2013年08月07日
●続和文解釈入門第176回
『パンツの面目ふんどしの沽券』(米原万里、ちくま文庫、2008年)は、2000年11月7日~2001年2月末までサンクトペテルブルグで開催された「身体の記憶 – ソビエト時代の下着」という展示会のカタログに着想を得て書かれたとあり、ソ連時代には下着としてのパンツは製造されていなかったとか、ソ連時代(末期を除けばということなのであろう)にはトイレで紙を使わなかったとか、ソ連時代であれば本書はソ連では発禁になったのではないかと思われるほど、ソ連通でも知らないことが、女性らしい筆致でユーモアに彩られて語られている。一読の価値はあると思う。
出題)「彼は私が浴室で両足に絆創膏を貼るまで待っていた」をロシア語にせよ。
Он ждал до того момента, когда я
заклеила пластырем
ноги в ванной.
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「その瞬間まで待った」という意味では使えると思いますが、「~まで待つ」という構文は普通はそうは言いません。私の答えは、Он ждал, пока я в ванной ноги заклею пластырем.
「~まで待つ」というときにждать, покаであって、ждать, пока неとすることはあまりない。
Он ждал, пока я себе заклеивал пластырем раны на обоих ногах в ванной.
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заклеить/заклеиватьは他動詞ですから、заклеить + 対格(貼る場所) + 造格(貼るべきもの) ноги пластыремとなります。接頭辞за-のつく動詞については、『和文露訳入門』の8-5項で解説してあります。
заклеиватьという不完了体は反復で用いられますから、この場合はおかしいでしょう。それにпокаの後に不完了体を使えば「~している間」ということになりますから、その意味でも間違いです。
Он ждал, пока я в ванной не заклеил себе ноги пластырем.
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себеは取れば正解です。またнеをつけるのが、絶対におかしいとは言いませんが、ない方が自然です。昔の和文解釈入門第130回に書きましたが、英語と違ってロシア語には日本語同様、時制の一致はありません。例えば、Они ждали, когда перестанет дождь.(彼らは雨がやむのを待っていた)となる。когдаの代わりにпокаを入れても意味は変わらない。「~するまで」はпока ...не(完了体の動詞)と覚えている人もいるかもしれないが、主節にждатьやпройтиという動詞のある場合は、неをつけないのが普通です。
お答えでは「貼った」という動作が終了していますが、完了体未来形を使えば、動作が終了していないことになります。
(お題)
彼は私が浴室で両足に絆創膏を貼るまで待っていた
(コーシカ訳)
Он подождал, пока я не приложил(а) пластыри к ногам в ванной.
подождалはアオリストないし結果の現存の完了体過去です。
彼が待っている理由ないし条件もはっきりしているため
完了体のподождатьが適すると思われます。
彼が待っていたのが分かった時点で絆創膏は貼り終わっていますから
приложил(а)はアオリストと考えます。
さて、正解は
покаはええとしてнеはない方が自然なんですか。
結びつく動詞にもよるのでしょうか。
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両方とも完了体にしてしまうと、動作が順次的に(テキパキと)行われたというニュアンスが出てきます。この場合は「待っていた」には期間のニュアンスがあるので、ждатьを使うほうが自然です。подождатьは少しの期間待つということですが、出題には少しというニュアンスはありません。