2013年10月24日
●続和文解釈入門第254回
結果の存続という用法に、結果の現存という言葉を使いたくないのは、文字通り、この用法が必ずしも現在ということではなく、発話の時点に関係するからである。次の文は過去の時制の文であるが、発話の時点が過去であり、結果の存続の用法である。
(雨が降り出したので、我々は散歩に行くことができなった)Пошёл дождь, и мы не могли идти гулять.
出題)「彼はモスクワ国立大学を受験したが、不合格だった」をロシア語にせよ。
Он поступал в МГУ, но не поступил.
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正解です。私の答えは、Он поступал в МГУ, но не прошёл по конкурсу.
On sdaval vstupiteljnyi ekzamen v MGU, no
ne sdal.
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正解です。ただсдалはこの場合は問題ありませんが、アオリスト的用法で、確率的には少ないながらも、文脈によっては「試験を受けた」となる場合がありますから、その点も考えたほうがよいでしょう。
Он сдавал вступительные экзамены Московского Государственного университета, но не сдал. (провалился)
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体の用法はいいのですが、入学試験の場合はэкзмен в + 対格で、学校や大学での試験はв/на + 前置格であって、生格とはなりません。ちなみにпровалиться на экзаменеとなります。
(お題)
彼はモスクワ国立大学を受験したが、不合格だった
(コーシカ訳)
Он сдавал (экзамен в) МГУ, но не сдал.
сдаватьとсдатьとの体による意味の違いが狙いと考えます。
「受験した」は行為そのものなので不完了体が使え
「不合格だった」が完了体なのは結果の現存だからとそれぞれ説明できそうです。
さて、正解は
ありゃ、日本語みたく「受ける」の目的語が直に来ることはないのですね。
поступатьにこんな使い方があるとは!
『新訂和文露訳入門』の7-1を早速確認。поступать / поступитьコンビも入ってました。
辞書で裏が取れたのはなぜか岩波だけ:
Ты будешь поступать в аспиратуру? 君は大学院へ入るのか
(岩波、1409頁、поступить)
この例文では不完了体を使って未来における行為の有無を尋ねていると思われます。
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お答えも正解です。поступатьはпоступить(入学する、進学する)と違い、入学を希望する(入学志望である)というように、志向の用法です。これを岩波の例文で大学院に入るのかと訳すと、学生が希望すれば、無試験でも入学できるような印象を受けます。動作の有無の確認でも「大学院へ行きたいのか」なら、露文に近いし、「大学院希望か」とか「大学院志望か」なら正しい訳となります。簡単に見えるような言葉でも、体の用法を知らないと誤訳のもとです。正しい日本語を使わねばという感覚の差かもしれませんが。