2014年07月03日

●続和文解釈入門第497回

体の使い分けの理屈を体得できれば、感覚として体の使いわけができることになる。通訳の現場では理屈を考えている時間はなく、与えられる日本語と文脈で体を決めなければならないと思うので、理屈を極めて得られる、そのような感覚は通訳にとって非常に大事だと思うし、それは結局のところ、体の用法を体感して会得したロシア語が母国語のロシア人が体を運用している使い分けと共通するものがあると思われる。我々は母国語が日本語であり、幼いころからロシア語に触れる環境にあったひとはそうざらにはいない。大人になってからロシア語に触れた人がほとんどであろう。そうであれば、幼児が言葉を覚えるような方法は取れないことがお分かりになるであろう。つまり何年も語彙や例文の丸暗記を続けることをモノともしない、特殊なコンピューターのような人を除けば、理屈から入る方法しかないことになる。

出題)「危うくこの世とおさらばするところだった」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2014年07月03日 06:34
コメント

(1) Я чуть не скончался.

(2) Моя жизнь висела на
волоске.
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(1)を和訳すると、「私はあやうく逝去する(おかくれになる)ところだった」となり、つまりскончатьсяは雅語なので、自分が主語の時に使うのはどうかなという気がします。(2)は危機に瀕していたという状態を示しており、危機が去ったわけではないので違います。私の答えは、Я чуть не простился с жизнью.

Posted by ブーチャン at 2014年07月03日 07:58

Я чуть не потерял свою жизнь.
結果の存続でсвとしました。前回の問題は、頭の中に入っているフレーズとしてあの文になりました。遂行動詞は「発話と共に完了する動作」と理解はしているつもりですが、どの場合に遂行動詞としてнвを使うのか、実際に使えるかと言えばまだまだだめです。
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потерять отцаという表現はありますが、потерять жизньという語結合はないようです。これはтерятьがうっかり、どこかに忘れ物をして、居所が分からなくなるというのが原意だからであり、性質をなくす、損をするという意味の他に、死に関して使えるのは人をなくす(人に去られるという意味もあります)という意味だからだと思います。ネットを見るとпотерять жизньという語結合も結構ありますが、アカデミー版を見る限り誤用だと思います。

Posted by やま at 2014年07月03日 16:43

Чуть было не я умер.
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まあ意味はそういうことですが、「危うく死ぬところだった」であって、もう少しくだけた感じが出たらよかったと思います。

Posted by Ml at 2014年07月03日 18:05

Я чуть(едва) не простился с этим светом.
Я собрался было отправиться в тот свет.
Я почти умирал.
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最初の文だけが正解です。二つ目は死ぬつもりだったが死ななかったということであり、出題は自殺を意味しているわけではありません。三つ目は結果の存続のはずなのに不完了体が来ています。これは最初の文で完了体を選んでいるのと矛盾します。

Posted by ゴ at 2014年07月03日 19:56

お、ブルガリア大公

(お題)
危うくこの世とおさらばするところだった
(コーシカ訳)
Чуть было не попрощался с белым светом.

第96回のコメントを参考にしました。
いったん開始された行為の中止のбылоと完了体過去の組み合わせです。
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正解です。このбылоは略せます。

Posted by コーシカ at 2014年07月03日 23:59
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