2013年06月13日

●続和文解釈入門第121回

不定人称文というのは、主語がなく、述語が不定の人によって行われる行為を意味する文である。つまり主語は明示されないが、人を含意し、事物が主語ということではない。『和文露訳入門』4-1-6項参照。

(いつも他人に対してイライラする)Я постоянно раздражаюсь на других людей. <これをРаздаржают меня.という不定人称文にはできない。радражать/радражить(イライラさせる)の主語はイライラの原因となる特定の人か事物であり、それを明示する必要があるからである>

出題)「コックリしないよう頑張らざるを得なくなった」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2013年06月13日 07:35
コメント

Мне пришлось стараться, чтобы не
вздремнуться.
-----------------------------------
こっくりしないように努めるというのは、何度もでしょうからстаратьсяは不完了体になるのは正しいのですが、「せざるを得なくなった」というのも、何度もでしょう。1度だけということは考えられませんから、これも不完了体にすべきです。私の答えは、Мне приходилось делать над собой усилия, чтобы не начать клевать носом.
コックリしないよう頑張るというのは、何度もというニュアンスなので不完了体が用いられている。чтобы + 完了体不定形が一般的であり、この場合は「うっかり~しない」という完了体の用法の意味もある。
反復の意味が述語動詞で示されている場合には、用いられる不定形は完了体の場合が多い。これは反復の意味を述語動詞が担い、不定法自体は非反復的な動作を伝達しているからである。その逆はない。『和文露訳入門』6-2-1項参照。

Posted by ブーチャン at 2013年06月13日 08:55

Мне приходилось боросться с самим собой, чтобы не клевать носом.
------------------------------------
正解です。ただ、чтобы не клевать носомだと、絶対にこっくりしてはだめだという感じで、うっかりというニュアンスは出ません。この辺は命令法と似ています。чтобы の後の不定形には、1回の具体的動作であれば完了体が来るのが普通ですが、чтобы не + 完了体不定形(注意・警告)であり、чтобы не + 不完了体不定形(禁止・不必要)を示すことも覚えておいてください。

Posted by аяка at 2013年06月13日 10:22

Меня заставили ещё работать, чтобы я не дремал.
---------------------------------
これだと不定人称文ですから、誰かが具体的に1回動作を強制したことになります。この場合は強制したのが人とは限りませんから、無人称文を使うべきです。

Posted by ゴ at 2013年06月14日 00:08

(お題)
コックリしないよう頑張らざるを得なくなった
(コーシカ訳)
Мне пришлось справляться, чтобы я не заснул(а).

пришлосьは結果の現存、справлятьсяはある程度の時間に亘るので不完了体、
заснул(а)はうっかり…しないように、と言う意味の完了体です。
さて、正解は
せざるを得なくなるのも何度もだからこっちもприходиться。
納得です。

Posted by コーシカ at 2013年06月16日 20:44
コメントしてください