2014年04月13日
●続和文解釈入門第418回
結果存続兼評価型動詞と完了体過去形の結果の存続は同義で使えるように見えるが、細かいニュアンスでいうと違う。
(電話番号をお間違えです)Вы не туда попали.
(私を誰かとお間違えですよ)Вы меня путаете с кем-то.
最初の文はпопастьは電話がつながって相手が電話に出たという動作が、この発話以前に起こっていて、その動作の結果が残っており、動詞自体にいい悪いの評価のニュアンスはない。ところが、二つ目の文ではいい悪いのニュアンスが動詞自体にあるということになる。結果存続兼評価型動詞というのは、直前になされた行為に対し、その動作の評価を伝えるため、つまり所与の状況や文脈に沿った動作ということで不完了体現在形が現在の時制でのみ用いられる。
結果現存兼評価型動詞はペアの完了体過去形でも似たニュアンスで使うが、ペアの方の完了体動詞過去形の方は、完了体自体が話し手にとって場独立型ということで、本質的に具体的な1回行為に使われる面を持っているという事から、行為の説明というよりは、何かより具体的な事柄に対して、しかも唐突な感じ(新規の事柄として)で使われ、不完了体は場依存型であり、文脈や状況に合わせての、応答であることを意識した補語がないような文脈などで使われる。
出題)「よかれと思ってしたことが裏目に出た」をロシア語にせよ。
То, что сделано за
добро изменилось
к худшему.
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拙著『るいごプラス!』に書いたように、доброは絶対的な善を指します。ところが、出題は相対的な状況による善という意味ですから、違うと思います。私の答えは、Благие намерения превратились в свою противоположность.
Я поступил для него, а вызвало неприятные последствия.
完了体の順次的用法、と解釈しましたが、よろしくお願いします。
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「ためを思って」というなら、для вашей пользыという言い方はありますが、посутпать дляという語結合は聞いたことがありません。для自体にはには「人のためを思って」という意味はありません。それとвызвалоの主語がありません。多分前の文全体を受けているようなので、『三訂和文露訳入門』9-9-2項の全体を受けるчтоを使うべきです。
То, что я сделал на пользу, наоборот, шло в ущерб.
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どちらが先の動作なのでしょう?шлоは過去の時制であることははっきりしていますが、сделалはアオリスト的用法かもしれませんが、結果の存続かもしれません。よかれと思ってだから、対象は二人称でしょう。на пользуだけではだれに対してか分かりませんし、自分に対してとも考えられます。идти в ущербという語結合は知りませんが、вышло бокомと完了体過去形を使ったほうが自然です。
То, что я сделал с добрым намеренем, произвело обратный эффект.
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намерениямиと複数にした方がいいような気もしますが、正解です。