2013年12月18日

●続和文解釈入門第309回

ロシアの民衆版画であるルボークлубокの権威であるロヴィンスキーРовинскийの『ロシアの民衆版画Русские народные картинки』を読んだが、その中に、結婚相手の男と仲人のおばさんのやり取りがあって、Хочу иметь покой.(〔家には〕やすらぎ欲っす)と結婚相手の男が言うと、Так не бери никакой.(かくなる人には嫁は来ず<直訳はそんな風ではどんな嫁も取るな>)と仲人のおばさんが韻を踏んで返すところがある。このルボークは18世紀ぐらいのものらしい。

 この他にも猫の埋葬Погребение котаなど風刺的なものは古儀式派の人が作者であり、猫は古儀式派から反キリストантихристと言われたピョートル1世を指すというのは知っていたけれど、ルボークでバーバヤガー(山姥とか魔女の類)とワニとの喧嘩Драка Бабы Яги с крокодиломのワニも反キリストを指すというのは初めて知ったわけで非常に興味深い。Аника-воин(戦士アニカ)は220歳(390歳という説もある)まで生きて、多くの王や勇士を殺し、エルサレム征伐をする時に死神と出会い、ついには殺されてしまう。無敵の兵士であっても、死の前では無力であり、悲喜劇的な象徴でもある。アニカはピョートル1世時代に処刑されたヴォーログダの盗賊がもとだとも言われている。本書には最後の第14章にロシアにおける拷問の歴史があるのも一興である。

出題)「彼は来ないような気が私にはする」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2013年12月18日 08:04
コメント

Мне кажется, что
он не придет.
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正解です。ただкажетсяのニュアンスをよく理解されているといいのですが。私の答えは、Я чувствую, что он не придёт.
遂行動詞だが、文脈によっては状態の動詞ともとれる。чувствую, чтоは勘ないしは理詰めで推測する(昨日顔色が悪かったから病気かもしれないなど)という意味であり、ощущаю, чтоはこの意味では使わない。кажетсяは印象として、想像で感じられるということで、確信がないというニュアンスがある。

Posted by ブーチャン at 2013年12月18日 08:16

Мне кажется, что он не придет.
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正解です。

Posted by Ml at 2013年12月18日 19:55

Я не ощущаю, что он придёт.
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これは不正解です。ощущатьはчувствоватьとシノニムですが、ощущатьは感覚器官が感じると言う意味で使い、いわば物理的な感覚を意味します。он придётとしたのは、完了体と否定を結びつけたくないという、動作の否定は不完了体の領域であるという正しい認識によりますが、そこからもう一歩出るようにしないと、動作の否定がうまく使えないことになります。これはон не придётとした投稿者の方々にも言えます。

Posted by ゴ at 2013年12月18日 23:10

(お題)
彼は来ないような気が私にはする
(コーシカ訳)
Мне кажется, что он не придет.

кажется は今現在そんな気がしている状態の不完了体現在
「来ない」は文の肝であり未来の具体的な事柄でもあるため
не придет と完了体未来の否定です。
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正解ですが、кажетсяには確信がない、なんとなくそう思われるという意味です。完了体未来形の否定に関するご理解は、その通りです。不完了体未来形に対してはどうなのでしょう?

Posted by コーシカ at 2013年12月18日 23:44

Мне кажется,что он не придёт.

よろしくお願いします。
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正解です。

Posted by yamaguchi at 2013年12月19日 05:23

4-1-1-6を読み
Я чувствую, что он не будет приходить. の訳を考えてみました。
彼には来るつもりなどないように私には感じられる。
となり、出題からずれてしまうと思われます。でも露文としては成立しそうです。
今回のお題は「…な気が私にはする」と周囲の期待とは異なる情報を提示することもあり
否定であっても完了体が使われるのだと考えます。
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その通りですが、もう少し分かりやすく説明すると、不完了体未来形を使うと、動作が今後(未来において)一切ないということですから、完了体未来形のように「今回は来ない(具体的な1回の動作)」ではなくて、「金輪際来ない」ということになります。その点の説明が4-1-1-6項の説明では不足しているような気がします。

Posted by コーシカ at 2013年12月20日 01:00

>金輪際来ない
そこまで?!
まぁでも不完了体の否定ですから「来る」というレールそのものを否定するわけですし
「金輪際!」くらいの勢いでないと警察に許しを請うにも力不足ですものね。
- Вы проехали на красный цвет и выехали во встречную полосу.
- Извините, больше не буду.
- 赤信号なのに通り過ぎて対向車線にはみ出しましたね。
- すみません、もうしません。
(『そのまま使える!ロシア語会話表現集』5-10、148頁より露文のみ引用、和訳は拙訳)

金輪際ということで禁煙の宣言などに応用できそうです:
Я объявляю, что не буду курить.
はっきり言っとくけど俺はもう煙草は吸わないからな。
だいぶ意訳。遂行動詞の練習も兼ねてます。
О, Който! Я всю жизнь не буду жениться (на ником).
О, Който! Я всю жизнь не возьму никого в жёны.
小糸、わしゃ生涯妻と名の付くものは持たんで(上方落語『たちぎれ』より)。
не буду брать としたいところですが
結婚は普通は1回しかしないためвзять кого в жёны が普通であろうと思われるのと
完了体で話し手の(ここでは若旦那の)決意の程が出るのも関係してくるはずです。
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1人称の否定だけで考えているようですが、金輪際というのは「今後~しない」ということで、未来のおいて動作はないということです。文脈によって、意志の否定(特に一人称において、これは自分の感情についてはよく理解できるということと関係があります)になります。結婚は1度だけというのは、落語のような一般的に昔を設定したものはともかく、どうでしょう?昔も三行半や家風に合わぬということで男の側にとって離縁はそれほど難しいものではなく、子無きは去れということも一般的でした。またвзять кого в жёны(嫁に迎える)も昔風ですし、武家言葉のような感じで庶民が使うようには聞こえません。не возьмуとすると否定の強調(1度も~しない)にも取れますし、不可能の意味にも取れますから、не буду женитьсяとした方が、落語の舞台としては口語的です。またженитьсяは完了体・不完了体同形です。

Posted by コーシカ at 2013年12月20日 23:09

ご説明と拙訳へのコメントありがとうございます。
「たちぎれ」はとってもきれいな落語ですからお勧めですよ。ぜひぜひ。

1人称以外の例は何かないかなぁ…と思ったら、日本国憲法憲法9条2項がありました!
Для достижения цели, указанной в предыдущем абзаце,
никогда впредь не будут создаваться сухопутные, морские
и военно-воздушные силы, равно как и другие виды
военного потенциала.
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
(出典:Энциклопедический словарь, 2009; http://dic.academic.ru/より)

Posted by コーシカ at 2013年12月22日 00:32
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