2014年01月28日
●続和文解釈入門第349回
時間軸の不動の一点を示す時の状況語と不完了体の相性が悪いというテーマの続き。『三訂和文露訳入門』にて「不完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージしない」としたが、そうすると不完了体現在形の予定の用法でも、一見奇妙に見える例文がある。
(彼は明日来る)Он приходит завтра. <予定の用法>
(汽車は9時に到着する)Поезд придёт в 9 часов. <完遂の用法>
最初の文は明日を時間軸の特定かつ不動の一点というよりは、期間とみて、明日は明日でも、「明日中」という意味ということになる。特定かつ不動の一点を数学的に大きさのないものととらえれば、完了体的アプローチであり、その点に大きさがあると感じれば、不完了体的アプローチということになる。二つ目の文のように明日завтраという時の状況語を点ととらえるか、明日中という期間ととらえるかということであり、体の用法は話し手の伝えようとする事柄への意識に関わってくるというのはそういう意味である。
しかしムラヴィヨーヴァЛ. Муравьёва先生はприходит, уходит, выходит, переходит, переезжает = собирается прийти, уйти, выйти, перейти, переехатьであるとしているので、予定の意味の場合完了体不定形の代用(精確に言えば完了体が要素として組み込まれている)ということであれば、特定かつ不動の一点を示す時の状況と共に用いられても問題ないことになる。この不完了体による完了体の代用というのが目下の研究課題でもある。その他にも時の状況語と不完了体の組み合わせでは次のようなものがある。
(オーリガは2年前は母のところに遊びに来たものだったが)Ольга приезжала два года тому назад гостить к матери... <2年前のある期間における反復>
(私たちは土曜お宅にお邪魔して、ご本を持っていきます)Мы придём к вам в субботу и принесём ваши книги. <未来の時制における順次的用法>
出題)「昨日僕のところに友人たちが来ていた」をロシア語にせよ。
Вчера у меня были
в гостях друзья.
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一つの解釈ではありますが、遊びに来たとは設問には書いていません。私の答えは、Вчера ко мне приходили друзья.
時の状況語であるВчераにも期間としての要素はあるが、時間軸の特定の不動の一点と考えても問題ない。それはприходили = пришли и ушлиという完了体過去形の順次的用法の代用であるので、時間軸の具体的な不動の一点を示す時の状況語が来ても問題ないということと、動作の有無の確認であり、かつ今は友人たちはいないということに文の焦点があるので不完了体過去形が使われている。『三訂和文露訳入門』2-1-3項において完了体過去形が結果の存続(3-2-1項)になり、不完了体過去形はそのアンチテーゼとして、動作の無効(2-1-8-10項)の意味での順次的用法を代用しているため、時間軸の具体的な不動の一点を示す時の状況語が来ても問題ないとも考えられる。
Вчера друзья приходили ко мне в гости.
Вчера у меня были друзья в гостях.
実はちゃんと分かってないかもしれない。
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遊びに来るというのは一つの解釈であり、通訳はそのような勝手な解釈はできるだけ排除すべきです。в гости, в гостяхがなくても意味が通るなら、省くべきです。
вчераとприходилиが一つの文にあることに、疑問を持った上での回答ならこれはすごいと思います。なにせ、前回、今回の本文で時の状況語(期間以外の)と不完了体は相性が悪いと言い続けているのですから。体の使い分けに例外はないというのが私の考えです。