあります。そこで、「もうだめだ」、「俺は終わりだ」では時制の転用の確述の用法を用いるのが普通です。あるいはвсё конченоと被動形動詞過去短語尾の現在の時制を転用する方がロシア語らしいと思います。現在の時制を用いることで近接未来ということを示しているわけです。『三訂和文露訳入門』の3-2-1-5項のсейчасも過去、未来ともに使われますが、今現在のその近辺が限られているのと似ています。今と言っても近接未来の今には状態の動詞であれば現在の時制を用いることも可能という例です。