2014年01月19日

●続和文解釈入門第341回

可能の意味のときに完了体を使うか、不完了体を使うのか迷うときがある。具体的な1回の動作の時は完了体でよいが、繰り返しの場合はどうだろう?不完了体と考えるのが普通だろうが、そうでない場合もある。『三訂和文露訳入門』8-9項に下記のことを書いたが参考になるかもしれない。

 動詞の語義に能力という意味が含まれていれば、他の動詞や助動詞を使わずにそれを表現できる。「彼は全部で500 kg持ち上げられる」はОн поднимает в сумме 500 кг.も、完了体動詞未来形の、Он поднимет в сумме 500 кг.も可能である。二つの体のニュアンスの違いは、不完了体の方は彼が500 kg挙げた事があるという知識に裏付けされているのに対し、完了体の方はその日の彼の姿を見た印象で大丈夫挙げられるなという感じであり、これは完了体動詞未来形の例示的用法の一つである。

 第338回の回答にもあるが、同様に不定法での可能の用法の時に、「いつも」とか「毎回」というニュアンスがあれば不完了体を使うのだが、最大の能力というニュアンスがあれば、最大の場合はとなり、それが例示的用法である。体の使い分けは話し手のとらえ方次第というのはそういう意味である。

出題)「幸せといってもいろいろであり、同じものがあるはずがない」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2014年01月19日 06:34
コメント
コメントしてください