2014年07月25日
●続和文解釈入門第519回
『三訂和文露訳入門』に下記追加願う。
7-1-2 志向の動詞と否定
「(ワーニャはその問題を解いた)Ваня решил задачу.」を否定文にすると、次の二つの文が考えられる。
(ワーニャはその問題を解けなかった)Ваня не решил задачу. <= Ваня пытался решить не решил.>
(ワーニャはその問題を解かなかった)Ваша не решал задачу. <= Ваня не пытался решить.>
最初の文は解こうとしたが、解けなかったとなり、二つ目の文は解こうとさえしなかったという、志向の否定となっている。
出題)「彼は知らん顔」をロシア語にせよ。
Он отвертывается в
сторону.
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お答えは「顔をそむける」ですから、違います。出題は具体的な一回の動作とみれは完了体過去形が、いつもだと感じれば、不完了体現在形が来ますが、この差を明確理解しておくことが大切です。私の答えは、Он делает вид, что не замечает.
Он притворился, что я незнакомый ему человек.
限定的といいますか具体的に過ぎる訳しか思いつきませんでした。とある出来事に対して、という場面かもしれずドンピシャを知りたいところです。なお 「не знакомый」はワンスペースあるのとないのとどちらを使うべきでしょうか。
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くどい感じがしますが正解です。незнакомыйと一語です。
Он делает вид, что ничего не знаешь.
彼は(さっきからずっと、今も)知らん顔をしている。
と表現したかったので不完了体にしました。
すいません前回での уметь なのですが、
手元の辞書では、(本性として)~できる。の意味もあると記されていて、
例文ではскрыть, льстить, иритворять にне уметьが使われています。
なのでсдержать себя もいけると思い、それにне уметьで
彼女は、自分を抑えられない質(なので当然感情が全て表に出る)だ。
としてしまいました。
因みに、(本性として)~できる。という使用は今はしないのでしょうか。
宜しくお願いします。
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惜しい。не знаетと主語を主文の主語に合わせれば正解です。お答えでは、「おまえは何も知らないと彼はそういうふりをしている」ですが、それが彼が知らんぷりの訳になるかどうかは、前の文脈にかなり依存すると思います。普通考えれば、私個人としては無理だと思います。
アカデミー版の最新版はуのところまで発売されていないので、1984年版アカデミー版の4巻本を見てみますと、уметь = обладать умением делать что-либо благодаря знаниям или навыку к чему-либо; обладать какой-либо способностьюとあり、быть в состоянии, мочь сделать что-либоという意味では廃用か口語的用法だとあります。多分研究社の露和辞典の用例Он не умеет сдерживаться.(彼は自分を抑えることができない<動作の否定なので不完了体不定形が来ている>)のことであり、アカデミー版4巻本の二つ目の定義を指しておられるのだと思います。このспособностьは可能性ですが、ロシア語語結合辞典Учебный словарь словосочетаемости русского языкаによれば、生まれつきの能力という意味で使うときは複数のみです。つまり能力は能力でも単数である以上、後天的な能力(ないしは先天的かどうかは分からない)ということになります。ですから研究社の露和も後天的に自分を抑えるような訓練をしていないということで、生まれつき自分の抑えることができる、できないということではないと思います。このことは研究社露和の2453ページの語法にも書いてあることです。そういう意味で性格や性質という意味でуметьを用いるのはどうかなというのが私の考えです。ただこれはいくつかのロシア語辞典を読んだ上での私の見解ですから、違う文例や文脈もあるという方もいらっしゃるかもしれませんし、強制するつもりもありません。学者は学者として、このような前後の文脈もない短文を露訳する場合は、より広く一般的に受け入れられる語義を使うべきで、そうでないと聞き手に意味が明確に伝わりません。уметьは後天的な技能、能力に関係すると理解する方がより一般的だと私は思います。アカデミー版にある例文でもそうれは分かります。
Я умею уважать и чужие убеждения.(私は人の信念をも尊敬できる)<これは生まれつき尊敬するという性格を持っていたわけではなく(かっとなる、自分を抑えられない、やさしい、気が強いというのは性格、性質ですが)、しつけられたか、自分で学んだという後天的なものであることは明らかです>
(お題)
彼は知らん顔
(コーシカ訳)
1. 何かに無関心
Он безразлично относится к делу.
