2013年02月12日

●続和文解釈入門 第4回

原始人も最初はアーとかウーとか言って、互いに意思疎通のまねごとをしたのだろう。その後は、命令法が先に使われたと思われる。その命令にしても、その状況ではこうするという、身ぶり手ぶりの補助としての、いわゆる着手の用法であろう。またスラブ語の祖語であるインドヨーロッパ語族の最初に使われた動詞は、形が単純だという事から考えると、無接頭辞単純動詞〔пить(飲む)、бить(壊す)、делать(する)、писать(書く)、читать(読む)、строить(建設する)、гулять(遊ぶ)などのいわゆる本源動詞〕のような不完了的用法であろう。ロシア語の基本的な動詞は、このような不完了体的用法から発生したと考えるのが自然であろう。

 和文露訳入門4-1-1-4項にあるような瞬間動詞が、命令法で完了体が出やすいというのは、語義が壊す、殺す、死ぬ、見つけるなどであり、これではその場の雰囲気に合わせたような着手の意味は出て来ないはずだ。出てくるとしたら具体的な場面だけである。例えば、客を迎えて、「おかけなさい」というのは、その場の雰囲気として当然だが、客に向かって、「花瓶を壊しなさい」とか「殺しなさい」というのは尋常ではない。完了体が場独立であるというのはそういう意味である。それにразбитьだって、元をただせばбитьの派生動詞であり、ここから不完了体のразбиватьができたのだろうというのは素人でも分かる。完了体で使われやすい動詞、不完了体で使われやすい動詞というのは語義によってある程度分かるという事が言えると思う。体の用法を考えるときに、どんな動詞でも、『和文露訳入門』の見出しに挙げた時制や法(命令法・不定法)の用法が使えると考えるのは間違いである。体の使い分けには広い意味での動詞の語義による制約があるのである。

出題)「アガサクリスティーを読む気が失せた」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2013年02月12日 07:24
コメント

У меня лопнула охота
прочитать
произведения
Агата Кристи.
---------------------------------
нервы лопнули(神経がプッツンした)とかтерпение лопнуло(忍耐の緒が切れた)とは言いますが、どうでしょう。お答えを訳すとすれば、アガサクリスティーの諸作品を読みとおすという私の意欲がはじけたという感じですが、体の使い分けにつて混乱しているようです。本質をまったく理解していないとうよりは、ごく一部の配線がこんがらがっているように感じますから、すぐ直る程度のものです。охотаはよいのですが、それならпропала охота к + 与格とする方がよいと思います。アガサクリスティーも読みたくなくなるというなら1冊と考える方が自然です。一番の問題は、прочитатьという完了体を用いていることです。問題はпрочитатьはчитатьの一部の語義(完読する)しか代表していないということです。それともっと問題なのは、「~したくない」、「~したくなくなる」という嫌気という用法は、不必要、禁止と同様、~の部分に当たる動作がなされないということで、動作そのものである不完了体が来ます。誤解のないように言っておきますが、嫌気、不必要、禁止そのものは主観的ニュアンスを持つ叙想語であり、それが動作を示す動詞なら(つまりхотетьのような状態や遂行動詞でないなら、неを伴う動詞は不完了体ですが)完了体が来ます。お答えのлопнулаやпропалаがそうです。私の答えは、Читать Агату Кристи расхотелосьпропала охота к + 与格も使える。
 このように「~したくなくなる」、「~したくない」を示す不定形は不完了体となる。ただ遺憾・不本意を示す場合は、主観的ニュアンスということで完了体不定形が出てくる。(騙すつもりはなかったんだ)Я не хотел обмануть вас.

Posted by ブーチャン at 2013年02月12日 08:16

У меня исчезло желание читать Агаты Кристи.
Я потерял желание читать Агаты Кристи.
またしても外しそうですが、結果の現存(気が失せた→今も気がない)ということで、完了体にしました。または、気が失せるのは一回(というか瞬間的)かと思いました。
---------------------------------------
正解です。若干コメントしますと、Агату Кристиと単数にした方がよいでしょう。著者名で著書を代用するときには単数にします。ドストエーフスキーなら対格はДостоевскогоとなります。желаниеには性欲、肉欲という意味もあり、исчезло желаниеはこの意味で使われることが多いように思います。потерять желаниеは露露辞典でрасхотетьの説明に使われるので、問題ないと思いますが、説明的過ぎるように思います。

Posted by hatomame at 2013年02月13日 06:11

(お題)
アガサクリスティーを読む気が失せた
(コーシカ訳)
1) Я надоел(а) читать Агату Кристи.
2) Я потерял(а)/ лишился(-ась) / лишен(а) интерес к тому,
чтобы читать Агату Кристи.

興味を失うのは具体的かつ短期間の行為ですから完了体過去が、
読むのは一定期間にわたって繰り返しなされる行為そのものと思われますので不完了体がそれぞれ適すると考えます。
надоестьは単調さに嫌気がさす、という含みがあるようなので適切かどうか…
2)の方はあまりに文章語的で、多分答えではないと思います。
頭に浮かんだ動詞を一通り並べてみました(見辛くて申し訳ありません…)。
сяや被動形動詞過去短語尾などを使えば、外的な要因で興味が失せた、
という含みになるかもしれない、と考えました。
さて、正解は
расхотетьсяなどと便利な語があったんですか!
読むことそのものを主語にして中性で受ければ良かったんですね~
-----------------------------------------
расхотетьも使えます。問題はнадоестьの構文が理解していないことにあります。
Он мне надоел.(僕には彼がうんざりだ)というように、主語がうんざりする大砲になります。лишиться + 生格であり、какは来ますが、чтобыは来ないと思います。

Posted by コーシカ at 2013年02月18日 00:08
コメントしてください