2014年01月05日
●続和文解釈入門第327回
否定文というのは動作自体を否定するのだから不完了体が使われるのが普通である。つまり動作の有無の確認に不完了体が使われるということから、否定文こそ動作の無の確認に他ならない。そのため否定文に完了体を用いるというのは、具体的な1回の動作が否定される場合であり、何らかの主観的なニュアンスを付加することになる。
完了体未来形の否定というのは、未来の時制における具体的な1回(この1回)の動作を否定するということであり、現在の時制(一瞬後とはいえ)の否定の強調なのか、不可能なのか、未来の時制の完遂の用法(具体的な1回の動作)の否定なのかを文脈によって区別することになる。それに対して、不完了体未来形の否定は未来において動作が今後一切ないことを示すわけで、それが否定の意図につながる。приходитьは過程を示せず、反復のみを示す動詞ゆえ、下記の二つ目の文では未来の時制における反復動作を否定しており、そこから否定の強調、否定の意思を示している。
Он не придёт. <彼は今回は来ない>
Он не будет приходить. <彼は今後来ない>
出題)「写真は5年前のものだった」をロシア語にせよ。
Фотография была
снята пять лет тому
назад.
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被動形動詞過去短語尾の過去の時制を使ったアオリスト的用法ですね。これは概ね正解としてもよいのですが、撮影年代不明のネガがあって、それを5年前に印画したとしたら、その写真はどうなるでしょう?私の答えはФотографии были пятилетней давности.
Фотография была снята пять лет назад.
Фотография снималась пять лет назад.
Фотография была пятилетней давности.
また明日から出勤。私の仕事に露語は全く関係ありませんが、頑張ります。
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お仕事がんばってください。生きるために趣味や生きがいは大事です。そのためには食わねばならぬ、稼がねばならぬというのも事実です。最初の文はブーチャンさんと同じです。最後の文は正解です。2番目の文はфотогафииと複数なら反復の意味となるのですが、これでは文法的にどうでしょう?ただФотография снималась в движении.なら、「その写真は動いているところを撮ったものである)というような、過去進行形としてなら理解できます。
Фотография имела пятилетнюю давность.
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正解です。
(お題)
写真は5年前のものだった
(コーシカ訳)
Фотография была снята 5 лет назад.
アオリストの被動形動詞過去短語尾です。
現在目の前にありますが、力点は5年前にあるのでбылаが要ると考えます。
さて、正解は
>撮影年代不明のネガがあって、それを5年前に印画したとしたら、その写真はどうなる
ぬぉ、そんな落とし穴が?!
でも考えてみます。
Время остается неопределенным, когда эта негативная пленка снялась.
Но несомненно, что фотография была отпечатана 5 лет назад.
ネガフィルムの撮影時期は依然として不明。でも写真は疑いなく5年前に印画された。
出題の狙いと関係ありそうな例を考えてみました:
Он угостил нас виски,
которое, к удивлению, имеет двенадцатилетнюю зрелость.
彼は私たちにウィスキーをごちそうしてくれた。なんと12年ものだった。
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お酒の場合はвыдержкаを使います。
コメントありがとうございます。
おかげさまでコンクリートの養生もвыдержка を使うと知りました。
手直しします:
Он угостил нас виски, которое, к удивлению, было выдержано 12 лет.
выдерживатьは期間を表すвなりза+対格を取らんのですね、なんでやろ…
ヤンデックスではなぜか男性名詞扱いの例が多く引っかかりました。
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熟成が15年ものという場合、3日で仕事を終えたというのと違って、15年は寝かせてはあるが、まだ続いている(あるいは熟成が終わるかどうかの境があいまい)という認識があるので、期限を切った表現はしにくいということがあるのでしょう。
変化の最中で現在は12年目ですよ、という考え方なのですね。
ご説明ありがとうございました。
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変化の最中というよりも、(結果の)継続と考えたわけです。ただこれは参考書には載っていませんので、私個人の考えですから、今後これについて突き詰めてゆくと何か面白いアイデアが出てくるかもしれません。