状態の不完了体現在です。
2. 話し手と会ったのに無視した
Он меня игнорировал.
アオリストの完了体過去です。
3. しらを切る
Он делает вид, что он ничего не знает.
現在の状態、繰り返しの不完了体現在です。
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1)は意訳ですから、状況によっては正解になる可能性が無きにしも非ずというところでしょう。2)は「会って」とありますが、これも状況次第で、お答えの文ではそういう理解はできません。3)はこれも文脈次第でしょうが正解です。
Он оставляет без внимания.
時制に悩みましたが、規則的反復ととり、不完了体現在としました。よろしくお願いします。
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時制の解釈はそれでもいいのですが、「彼は放っておく」ですから、これでは意味が通じないと思います。
1) Он стал безразличным.
стал : 結果存続の完了体過去形
2) Он делает вид, что его ничего не касается.
делает, касается : 遂行の不完了体現在形
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1)は「無関心になった」ですから、知らんぷりとは違います。
2)はничто его не касаетсяの方が文法的には正しいとも思います。それはパードゥチェヴァ先生によればкасатьсяが否定生格の主語を取らない(否定生格動詞に挙げられていない)からですが、ネットなどではничегоの用例も見ます。それがクリアーされれば正解です。
Он делает вид ничего не знающим.
У него лицо остаётся равнодушным.
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притворяться + 造格(接続詞что, чтобы, будто бы не)はありますが、アカデミー最新版を見る限り、語結合的はделать вид, чтоだけです。顔が無関心だという状態を示しているわけで、知らんぷりという動作(1回か反復かは別にして)ではないと思います。
Он делает вид, что ничего не знаешь.
彼は(さっきからずっと、今も)知らん顔をしている。
と表現したかったので不完了体にしました。
すいません前回での уметь なのですが、
手元の辞書では、(本性として)~できる。の意味もあると記されていて、
例文ではскрыть, льстить, иритворять にне уметьが使われています。
なのでсдержать себя もいけると思い、それにне уметьで
彼女は、自分を抑えられない質(なので当然感情が全て表に出る)だ。
としてしまいました。
そして最初の Ей невозможно скрыть,ですが、「包み隠す」(完了体)を
文を読んだ人に分かって貰える様に、体の使い分けをしたつもりですが、
体の使い分けの考え方がそもそも間違っているようで混乱してきました。
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前回は指摘するのを忘れましたが、скрытьは他動詞ですから、目的語がないと何を隠すのかが分かりません。具体的な名詞が来れば1回の具体的な動作として完了体を使うことは可能ですが、抽象名詞であれば、しかも性質を示すのであれば不完了体を使うのが普通ですし、自分の能力や人知を超えたものの不可能性を示すのも不完了体不定形の分野です。『三訂和文露訳入門』6-2-5-1項参照ください。
(暗いから読めない)Темно, нельзя читать.
何かに対していつも知らない振りをすると捉えて、
Он делает вид, что не смотрело ничего, даже если он смотрело .
振る舞うは習慣、見ていないは行為の否定、見ていてもは行為(一つの具体的な事というより、何かに対する事全般と考えて)の有無の確認で全て不完了体にしました。
Посмотрит на это - он делает вид, что не смотрело ничего.
例示的用法で完了体未来形にしました。
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不完了体のとらえ方はその通りです。ただ例示的用法ではなく、具体的1回の動作、「彼は私を見て知らんぷりをした」とも取れますから、その場合は完了体過去形です。смотретьは「視線を向ける」というのが原意で、視線を向ければたいていの場合は見えますが、視線を向けても見えない場合があることは日常我々がよく経験することです。一方видетьは見えるということで、視線をわざわざ向けるということをしなくても、見えるということで、視認することを意味します。これについては『三訂和文露訳入門』10-8項参照ください。
Он делает вид, что об этом не знает.
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正解です。